通算300試合登板達成の玉井 832登板の宮西に掛けられた言葉とは
■交流戦3回戦 日本ハム4-3DeNA(6月19日、横浜スタジアム)
延長十回のセーブシチュエーションで登板し 無失点締め
日本ハムの玉井大翔投手(31)が19日、横浜スタジアムで行われた交流戦ラストのDeNA戦で救援し、プロ通算300試合登板を達成した。チームが勝ち越した直後の延長十回、セーブシチュエーションでマウンドに上がり、無失点締め。4連勝に貢献し、節目の記録に花を添えた。
4時間15分の激闘を終えて、ロッカーから出てきた。自らの成績に無頓着な7年目右腕は気づいていなかった。「きょうで300? え?」と少し驚いた表情を見せてから「プロに入ってこんなに投げられるとは思っていなかった。それが正直なところ。よく頑張ったな、というところもありますけど、まだまだ上を目指して。宮西さんという偉大な先輩がいる。たぶん、追い付くことはできないでしょうけど、少しでも近づけるように頑張りたい」と控えめに喜びをかみしめた。
レジェンド左腕は簡単に褒めたりしない 「300試合? そんなもん…」
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この日が832試合目の登板となったベテランの宮西が偶然、隣にいた。玉井の登板数が300試合に到達したことは知らず、その場で伝え聞いた。投げ続けることの難しさを知るレジェンド左腕は、簡単に褒めたりはしない。仲良しの後輩へ、面と向かって「300試合? そんなもん、普通でしょ。300なんか当たり前や!」と辛口エールを送った。
2018年以降 毎年40試合以上登板する右の鉄腕
北海道佐呂間町出身の玉井は、新日鉄住金かずさマジックから2016年ドラフト8位で入団した。1年目の17年は24試合に登板。18年以降は、長期離脱することなく、毎年40試合以上に登板している。19年は自己最多65試合に投げた。右の鉄腕として、ブルペンを支えている。
北海道移転後の日本ハムで300試合登板をクリアしたのは、宮西のほかに、武田久、建山(現投手コーチ)、増井、谷元(現中日)がいる。いずれも、時代を彩った好投手ばかりだ。
次の目標は立てず 「1試合ずつまた積み重ねていければ」
まだ通過点だが、300試合登板は一流の証明とも言える。次の目標に触れた玉井は「500は目指していないです(笑)。無理だと思っているので。1試合ずつまた積み重ねていければなと思います」と冗談交じりに笑った。
自らの記録に欲はない。ただ、一つだけかなえたい願いがあった。遠くて近くにいる先輩の存在が、脳裏をよぎる。「宮さんは今、38歳ですよね。僕が38歳まで投げられているイメージは全然湧かない。すごすぎて、追いかける気にもなれない」とため息をつきながら「でも、宮さんより先には辞めたくない」とキッパリ言った。尊敬する背番号25がマウンドに立つ限り、玉井は腕を振り続ける。