【北海40度目の夏・驚異の粘りを探る】③明豊戦で先発&中継ぎ&抑えとフル回転した熊谷陽輝投手(3年)
3枚看板の1人として活躍
北海3枚看板の1人として投打に大活躍した背番号3の熊谷陽輝投手(3年)。甲子園1、2回戦では平川敦監督(52)就任後初となる超小刻み継投の起用に応え投手陣を支えた。
「取られても次の回にしっかり点数を返していた」のが勝因
1回戦明豊戦は3投手で4度の投手交代が行われた。その中で熊谷は先発、中継ぎ、抑えと3度登板し合計7イニングを投げ2失点(自責1)。「投手陣を中心に最少失点で抑えて、粘って、取られても次の回にしっかり点数を返していた。勝った2試合がそうなんですけど、すぐ取り返せてたことが、一番、勝利の原因だったのかな」。投手陣の踏ん張りに、打線全体がコツコツと点数を重ね勝利をたぐり寄せた。
監督から「後はもう、おまえだけで行け」と告げられ覚悟
2年前には上がることのなかった、まっさらな甲子園の初マウンド。熊谷は立ち上がりを三者凡退で好スタートをきった。二回は先頭から連続安打でピンチを招いたが、1死一、二塁から二ゴロ併殺で無失点で切り抜けた。三回、先頭に内野安打を許すと投前犠打で1死二塁とされ、左の長内陽大一塁手(3年)にスイッチ。熊谷は一塁の守備に就いた。
2度目のマウンドは1点ビハインドの四回。1死から安打を許したが後続を打ち取り無失点。五回からエース岡田彗斗(3年)にマウンドを託し、再び一塁の守備に就いた。
3度目は同点で迎えた七回。岡田投手が長短3安打などで3失点しなお1死三塁のピンチの場面。平川監督から「後はもう、おまえだけで行け」と告げられ「覚悟を決めた」。暴投で1点を失ったが最少失点に切り抜け、延長十回まで3回⅔を1失点(自責0)で抑えて見せた。
九回裏の同点時、沸き上がる選手たちの中に姿なし
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実は2点ビハインドの九回2死からの同点劇。沸き上がる選手たちの中に熊谷の姿はなかった。「みんな騒いでたんですけど、自分はなんか喜べなくて。ピッチャーの方に気持ちを持ってかなきゃいけないんで、そこで一喜一憂している暇がなくて。いつもは『ヨッシャー』とか結構声出したりしてたんですけど、ベンチの後ろで黙って座ってました。あの時、一喜一憂しないで集中できたことでしっかり冷静になれた。十回は1点取られても、その次の打者をしっかり抑えられたと思っているんで、九回のベンチの過ごし方は良かった」。一瞬たりとも油断することなく、気持ちをしっかり整理して投球に専念した。
試合前のとろろソバで「粘り勝ち」の験担ぎ
粘りの要因は、夏の大会から試合前に補食で食べ続けてきたコンビニのとろろソバだ。それまでは、おにぎりやラーメンだったが「夏の前に何か一つに決めようと思っていた。たまたまなんですけど、学校の正門前のコンビニで見つけた」。試合会場入りすると、持ち込んだとろろソバを食べて英気を養った。具はとろろの材料の大和芋に加え、オクラ、なめことネバネバ系。中でも大和芋はスタミナ源としても知られており「その食べてきた結果が、甲子園での粘り勝ちに少しつながったんじゃないかな」と証言する。
2回戦前にはとろろソバがスタメン発表を兼ね
熊谷の験担ぎにチームも相乗りした。甲子園入り後、初戦の明豊戦前には立島達直部長(33)がコンビニへとろろそばを買い出しに行った。宿舎の料理長が熊谷から聞き取り調査をして再現してくれて、2回戦の浜松開誠館戦の朝食バイキング時に9人分を用意。これがスタメン9人に配られ、スタメン発表を兼ねることになった。さらに熊谷はこれまで通りに試合前の〝とろろそばルーティン〟も続行。1回戦に続き超小刻み継投の中、同点の八回から4番手で登板。九回にも6番手でマウンドに上がり、初戦にあった戸惑いもなく3人で5度の投手交代を乗り切った。
3回戦では左中間最深部へ豪快な一発
4-10と敗れた3回戦の神村学園戦では、打者として豪快な一発も披露した。183センチ、93キロの強靱(きょうじん)なフィジカルから繰り出されるスイングは、86センチの長尺バットを一握り短く握っても破壊力抜群。1ボールからの2球目甘い直球を左中間最深部へ運んだ。「個人としては一番記憶に残っている」。北海道を代表するスラッガーとしても甲子園に爪痕を残した。
神村学園に計10失点したリベンジは国体で
今春のU-18日本代表候補合宿に投手として選出されたが、利き腕の右肘のケガで辞退。大学で二刀流の活躍を目指し4年後のプロ入りに挑む。10月8日に開幕する国体は高校最後の戦い。初戦の神村学園戦では、熊谷は3失点、投手陣として10失点したリベンジがかかる。「やるからには勝つ」。先発でも中継ぎでもどんとこい。どんな形でもチームの勝利に貢献してみせる。