ファイターズ
2021/10/18 15:11

同期入団、恩師、早実高のチームメイト かつてのハンカチ世代達が斎藤佑樹を語る 

 斎藤佑樹投手(33)の現役引退に、かつてのハンカチ世代たちは何を思うのか―。2010年のドラフト同期である元日本ハムの乾真大投手(32、現神奈川フューチャードリームス)、榎下陽大氏(33、日本ハム広報)や、高校、大学時代の同期、さらには恩師である早実高・和泉実監督(60)が、斎藤本人との思い出や秘話を振り返りながら、引退に際してのエールを送った。

2014年の春季キャンプでドラフト同期会を行った(左から)榎下、斎藤佑、斉藤勝、西川、乾、谷口(提供写真)
 

ドラフト同期入団 乾 戦友の思いを背負い投げる

 初対面は日米親善野球大会の代表メンバーに選ばれた高校3年生のとき。乾は「佑樹は俺のことを幸が薄いと思っていたらしい」と笑いながら振り返る。そんな2人は大学時代、08年にチェコで開催された「世界大学選手権」で急接近する。
 2年生でメンバーに選出されたのは2人だけ。2週間、ホテルの同部屋で過ごした。音楽プレーヤーでコブクロの曲を流し、「ずっとカラオケ大会をしていた」と、隣の部屋に聞こえるほどの音量で熱唱。主戦として登板が続いていた斎藤のため、乾がユニホームなどを洗濯して畳んであげたこともあった。
 10年のドラフト同期で日本ハムに入団。「遊び友達」として、私生活では食事やゴルフに出掛けた。ベタベタするわけではなく、どこか互いに居心地の良さを感じる関係だった。
 乾が日本ハムを離れてからも、節目の度に連絡をくれた。今年はもしかしたら、「最後かもしれない」と、どこかで感じ取っていた。斎藤の登板がある9月20日の2軍・DeNA戦(平塚)をスタンドから観戦。その後、予感は的中した。
 現在、乾は選手兼任コーチとしてプレーし、9月には自己最速の150キロをマーク。「ちゃんと現役をやり切らないといけないと改めて思った」。戦友の思いを背負い、これからも腕を振り続ける。

高校日本代表の合宿で斎藤(右)と同部屋だった榎下広報(提供写真)
 

榎下広報「アマチュア含めて野球界への貢献はすごい」

 2006年夏の甲子園で2人は出会った。鹿児島工のエースだった榎下広報は、斎藤擁する早実と準決勝で対戦。敗れた試合後、ほんの少し言葉を交わしただけだったが、ここから長い付き合いが始まった。
 ともに高校日本代表に選ばれ、日米親善野球大会直前の国内合宿で同部屋になった。「鹿児島なまりがひどくて、めっちゃなまっているねと話したことはすごく覚えています」と苦笑いする。
 無茶なお願いにも応じてくれた。知人から頼まれた大量のサイン色紙を差し出すと、快くペンを走らせてくれた。添えられていた言葉は『いまを生きる』。「さすが早稲田だな」と驚かされた。
 大学を経て、ともに10年ドラフトで日本ハムに入団。17年限りで現役を引退した榎下広報は、2軍でリハビリに励む同期の姿を間近で見てきた。「苦しいこともあったと思いますが常にグラウンドでは笑顔でした」
 引退を発表した際には「ありがとうございました」と声を掛けられ、2軍最終戦後のセレモニーでは花束を渡した。「アマチュアを含めて野球界への貢献はすごい。やりたい仕事をやってほしい」とエールを送った。

高校時代に斎藤を指導した早実高の和泉監督
 

高校時代の恩師 早実和泉監督「アイツに一度会うとみんな大好きになる」

 斎藤は天性の人たらしだ。早実時代の恩師、和泉監督は「アイツに一度会うとみんな大好きになっちゃうよね。目がいつもキラキラして前を向いている」とその魅力を明かす。
 早実時代は寮がなかったため、群馬・太田市の親元を離れて、兄と2人暮らし。入学当初は実家から片道2時間以上かけて通っていた。
 「一番遠いところにいた斎藤が、初優勝の原動力になってくれた。野球の神様が引き合わせてくれたのかな」。06年の夏の甲子園制覇をきっかけに、全国から入部志願者が集まるようになった。
 プロ入り後は、母校へトレーニング器具を寄贈。年に1回、食事会で近況報告を受けるのが恒例だった。「電話をもらって『花丸ですね』と伝えた。いままで通り見守っていきたい」。和泉監督はこれからも温かいまなざしで教え子を見つめる。

2006年に斎藤(左)、田中将(右)とともに高校日本代表に選ばれた後藤さん(提供写真)
 

早実高でチームメイト 後藤さん 何気ない気遣いに救われた

 高校入学当初の斎藤は、マウンドでいら立ちを表情に出す選手だった。注目度が上がるにつれ、その姿に少しずつ変化が生じた。3年時に主将を務めた後藤貴司さんは「エースになってから、ポーカーフェースと言われるようになった。野手への気遣いや周りに対する影響も考えたんだと思います」と振り返る。
 忘れられない経験がある。ともに進学した早大時代、斎藤の登板中にミスを犯して落ち込んでいると、ベンチでお尻をポンポンと叩いて励ましてくれた。何げない気遣いに救われた。
 プロ入り後は故障に苦しみ、後藤さんに弱音を吐くこともあった。「耐えてきた時間が長かったと思う。これからは斎藤らしく、楽しく人生を生きてほしい」。後藤さんは、かつての球友とゆっくりお酒を酌み交わす日を心待ちにしている。

高校入学式の日に早大・大隈重信像の前で斎藤(左)と記念撮影する船橋さん(提供写真)
 

船橋さん 引き際に「男らしさ」を感じた

 早実高入学式の日。帰りに早大キャンパスに立つ大隈重信像を背に、2人で写真に納まった。船橋悠さんは印象に残る二つのエピソードがある。
 一つ目は3年夏の甲子園決勝。5番ながら2度の得点機で凡退し、再試合となった。帰りのバスで延長十五回を1人で投げ抜いた斎藤に謝罪すると「何のこと?」と何事もなかったようにケロリ。その態度に救われた。
 二つ目は早大進学後。1年夏に野球を続けるか悩んでいた船橋さんに「また神宮で日本一を取ろうよ」と長文メールで説得。同年の冬に退部を決意すると「船橋の人生だから」と涙を流しながら優しく見送ってくれた。
 卒業後、船橋さんは転職支援会社を設立。多くの人の節目に立ち会ってきた。「辞めるタイミングを決めるのは難しい。男らしさを感じた」。第2の人生のプレーボールを楽しみにしている。

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