特集
2021/10/26 09:51

【アーカイブ・2020年連載企画】逆境を乗り越えよう⑤  ひがし北海道クレインズ・上野 諦めなければ光が見えてくる

2度の所属チーム廃部を乗り越え

 特別企画「逆境を乗り越えよう」の5回目は、アジアリーグ・アイスホッケーの東北海道クレインズFW上野拓紀主将(34)。西武プリンスラビッツ、日本製紙クレインズと2度の廃部を経験。何度も心が折れそうになったが、アイスホッケーを通じて学んだ「諦めない気持ち」を忘れず、大きな壁を打ち破ってきた。真価が問われるプロチーム2年目に向け、オフシーズンも休むことなく、走り続けている。
(本連載企画は2020年に掲載されたものです)

営業活動を掛け持つアスリート

 プロチーム1シーズン目は、スポンサーを集める営業マン、表情で戦うアスリートとして奮闘した。上野は「多くの人の支えでチームが成り立っていることをより一層感じた特別なシーズン。結果で恩返しができず、悔しい気持ちでいっぱい」と唇をかみしめた。

大卒後の内定先が突然廃部に

 2008年12月、大学卒業を目前に控え、内定先の西武プリンスラビッツが廃部することを聞かされた。「この先どうなるんだろう」と頭の中が真っ白になり、毎日不安で眠れなかったことを今でも鮮明に覚えている。当たり前のことが当たり前にできる幸せ、好きなスポーツを思う存分プレーできる喜びを強く実感した。

 国内外2チームを渡り歩いた後の15年、移籍したのは日本製紙クレインズ。高校時代を過ごした街の思い入れのあるチームだった。しかし、18年に廃部が決まった。「まさかアイスホッケー人生で2度も廃部を経験するなんて思っていなかった。ただ、西武の時よりは冷静に受け止められたような気がする」と当時を振り返った。

アイスホッケーの灯を消したくない

 苦難が続く中でも、氷都からアイスホッケーの灯を消したくない、諦めなければ光が見えてくるという気持ちだけは常に持ち続けている。

 今シーズン限りで、日本製紙からの出向選手に対する人件費は打ち切りに。新たなスポンサー集めが必須で、険しい道のりが続く。「1年目は良い意味でも悪い意味でも注目されたシーズンだった。ここからが正念場。新チームの発足が決まったときのように、今度は結果を残して喜びを分かち合いたい」と決意を新たにした。(島山知房)


■上野 拓紀(うえの・ひろき) 1986年(昭和61年)4月8日生まれ。長野県出身。武修館高-早大と進んだが、入社が内定していた西武プリンスラビッツが廃部。2009年にプロ選手として韓国・ハイワン入りした。11年に日光アイスバックス、15年に日本製紙クレインズに移籍。14-15シーズンは48試合で40ゴール40アシストを達成し、得点王&ポイント王に。アジアリーグ通算243ゴールは史上1位。
(2020年4月19日掲載)

関連記事一覧を見る

あわせて読みたい