清宮幸太郎の連載手記『道』第2回 リハビリ中も常に前向きでいられたのは父の影響
戦線離脱中の心境 家族の存在について語る
日本ハム・清宮幸太郎内野手(24)の連載手記『道』第2回は、左腹斜筋を痛めて離脱した時の心境と、いつも支えてくれている家族の存在を語ります。さらなるパワーアップを図り、前向きに取り組んでいたというリハビリ期間。元ラグビー選手で日本ラグビー協会副会長の父・克幸氏(55)から授かった言葉、二十歳の誕生日にプレゼントしてもらった絵画を公開した。
約1カ月半のリハビリ中はテレビ観戦し あの輪に入りたかった
6月13日に約1カ月半ぶりに1軍復帰することができました。リハビリ中は、ファンのような心境で1軍の試合をテレビ観戦していました。いけー、よっしゃあって。僕がケガをしてから、みんなめっちゃ打ちましたし、すごく勢いに乗っていた。どんどん順位を上げておいてくれたら、みたいな。
もちろん、あの輪に入りたいという気持ちはありました。でも、あまり落ち込みませんでした。調子が良い時に離脱したので、今思えばちょっと余裕があったのかもしれないです。
6月13日、約1カ月半ぶりに1軍に合流し笑顔をみせた清宮(右)
ケガを繰り返さないためには
ケガする前よりも、パワーアップして帰りたいという思いが強く、ケガを繰り返さないためにはどうすれば良いかを考えていました。胸郭、股関節、背中の可動域が狭かったり、柔軟性があまりなかったりして、脇腹に負担をかけてしまったところがある。だから、ストレッチには力を入れました。
日本ラグビー協会副会長の父、慶大女子ゴルフ部監督の母
常に前向きな気持ちでいることは、父の影響を受けたかもしれません。僕が子供のころは、父が監督を務めていた実業団のチームが負けても、自宅ではケロっとしていて、落ち込む姿を見たことがありません。今思えば、すごいなと。幼い頃から、何か感じるものがあったと思います。
「ネセサリー・ロス」
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「ネセサリー・ロス」。父がよく使う言葉です。必要な負けがある、負けからしか学べないことがある、という意味ですね。早実高2年のころに教わりました。夏の西東京大会準々決勝で負けて、甲子園への道を閉ざされたころかな。それからずっと心に留めています。大事な試合で負けても、僕に絶対に必要だったと捉えるようにしています。高校時代は試合で負けて、泣いたことも結構あります。でも、野球は失敗のスポーツ。負けというか、失敗から学ぶことばかりですから。
画家・絹谷幸二さんの絵画を20歳の誕生日に贈られる
20歳の誕生日には、絵画をプレゼントしてもらいました。画家・絹谷幸二さんの作品で、札幌市内の自宅に飾っています。父は人と人とのつながりを大事にする人です。コミュニケーション能力というか、人との接し方が上手だなと尊敬しています。
20歳の誕生日に父・克幸氏から贈られた絹谷幸二さんの絵画(本人提供)
父は6月、腸に優しい玄米粉のうどん専門店「絵空事」をオープン
今は食などの健康推進事業を展開する会社の代表を務め、6月、別の会社と協業で、立ち食い玄米うどん専門店「絵空事」を東京都渋谷区にオープンさせました。僕も行きました。おいしいですよ。玄米粉は消化が良く、腸に優しい。(父の勧めもあって)僕は小麦粉に含まれるグルテンはなるべく摂らないようにしています。
LINEメッセージで背中を押してくれる母は、4月に母校で監督就任
家族には本当に支えられています。父の日の6月18日には、LINEでプチケーキセットの電子ギフト券をプレゼントしました。母もラインでよく連絡をくれます。「打てーー」というLINEスタンプが来たり、「現状に満足しないで高いところを目指して」とか僕の背中を押してくれるような言葉をたくさん掛けてくれるので本当に感謝しています。そういえば、母はこの4月に母校の慶應義塾大学ゴルフ部の女子部監督になりました。性格的にピッタリはまっていると思います。
ケガでチームを離脱した分、これからどんどん貢献したい。家族はもちろん、ファンの方々の期待に応えていきたいです。