宮西 偉業の陰に葛藤「14年間で一番しんどい50試合だった」
本紙単独インタビュー
偉業達成の裏には葛藤があった―。日本ハム・宮西尚生投手(36)が本紙の単独インタビューに応じ、入団から14年連続の50試合登板を達成した心境を激白した。プロ入り後、初めてという不調に陥った今シーズン。どん底から好調に転じたきっかけや、記録が途絶えることを覚悟し、ファンや周囲の言葉に奮い立ったエピソードを明かした。(聞き手・中田愛沙美)
涙の記録更新
26日の今季本拠地最終戦で栗山監督からマウンドでボールを受け取り、涙ながらに達成した14年連続の50試合登板。自身の持つパ・リーグ記録を更新し、宮西はほっと一息ついた。
「14年間で一番しんどい50試合だった。『もう終わり』とか、『もう年でしょ』とか言われて、俺も人間やねんから、調子悪いときもあるわいって。でも、プロである限り、年齢のせいにしたら駄目だと思う。年齢重ねると体が動かなくなるよとフォローを受けても、気が休まらなかった」
序盤に救援失敗が続き、出場選手登録を抹消。勝ちパターンを外れ、登板間隔が空き、悪循環に陥った。ようやく希望の光が差し込んだのは7月。力は衰えている気はしないけれど、体が思うように動かない。昔からお世話になっているトレーナーに電話でぶちまけた。
「『年齢は関係ある』とスパンと言われた。年を取れば、可動域は硬くなりやすい。柔軟性のトレーニングにシフトチェンジしないといけないと話してもらった。納得したというか、年齢は受け入れないといけないなと思ったよね」
元々体は柔らかい方だが、年齢を重ねるごとに硬くなり可動域は狭くなる。練習方法を見直し、ストレッチに費やす時間を増やした。徐々に本来の姿を取り戻しつつあったが、気持ちは切れかかっていた。このまま投げ続けても、記録の価値を下げてしまう。そんな葛藤があった。
「俺の中では前半戦の途中くらいから諦めていたけれど、ファンレターを読むと『50試合頑張って』、『もう、それしか楽しみがない』と書いてある。周りの人もそうだし、ファンの人もそう。喜んでくれる人がいる限り、投げられなくなるときまで、どんな状況でも目指さなあかん、ってすごい思った」
五輪中断期間中で悩まされていた下半身のコンディション不良は回復。周囲の後押しもあり、偉大な記録はつながった。来季は岩瀬仁紀(元中日)が持つプロ野球記録・15年連続50試合登板を目指すことになる。
「ホンマの勝負。来年こうであったら、いくら監督が投げてくれって言っても、100%辞退する。しっかりと勝ちパターンに戻って、50試合達成するっていうのが本来の目標。今年の50試合に意味を持たせないといけない」
さらなる高みへ。記録継続の危機を乗り越えた宮西の目は、ギラギラとした輝きを放っていた。