【一問一答】鉄腕リリーバー宮西 〝戦友〟谷元へ惜別「2人でゲボ吐きながらやっていたのが一番の思い出かな」
日本ハムの宮西尚生投手(38)が13日、2軍戦に登板後、引退が報じられた元チームメートで現中日の谷元圭介投手(38)との思い出を振り返った。一問一答は以下の通り。
―谷元はどんな先輩で、どんな思い出があるか
「年は1個上やけど、ほぼタメ語やったし、そういう環境をつくってくれる優しい先輩やったし、頼りになったよね。今でいう玉井やろうけど、先発でも何でもこなせたし、スクランブルも行けたし、ピンチからでも行けたし、ほんまに万能にできる。器用でユーティリティな、貴重な仕事をずっとしてくれていたもんね。16年の優勝の時は胴上げ投手にもなっている。あの時はマーティンが夏に足首をけがして、僕と谷元さんの2人で八、九回を必死こいて投げた。あれが今までで一番しんどかったもんね。状況も(首位を)争っていたから、毎日2人で嗚咽(おえつ)しながら、2カ月ぐらい過ごしていた。どっちが(先にマウンドに)行くか分からんっていうのもあったし、増井さんもその年は前半、状態が悪くて、先発に転向になってっていう状況やったし。あの16年の8月からの2カ月、優勝、日本一になるまで、ほんまに2人で苦労したなっていう思い出が一番あるかな。一番印象に強いね」
―戦友のような関係だった
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「ほんまに、まさに戦友。七回いつも行ってくれて、自分が八回に行って、増井さんが九回に行ってっていうのを何年も続けた。俺の前には絶対、タニモンが投げていたから、その後に投げなかったら、ソワソワする感じだった。やっぱりリリーフって、前のイニングに行ったピッチャーの信頼度というか安心感ってすごい大事で、だから谷元さんが七回行ってくれますってなった時に、打順を逆算して、谷元さんやったらこんだけで抑えてくれるやろうって計算が立つから、次に自分が対戦するバッターをイメージしながらブルペンでつくれるっていう、そのぐらい信頼していた。だからあの時の谷元さん、増井さんとの3人は戦友っていう感じやったな。でも一番はあの16年の8月から。あれはほんまに2人でゲボ吐きながらやっていたね。接戦ばっかやったし。それが一番の思い出かな」
―寂しさも大きいか
「ほんまにね。それこそ増井さんも引退したし、谷元さんも引退、(大野)奨太も引退して、俺の周り、ほんまにおらんくなるなっていうのは感じるよね。寂しくなるけど、そればっかりは、絶対に誰もが迎えるもんやしね。バイタルネットからテスト受けて(ドラフト)7位で入って、ここまでやるっていう根性と気力と体の強さと。身長のこともよう言われていたし、その中でも体は強かったし、すごい成績残した。納得して引退してくれていたら、いいなと思うよね。踏ん切りつけてくれていたら。こっちはほんまにお疲れさまでした!ってなるしね。でも何かしらみんな、どれだけ満足したっていっても悔しい思いはあると思うよ。やっぱり常に活躍して最後は終わられへんから。人生と一緒じゃないかな。はじめは苦労して、中盤良くなって、年取って子どもに戻っていくみたいなことよく言われるじゃん。野球界もそうだと思うよ。最後までやった人は、はじめは苦労して、やっと1軍の座を奪って、高いところに行けて、最後は体力とかパフォーマンスが落ちてきて、もう一回苦労しないといけない。いろんな違う意味での苦労、メンタル的にも。まあでも、寂しい思いはあるけど、先輩方を送り出せたって思ったのは良かったかな。増井さん、谷元さん、先に送り出してあげられたっていうのは、良かったかな」
―後輩の方が先に引退することもよくある世界
「ね。頑張ってるわ、俺も(笑)。最近、後輩ばっかり辞めていっていたから。最後、近くでやっていた人は全員、先輩方を送り出せたと思うから。賢介さんも鶴さんも金子さんもそうやったし、稲葉さんとか、増井さん、谷元さん。全員をちゃんと見届けるまでやれたのは良かったなと思う。先に辞めるよりも。世話になった先輩方を、送り出せたっていうのは、なに冥利(みょうり)やろ、後輩冥利に尽きるよね」
―その人たちの思いを背負って投げる
「そうやね。そういう思いもあるんで、1年でも長く活躍できれば。この年になると思うのよ。年の近い後輩とか、どんどん先に辞めていって、俺引退する時、誰も仲良い人おらんやんって、たまにふと思う時がある。そういう思いは嫌やんか。だからそういう意味では全員を送り出す身近な後輩でいられたのは良かったよね。本当にお疲れさまよね。ほんまに谷元さんはすごい。まだ全然できると思うけど。それもね、踏ん切りつけたことやろうし。引退試合するんかな。見に行けたら、ほんまに見に行きたいな」