清宮幸太郎の連載手記『道』第3回 甲子園球場は野球を始めたきっかけの場所
青春の思い出が詰まった高校球児の聖地を語り尽くす
日本ハム・清宮幸太郎内野手(24)の連載手記『道』第3回は、野球人生の原点となった夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)を語ります。早実高1年時の2015年には、怪物スラッガーとして聖地を席巻。骨折しながら放ったホームランなど、青春の思い出秘話を明かした。
※連載手記『道』は、北海道新聞の紙面でも要約版がお読みいただけます。今回は8月22日付の新聞に掲載しています。
2006年の決勝再試合を生観戦 「心がかき立てられました」
夏の甲子園はいよいよ23日、決勝ですね。高校野球って面白い。「そんなドラマ起きる?」って興奮を誘う試合も多いですよね。甲子園球場は野球を始めたきっかけの場所です。人生が変わった場所とも言えます。ホントに大好きな場所です。
早実初等部1年だった2006年、家族、友達と一緒に、早実-駒大苫小牧の決勝再試合を現地観戦しました。早実の斎藤佑樹さんが九回を抑え、初優勝した瞬間はよく覚えてます。もともと野球が好きでバッティングセンターに行ったりしてましたけど、チームには入ってなかった。心がかき立てられました。「僕も甲子園に出たい」って。その後、軟式野球チームで野球を始めました。
忘れられない1年夏の西東京大会決勝
甲子園出場の目標は1年の15年夏にかないました。高校球児の聖地への切符を手にした西東京大会決勝は忘れられません。5点差からの大逆転勝ち。八回に点が入って、早大の応援歌「紺碧の空」が流れ出してから雰囲気がガラッと変わりました。神宮球場が地鳴りのような歓声に覆われ、ベンチでも振動を感じた。衝撃でした。
エネルギーとなった「清宮フィーバー」
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甲子園大会は、臨時電車が出たり、球場周辺が早朝から人でびっしりですごかった(注1)。注目されてうれしかったですね。注目されなくなったら終わり、期待してくれているって、エネルギーになりました。
聖地にかけた2本のアーチ 初本塁打は「かけがえのない一発」
甲子園初打席、まったく緊張しなかったのを覚えてます。準決勝までの全5試合で本塁打は2本。3回戦の東海大甲府(山梨)戦で打った1本目は、野球人生でかけがえのない一発です。ライトフライかなと思いました。けっこう伸びて、入ったみたいな。
骨折した手で叩き込んだ2号 「アドレナリンが出ていたのかな」
2本目は準々決勝の九州国際大付戦。第2打席で放った。実は1打席目でピッチャーゴロが詰まり、左手親指を痛めていました。第2打席の前に素振りしたんですが、今、映像で見返すと、すごく痛そう。でも、打てました。捉えた瞬間、行ったなと感じた当たりでした。
めっちゃ痛かったけど、アドレナリンが出ていたのかな。大会後は、高校日本代表に選ばれて、秋季東京大会にも出ました。だいぶ時間がたっても痛かったので、11月に病院に行ったら剥離骨折していました。
ともにプレーした仲間とは一生の付き合い
甲子園では悔しい思いもしました。準決勝の仙台育英戦は、0-7と圧倒されたなって。3年生の先輩たちと一緒にプレーできなくなると思うと、ホントにホントに寂しかった。めちゃめちゃ良い人たちで優しくて、相当気を使ってやりやすい環境をつくってくれていた。今でも、しょっちゅうその代の先輩たちとはご飯に行きます。
今も興奮する甲子園での試合 目指した日々は人生最高の1ページ
グラウンドの土は持って帰りませんでした。また来るし、みたいに思ってました。結局、夏の甲子園はこれが最後。春は3年時に出場しました。プロの今も甲子園で試合をすると興奮します。特別な雰囲気がある。
甲子園に出場すれば、人生が変わるし、一生語れる思い出ができる。出られなくても、甲子園を目指し、仲間と汗をかく経験はなかなかできない。甲子園って、青春。球児の皆さんの人生最高の1ページになればいいな。
※注1 大会前から脚光を浴び「清宮フィーバー」と呼ばれた。甲子園球場は連日満員。阪神電鉄は最寄りの甲子園駅まで臨時列車を走らせて対応した