足寄がサヨナラで決めた! 創部初の全道進出! 元F戦士の池田監督「たくましいチームになった」【北大会十勝】
■全国高校野球選手権北北海道大会十勝支部(7月1日、帯広の森)
▽Bブロック決勝 足寄8―7帯広北
1949年創部から初の全道切符
劇勝で歴史に新たな1ページを刻んだ。足寄が帯広北に逆転サヨナラ勝利し、1949年の創部以来初めて全道大会進出を決めた。序盤に失点を重ねるなど、最大5点差をつけられたが、終盤に脅威の追い上げを見せ、最後の最後に試合をひっくり返した。町の悲願を成就させた池田剛基監督(38)は「いい成果が出て良かった」と喜び、北大会に向けて「また町民の皆さんに感動を届けられるような試合ができたら」と意気込んだ。
終盤七回の2点適時打から反撃開始
最高のフィナーレが用意されていた。1―6で迎えた七回2死二、三塁から堂田悠斗投手(はると、2年)の放った2点適時打が、物語の始まりだった。三塁スタンドに詰めかけた全校生徒と足寄町民のボルテージは一気に高まり、ワンプレーごとに送られる声援は確実に相手へ圧力を掛けた。直後に1点返されたが、ひるむことなく、その裏には4連続長短打で3得点。1点差まで迫り、運命の九回を迎えた。
九回一死満塁から押し出しで同点 続く佐川がサヨナラ犠飛
相手失策で先頭が出塁すると、完全に流れは足寄に傾いた。1死満塁から押し出し四球で同点とすると、続く3番の佐川巧真一塁手(3年)が中堅への犠飛を放ち、三走の原田侑樹捕手(2年)が北大会へと続くホームベースに滑り込んだ。この試合最初の3打席全てで三振を喫していた佐川だったが、「同点で楽に打席に入れた。もう吹っ切れて、開き直って打席に立てました」と最高の仕事を果たした。
池田監督「頭の整理が追いついていない」
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
1949年に設立した足寄にとって、待ちに待った瞬間だった。斉藤新主将(あらた、3年)からウイニングボールを受け取った池田監督は「頭の整理が追いついていない」と興奮を抑えられない様子で、取材を終えると「立ってるのがやっと。疲れた」と笑った。2018年に外部指導員として関わり始めてから、6年で成し遂げた野球部初の悲願。「たくましいチームになった」と胸を張った。
監督就任後は選手の自主性を重視
20年から監督に就任したが、それまでの足寄の公式戦勝利は06年の夏が最後。そのため、身体能力や技術で良いものを持っていても、それを試合で発揮する精神力を持ち合わせておらず、「本番でテンパってしまうような」状態だったという。そこで池田監督は手取り足取り事細かに指導をするのではなく、選手たちの自主性を重んじながら「良いところをきちんと認めてあげること」をテーマに置いた。就任初年度に白星を挙げるなど、着実に経験値を積みながら、大きな成果につなげてみせた。
鵡川高時代の〝茂富イズム〟を継承
そして、鵡川高時代の恩師で19年に逝去した佐藤茂富氏の教えを受け継いでいる。「最後まで諦めないで全力でプレーする」という教えは、まさにこの日の試合に表れた。「それがかっこいいんだと選手たちも思ってもらいたい。勝ち負けを超えたところに野球の素晴らしいものがある」。点差がついても怠ることのない全力プレーが、流れを生み出したのかもしれない。
斉藤主将「次はエスコンを目指して頑張ります」
大きな目標だった「北大会出場」を成し遂げると、すぐさま次の目標を定めた。斉藤主将は「池田監督が『エスコンまでこの流れで行くぞ』と言っていたので、次はエスコンを目指して頑張ります」と、準決勝と決勝の地、日本ハムの新本拠地「エスコンフィールド北海道」を見据えた。初めて足を踏み入れる北大会でも、臆することなく〝足寄旋風〟を巻き起こす。