北大会準Vの旭川明成左腕エース・千葉隆広がプロ志望届提出「オーラがある絶対的な存在になれたら」
北北海道大会決勝で0-1敗戦
プロ野球のドラフト会議が10月26日に東京で行われる。道新スポーツWEBでは、プロ志望届を提出した道産子球児を随時取り上げる。第1回は北北海道大会で準優勝した旭川明成高の左腕エース・千葉隆広投手(3年)。最速144キロの速球と制球力のあるスライダー、チェンジアップを武器に、創部26年目で初の甲子園まであと1勝に導いた。指名されれば同校からは初めてのプロ野球選手誕生。期待に胸を膨らませる18歳が現在の率直な心境を明かした。
「12球団どこでも歓迎です」
プロ志望届の提出に一切の迷いはなかった。2年の冬に決意は固まっていた。「完全に言い切ったのは3年の春。12球団どこでも歓迎です。野球をしている人なら多分全員がやってみたい一番レベルの高い場所。本気で野球に取り組める環境が自分の中でもとても楽しみ」。育成でもOKの構えで運命の日を待つ。
体づくりからやり直すと才能が一気に開花
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2年冬、体づくりを一からやり直した。いったん体重を増やし、それをキープしたまま体脂肪を減らしていった。秋に130キロ台中盤だった球速は雪解け時期に130キロまで落ちた。しかし、焦りは無かった。
転機は4月。鳥取に本部のある〝イチロージム〟こと初動負荷理論を実践するワールドウィングで行われた短期合宿に参加。帰ってくると同月の練習試合で初めて140キロ台になり、夏までに144キロ。「3年生に入ってから球速が一気に伸びて、140ぐらい出る感覚が少しわかってきた。自分の中でも体の使い方とかまだバラバラな感じがあって、やっぱり鍛え直してしっかり正しい方法で筋肉をつけていけばもっと安定して楽にスピードが出る」と自身の伸びしろを感じている。
制球力と1球ごとに違うスライダーが武器
複数のNPBスカウトが注目するのは、球速よりも制球力だ。直球はもちろん、スライダーやカーブなどの変化球でもカウントボールにできる。特にスライダーは1球ごとに微妙に握りを変え球筋に小さな変化をつける器用さも兼ね備える。北大会決勝まで4試合に先発し、30イニングで自責点4の防御率1.08、与四死球8で与四球率は2.4と好成績をマークした。
「大学と日本ハムのどっちがいい?」小学3年で父親に問う
父で監督の広規さん(46)は息子の選択を後押しする。「小学校3年の時、ふと隆広が『高校を卒業したら、大学か日本ハムのどっちがいい?』って、僕にぶつけてきた」と当時を振り返る。それに対して「プロは呼ばれるところ。呼ばれなかったら大学で頑張ればいい。順番はどっちでもいい」と諭したそう。「もうそこで家族会議は終わってます」。
さらに北大会準決勝と決勝の2試合は日本ハムの本拠地、エスコンフィールド北海道。プロのマウンドも経験した。「そういう場所への憧れはあったので。実際に自分が行ってみて、もっとプロ野球チームに入りたいなって感じました」と話す。
理想の投手像はDeNA今永
理想の投手像は、DeNAの今永昇太投手(30)。「同じ左ピッチャーっていうのが一番大きい。安定感あるピッチング。まっすぐで押し切れるところは押し切れるし、見ていて気持ちいい、安心して見られるオーラがある。自分も絶対的な存在になれたら」。将来、NPBのマウンドで投げる姿をイメージしながらドラフト当日を待ちわびる。
■プロフィル 千葉 隆広(ちば・たかひろ) 2005年5月15日、鷹栖町出身。2歳の時に、永山ちびっ子野球クラブで競技に触れる。鷹栖小では投手、遊撃手、外野手など複数を経験。鷹栖中では硬式の旭川北稜シニアで投手と外野手。旭川明成高では1年春から背番号8でベンチ入り。1年秋から6季連続で道大会に出場。3年夏は初の決勝進出を果たしたが、クラークに0-1で敗れ準優勝に終わった。家族は両親と2人の姉。175センチ、77キロ。