藤井聡太時代に待った! 道産子A級棋士・広瀬章人八段に迫る㊦
道産子棋士として天才に挑む
将棋界は現在、一人の大天才を中心に回っている。藤井聡太七冠、21歳。しかし、そこに勇敢に立ち向かう北海道出身の棋士がいる。広瀬章人八段、36歳。昨年度は竜王戦で挑戦者となり、これまで7番勝負では4勝1敗が最低成績だった絶対王者に初めて2つ黒星をつけた。名人への挑戦権を争う順位戦では、最上位の10人しか戦えないA級に10期連続で在籍する。打倒・藤井の1番手集団にいる実力者に、今後の目標や対局までの過ごし方、2歳の子どもと過ごすプライベートまで、余すところなく話を聞いた。全3回連載の3回目は、出身地・北海道への思いを明かす。
小学生のときに北海道代表
広瀬八段の戸籍上の出身地は東京都。それでも、北海道出身だと胸を張る。実際に道内で暮らしたのは小学3年から6年までの4年間だが、心には今も道産子魂を宿している。
「まず、父親が北海道人で、今でも自分の祖父母は札幌に住んでいます。あとは、将棋は小学生のときにどこにいたかが重要なんです。小学生の1番大きな大会があって、昔は東京と大阪でしか開催されていなかったんですが、私のときに初めて都道府県ごとの予選が始まった。それで、北海道代表になることができました。それもあって、北海道出身と言ってもいいかなと。実際は関東生まれなんですけど、奨励会に入ったときには自分で北海道出身だと思っていました。プロフィールは最初、戸籍通り東京都出身にしていたんですけど、北海道出身の兄弟子に野月さん(プロ棋士、八段)がいて、すごく面倒見のいい先輩なんですが、その方に『北海道出身に変えた方がいいんじゃない?』ってアドバイスをいただいたこともあって、途中で変えました。東京都出身はたくさんいますし、北海道関連の仕事も多かったので」
「牧場があるような場所でのんびりするのが好き」
穏やかな性格と実力の高さを形容し、「鷹揚流」と呼ばれる。まさに、北海道出身者にぴったりの言葉だ。広瀬八段自身も、北の大地の雄大さに憧れを抱いている。
「基本的には札幌に行くことが多いですけど、北海道は雄大な土地なので、本当は帯広のようなのどかな、牧場があるような場所でのんびりするのが好きです。ただ、まだなかなか実現できてはいませんね。ずっと前に行った襟裳岬とか、海を一望できるような場所も、心がきれいになる感じがして好きです。食べ物は海鮮ものが基本的に好きなんですけど、この間は久しぶりにジンギスカンを食べたらすごいおいしかったです」
対局に負けたときはよく泣いていた
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
北海道で過ごした幼少期から、両親の影響もあって将棋にのめり込んだ。多くのトップ棋士同様、人一倍の負けず嫌い。対局に負けて大泣きすることもよくあったという。
「将棋を始めたきっかけは父親が北大の将棋部だったので、それなりの有段者で、2歳上に兄がいて、兄を教えていて自分も一緒に覚えました。小さい頃は兄がライバルでした。兄に負けたくない一心でやっていましたね。4年生ぐらいまでは勝てなかったんですけど、兄が中学に入って、勉強に力を入れ始めたぐらいから勝てだしたような記憶があります。母が教育熱心で、詰め将棋に付き合ってくれたりしていました。小学校が終わってから2、3時間ぐらいは、すすきのの道場で教わっていました。中学は埼玉の浦和の方だったんですけど、終わってから電車で1時間ぐらいかけて東京・蒲田の道場に通っていました。遠くて親には反対されましたけど、メンバーが楽しかったので。夜10時すぎに帰ってくるのは当たり前でした。行き帰りの電車は詰め将棋をやっていたので、1時間ぐらいはあっという間でしたね。ほぼほぼ毎日です。対局に負けたときはよく泣いていましたね。あまりにも泣くので受付の優しいお姉さんにハンカチを渡されたことがあります。結構きれいなお姉さんだったので、高校生ぐらいの人がうらやましそうに、俺も泣きたいなと言っていました(笑)」
北海道研修会の幹事を務め、道内の普及のために尽力
2020年からは、新たに立ち上げた北海道研修会(棋士の養成組織である奨励会の下部組織で全国で5カ所目)の幹事を務める。現役のトップ棋士は多忙を極めるが、道内の将棋普及のために月に1度ほど、会場の北海道神宮境内「直心亭」に足を運んでいる。
「他の地域の研修会は、だいたいその地域に在住している棋士が幹事を担当しているのですが、北海道の場合は在住の棋士が現役ではいないので、現状は北海道出身棋士5人(広瀬八段、屋敷九段、野月八段、中座七段、石田五段)のうち2人が、月2回行われる研修会に行くことになっています。幹事は子どもを教えることもそうですが、全体を見渡す役目でもあるので、最低限の礼儀を教えながら、将棋の技術的なことも教える。みんなが集中して将棋を指せる環境をつくっている感じです」
「将棋を続けていくための土台をつくってあげられたら」
広瀬八段の少年時代にはまだ当然、北海道に研修会はなかった。同年代の強者と経験を積むため、6年時には飛行機に乗って東京まで通っていたという。地方出身者のハンディを経験してきたからこそ、普及に向ける熱量も人一倍だ。
「自分の場合は小学校6年生のときに、半年間だけ北海道から東京に研修会のためだけに通っていました。8月にあった奨励会試験に合格した後は、9月から奨励会が始まって、一人で飛行機で通いました。それを考えると、北海道研修会ができたことで、だいぶ距離が縮まったというか、道が増えたかなというのはあります。でも、どうしても地方のハンディはまだあるので、自分の時代に比べれば、というところですね。将棋を道内で普及させたいという思いは、北海道研修会に行っている棋士全員の共通認識です。北海道からプロ棋士がどんどん出てくるようになるのが理想ではあって、実際に何人かは奨励会に入り始めています。また、プロにはなれなくても今後、将棋を続けていくための土台をつくってあげられたらと思っています」
若いときは反復が大事 新たな道産子棋士を求む
最後に、これからプロを目指す道産子たちが、どうすれば広瀬八段のようになれるのか、聞いた。
「一つ言えるのは、自分は子どもの時は終盤が強かった。若ければ若いほど、詰め将棋をやった方がいいと思う。反復ですね。子どもの時は自分に見合った手数のものを、毎日10、20ではなくて100、200は解いた方がいいと思います。やっておいて損にはならないですね。なぜ自分が棋士になれたのか、自分では分からないことですけど、やっぱり終盤が正確だったからだと思います。周りの方にそう言われるので。逆転勝ちが多かった。ある程度、才能もあるのかもしれないですけど、詰め将棋を解くのは好きだったので、そういうのの積み重ねもあったとは思います。北海道出身の棋士が現れてほしいですし、願わくば北海道研修会出身の棋士が出てきてほしいという思いはあります。女流プロを目指している子もいますし、昔から知っていて教えていた子がプロになってくれると感慨深いところもあると思いますね」
(おわり)
【藤井聡太時代に待った! 道産子A級棋士・広瀬章人八段に迫る㊤】
【藤井聡太時代に待った! 道産子A級棋士・広瀬章人八段に迫る㊥】