札幌大3年DF中村涼 25年シーズンにJ2藤枝MYFC加入内定
3年生ながら早々と進路が決定 来年は特別指定で活動
札幌大学サッカー部のDF中村涼(3年、岩手・盛岡商業高)がJ2藤枝MYFCに2025年シーズンから加入することが内定したと7月19日に発表された。24年からは特別指定選手として活動する予定だ。河端和哉監督(41)によると、道内の大学では3年生の時点でJリーグのクラブに加入が内定した選手は初だという。
持ち味はロングフィードとカバーリング
卒業まで1年半を残し、憧れの舞台へ進路が決まった。中村は「小さい頃から夢だったので、うれしい。これからがスタート。もっと頑張っていかないと。持ち味は両足からのロングフィードだったり、縦パス、あとは守備のカバーリング。J1昇格のために貢献したい」と声を弾ませた。
今年5月に練習参加 複数クラブの選択肢も「最初に声を掛けてくれた」と決断
河端監督は藤枝の強化部と交流があり、中村は今年5月に1週間、トップチームの練習に参加した。「スピード感だったりが大学とは全然違った。チーム全体が流動的に動いて、超攻撃的サッカーをするイメージ」。さらに同大の6月関東遠征で行われたJ2水戸との練習試合をクラブ関係者が視察し、そこでのプレーが内定の決め手になったという。複数のJクラブからも興味を示されていたが、「藤枝さんが最初に声を掛けてくれて、練習参加にも呼んでくれた。自分に一番興味を持ってくれた」と藤枝入りを決断した。同クラブでもチーム発足後、大学生では最速の内定となるそうだ。
河端監督の熱意に惹かれ岩手から札幌大へ
サッカーを始めた岩手・滝沢小3年から盛岡商業高まで、どのカテゴリーでも下級生のうちから試合に出ており、控えの経験はほぼない。元々は中盤だったが、中学入学後に左サイドバックに転向。3年時に約1年間で身長が160センチから170センチ後半まで伸びたことから盛岡商業高ではセンターバックに転向した。高校3年の選手権予選は県大会で敗れたが、河端監督の熱意に「サッカーに対する姿勢とか、グっとくるものがあった」と、北の大地で次のステップへ挑戦することを決めた。
1年目は挫折もメンタル面で成長
札幌大でも1年春から主力としてプレーしてきたが、大きな挫折を味わった。8月に右足内転筋を肉離れし、シーズン終了の11月まで計4度離脱。一時、チームに合流した時期もあったが、センターバックのポジションは4年生の先輩に奪われた。「初めて試合に出られない状況。その時は気持ちがちょっと落ちた」。その後は、食生活を見直してケガの再発防止に努め、周囲の励ましにも背中を押されるなどして立ち直った。「1年の時は自分のためにしかやっていなかったけど、学年を重ね、チームのためにと責任感が大きくなってきた」。メンタル面でも大きく成長し、主力の座に返り咲いた。
昨年の天皇杯では川崎と対戦しFW知念(現鹿島)とマッチアップ
昨年6月の天皇杯2回戦では、J1の強豪・川崎フロンターレと対戦して0-5で大敗した。中村は左サイドバックでフル出場し、相手FW知念慶(28、現鹿島)とマッチアップ。「Jリーグと大学のレベルの差を感じて、このままでプロになれるのか」と衝撃を受けた。ただ、「カバーリングではJリーグでも通用するのかな」との手応えもあった。直接相対することで、これまで漠然と考えていたJリーガーになるという夢が明確になった瞬間だった。
同郷の大物と同じく来年は二刀流で活躍目指す
来年からは札幌と静岡を往復する生活が始まる。「(道内)3冠を取ったことがない」と、3つのタイトルを置き土産にしていくつもりだ。北の大地で大きく成長した岩手県出身の中村が、大学とJリーグで二刀流の活躍を目指していく。
■プロフィール 中村涼(なかむら・りょう) 2002年7月20日、岩手県滝沢市生まれ。滝沢小3年時に滝沢JFCドリームで競技を始める。滝沢中ではレノヴェンスオガサFCジュニアユースに所属。盛岡商業高では1年時にインターハイ出場。3年時はコロナ禍で中止になったインターハイ岩手県大会の代替大会で優勝。札幌大1年時はインカレ道予選と総理大臣杯道予選の道内2冠。2年時は天皇杯2回戦で川崎フロンターレに0-5で敗れた。182センチ、76キロ。ポジションはDF。両利き。