札幌市出身の芸人・マシンガンズ西堀 苦しい時期を乗り越えて〝発明芸人〟に【インタビュー後編】
結成25年目 「THE SECOND」以前の芸人・西堀
5月20日に行われた「THE SECOND~漫才トーナメント~」で準優勝を成し遂げたマシンガンズが、結成25年目で再ブレークを果たしている。札幌市出身の西堀亮(48)に「THE SECOND」の裏側や、これまでの芸人人生、発明学会員としての一面、そして地元・北海道についてなど、多岐にわたって話を聞いた。全2回の後編は、「5・20」以前の芸人活動を中心に、共に苦労を重ねた戦友・オードリーや先輩芸人・有吉弘行について、コロナ禍で始まった発明品の話など、ざっくばらんに話しくれた。
この歳になって北海道の良さを感じる
―札幌には定期的に帰っているか
「それが全然タイミングがなくて、帰られなくて。最後に帰ったのは、もう4、5年前です。最近、札幌も暑いんじゃないですか?」
―東京と比べると涼しい
「でも北海道も涼しいのは釧路とか道東の方になっちゃいましたよね。もう札幌も結構、暑い、暑いって言いますよね。この歳になって、北海道の良さが前よりも分かってきた気がします」
―久しぶりに帰りたい気持ちは
「帰るチャンスは出てきそうですよね、仕事が忙しくなれば。東京に住むと北海道の良さも分かります。結構、移住先に北海道を選ぶ話とか聞きますし、住むなら札幌はやっぱり最高ですよね」
札幌よしもとのオーディションに落ちて東京へ
―芸人になったきっかけは
「高校を卒業して2、3年は北海道にいて、お笑いを始めているんですよ。『ペニーレーン24』で札幌よしもとのオーディションを当時の高校の同級生と受けて、落ちました。それがきっかけで東京に行こうと思いました。あそこでもしも受かっていれば、北海道でやっていましたし、人生違っていましたよね」
職場で冗談言いたい人が通う「ユーモア講座」で滝沢と出会う
―上京後は
「そのあと東京に来て、養成所をいろいろ探したんですけど、3カ月1万5000円とかのユーモア講座を見つけて僕が入って。(相方の)滝沢も間違って入って来て、そこで組んだ奇跡のようなコンビです。そう考えたら、最初からコケてますね(笑い)」
―他の受講者や講義内容は
「普通のおじさん、おばさんばっかりです。『人とうまくコミュニケーションを取りたい』とか『職場で冗談を言いたい』とかっていう人たちが集まって、本当にユーモアを教える、みたいな。その中でお笑いを本気でやろうと思ったのは2人しかいなかった」
「こんな8年間もスベらせて、お前ら偉そうにしてんじゃないよ!」
―キレ芸が確立したのはいつぐらいか
「コンビ組んで、フリーでやったり、他の事務所に行ったりして、最終的に太田プロに入って、結成8年目ぐらいのときに、いよいよウケないから辞めようってなって。『どうせ辞めるなら、逆に悪口言って辞めようよ』と。『こんな8年間もスベらせて、お前ら偉そうにしてんじゃないよ!』とか言って、ただ2人が正面向いて、交互に悪口を言うっていうのをやってみたんです。そしたらちょっとウケて、声掛けてくれる人が出てきて『爆笑レッドカーペット』とか『エンタの神様』とかのネタブームにつながっていくんですよね」
滝沢が清掃業 西堀が土木作業で日銭稼ぎ
―その後、低迷した期間が長かった
「ネタブームが終わって、仕事も減ってきて、滝沢が清掃業の仕事をやり出したりして。僕も何となく土木作業で日銭を稼ぐみたいな暮らしに入っていくんですよね。幸いお笑いの給料もあったので、多くても月4回ぐらい行っていたのがずっと続いていました」
―「THE SECOND」の前までも続けていた
「続けてました。まだ籍は置いてます。でも5月20日で変わりましたね、本当に」
「このままゆっくり終わっていくんだろうな」と思っていた
―苦しい期間はどのような気持ちで過ごしていたか
「楽観的に何かが起きるんじゃないかっていう気持ちもありましたけど、大部分は『このままゆっくり終わっていくんだろうな』と思っていました。特に目標もないんですよね、このキャリアになると。『M-1』もあるわけじゃないので」
身近な有吉弘行が一番怖い存在
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―太田プロの先輩・有吉弘行はどんな存在か
「特に僕はプライベートでもお世話になっているので、一番怖い存在ではありますよね。身近なだけに」
何か発明したらラジオや媒体で紹介してくれることも
―怒られたりもしてきた
