北海 2016年の準V戦士が後輩にエール 「決勝の舞台で試合やるのを見たい」
あの快進撃から7年 16年のレギュラー2人が当時を述懐
2年ぶり全国最多40度目出場の北海が10日の1回戦で明豊(大分)と対戦する。2016年夏、新チーム発足直後「同校野球部史上最弱」と評されたメンバーが初の決勝進出を成し遂げた。あれから7年。当時3年で二塁手だった菅野伸樹さん(25)と、同2年で左翼手を務めた井上雄喜さん(24)が初戦を迎える後輩にエールを送った。
チームが甲子園入りして、静まりかえった母校のグラウンド。3年間野球に明け暮れ、汗と涙が染みこんだ思いでの場所で、2人が一番熱かったあの夏を振り返ってくれた。菅野さんは「俺らの時よりは力はある。今度は決勝の舞台で北海が試合をやるのを見たい」。井上さんは「越えてほしい。けど簡単に越えられちゃうと…(笑)。いける力はある」。OBの一人として、後輩に声援を送る。
チームで唯一の全試合ヒット 菅野さん「甲子園でもやれるじゃん」
菅野さんは、初戦2回戦の松山聖陵(愛媛)戦で二回に先制打を放ち、快進撃の火付けとなった。その後も決勝までの4試合でヒットを放ち、チームでただ一人、全試合で安打をマーク。守備でも大会を通じて無失策と攻守に渡ってチームを支えた。
「甲子園で1回戦に勝った後、『やれるな』っていうか『甲子園でもやれるじゃん』って思って。そっからは全然、負ける気しなかった。魔法にかかっていたというか、そういう感覚でしたね。劣勢になっていても、負ける気しなかった」。チーム全体がいわゆるゾーンに入っていたという。
接戦に強く後半勝負 自身の代と重なるスタイル
菅野さんの世代は、新チーム発足の秋は札幌支部初戦で敗退。「僕らの時は力がなかったので、いつの代を見ても、僕らの時よりは強いなっていうのは思う。今年は、似ているなって感じる。ピッチャーがある程度まとまっていて、僕らの時もうまく点数が取れてなかったんですけど、今年もなんか残塁が多いなと(笑)。取れる時に取れてなくて、粘って後半勝負でなんとか1点、2点取ってっていう試合が、今年は多かったかな。僕らの時もそうだった」と当時とダブって映っている。
初戦で眼窩底骨折の井上さん 復帰は決勝舞台
井上さんは甲子園に苦い思い出がある。打撃を武器に1年春にベンチ入り。16年は背番号7で甲子園メンバー入りした。しかし松山聖陵戦後の練習時に、ボールが左目付近を直撃し、眼窩(がんか)底骨折。3回戦以降は出場できなかった。
2度目の出場は、作新学院(栃木)との決勝戦。1-7で迎えた九回1死一塁で代打出場した。併殺崩れで出塁して二塁まで進むと、今井達也投手(現・西武)の暴投の間に三塁を狙ったが、憤死。夏が終わった。
自身の走塁死でゲームセット 「あんまり覚えてないんです」
「結果が出ていなくて、状態も良くなくて。落ち着いて、いつも通りプレーできる感じじゃなかった。甲子園って1点入れば、それで流れが変わるから、とにかく1点取るためにって思っていた。あの場面は、リリースの瞬間『絶対ショーバンだ』って思ってスタート切っちゃったんすよね。そしたら、もう止まれなくて。そこから、あんまり覚えてないんです」。翌夏も甲子園に出場したが、1回戦で敗れ、リベンジは果たせなかった。
熊谷に受け継がれた長尺バット 今夏の南大会で大爆発
井上さんが当時使用していた86センチの長尺バットは今夏から熊谷陽輝一塁手(3年)が受け継いでいる。井上さんと同じように短く持って、南大会1回戦から3試合連続アーチなど、この夏6試合で5本塁打。打率は驚異の打率.762を誇る。鬼に金棒、打ち出の小づち状態だ。
メーカー調べでは、昨年の甲子園で使用されたバットの長さは83センチが6割、84センチが4割を占め、86センチは希少品。南大会中にそのことを知った熊谷は「大事にします」と言い、井上さんも「ありがたいですね」と目を細める。
それぞれの道を歩む2人 まずは7年ぶりの聖地1勝を願う
井上さんは卒業、東洋大に進んだが、ケガもあり3年で自主退学。「野球人生を諦めざるをえない人を生みたくない」と、今は札幌の専門学校に通い、柔道整復師と鍼灸(しんきゅう)の国家資格取得を目指している。「十分に勝てるチームだと思う。特別なことをやろうとするんじゃなくて、今までやってきたこと発揮できるような試合にできれば、勝ちはついてくる。気負わず楽しんでやってほしい」とエールを送る。
菅野さんは系列の北海学園大に進み、4年時には主将を務めた。現在は同大に就職。事務職員として勤務する。1回戦を勝ち抜けば、2回戦から甲子園に駆け付ける予定で「勝ってもらわないと困ります」。チームは2016年の準決勝から甲子園での勝利はないが、7年ぶりに試合後に校歌が流れることを信じて疑わない。