「あります、あります。『何でこんなことするんだ』とかもありましたし、注意もあります。でも、それ以上に助けてくれることもありますからね。本当に先輩って感じですよね。僕が何か発明したりしたときはラジオで言ってくれたり、他の媒体でも宣伝してくれたりしますし、本当によく使われる言葉ですけど『先輩』になっちゃいますね」
―芸人での同期は
「ちょっと後輩だったりするんですけど、同じぐらいって捉えているのはオードリーとかナイツあたりですね。本当の同期で言うと、じゅんいちダビッドソン。感覚的にはちょっと友達も入っちゃってますよ」
一緒にライブをやり、酸いも甘いもを見てきたオードリー
―彼らには戦友のような気持ちを抱くか
「ありますね。オードリーなんかは特にあります。一緒にライブをやっていたし、苦労しているときも、ブレークするときも見てますから」
―日本テレビ系列のドラマ「だが、情熱はある」は見ていたか
「見てました。何か苦い味が広がりました。あのとき辛かったなとか。(オードリーの)2人が成功するって分かっているから見てられましたよ。その裏には、もっと数多くの成功をしていない経験があるわけですから」
コロナ禍で始めた発明
―発明学会会員の一面も持っている。発明を始めたきっかけは
「昔、発明学会とロケに行ったりしていて、そこで資料だけはもらっていたんですよ。手をつける時間がないから放っておいたら、コロナ禍で暇になって、断捨離したら資料が出てきて、やってみようかなと思って始めた感じです」
不平不満が多い人間は向いてる
―発想はどこから
「日頃のちょっと不満に思うところがヒントになるので、何かしら不平不満が多い人間は向いていますね(笑い)。豊かで、何でも許せる人間は発明に向いてないと思います。でも、いいですよね。世の中のマイナスなことをプラスにできるというか。誰も損しない」
―今後も発明を続けていくか
「やっていきたいと思います。毎年コンテストがあるので」
「靴洗いました!」とか聞くとうれしいんですよね
―発明監修品の「静音 くつ丸洗い洗濯ネット」が販売中
「まだ実際に店頭で売っていないんですけど、その割りには売れているみたいです。『靴洗いました!』とか聞くとうれしいんですよね。またお笑いとは違う嬉しい気持ちになります」
―靴以外も洗える
「洗えます! 洗濯機で洗える物で、音がするようなものは全部洗えます。コンセプトは手洗い1回やるんだったら、洗濯機で5回やった方が楽なんじゃないかと思ったんです。子供の上履きって毎週持って帰ってきますよね。だから、毎週洗濯機で洗えた方がいいんじゃないかなと思ったんです」
―どこから思い付いたのか
「前の発明が靴関係で、靴のことばっかり考えていたら、靴関連ばっかりのアイディアばっかりが出てくる。それで、上履きは面倒くさいみたいですよっていう意見を教えてもらって。だったら目を離してポンって洗えたら一番楽かなと思って作りました」
売れてなかった芸人の発明が製品化され感謝
―製品化までに時間を要した
「2、3年ですね。ないものを作るときは、元々あるものを転用できないので、時間が掛かるんですよ。会社は先行投資をしなきゃいけないので、やっぱり慎重にもなりますよね。でもありがたいですよ。全然出てなかった芸人の発明をやってくれるなんて」
道内のVリーグ3チーム応援します!
―Vリーグも好き
「今はあんまり見に行けてないですけど、好きです」
―自身もバレーボールを経験していた
「やっていました。中高でやっていて、東京に出てきてからは、木村沙織さんの活躍とかを見ていました。男子は勝負が早くつくというか、ブロックが飛んでいなかったら、ほとんど決まっちゃう。女子の方がつながるんですよね。それで面白いと思って見に行き始めましたね。ハマっているときは春高バレーも見に行きました」
―北海道には男子の「ヴォレアス北海道」、「北海道イエロースターズ」と女子の「アルテミス北海道」の3チームがある
「増えていくことは良いことですよね。サッカーみたいになっていくのが一番です。意外とバレーボールは市民団体のチームが少ないですよね。市で盛り上げる風になっていくと、もっと良いかもしれないです。そっちの方が絶対良いんですよ。北海道なので応援します!」
(おわり)
■プロフィール 西堀亮(にしほり・りょう) 1974年10月4日生まれ、札幌市出身。石狩南高卒業後、お笑い芸人を目指して上京し、相方の滝沢秀一と1998年にマシンガンズを結成した。2003年から太田プロダクションに所属。07、08年「M-1グランプリ」準決勝進出。12年「THE MANZAI2012」の認定漫才師50組に選ばれる。20年、発明学会「身近なヒント発明展」にて優良賞を受賞。23年「THE SECOND~漫才トーナメント~」グランプリファイナルで準優勝。