【一問一答】今季で引退するレバンガ北海道のSF/SG桜井良太「ずっと北海道で過ごしていきたい」
B1レバンガ北海道の元日本代表SF/SG桜井良太(40)が今季で現役を引退する。2007年に北海道初のプロバスケットボールチームとして誕生した前身のレラカムイ北海道に折茂武彦(53、現クラブ代表)とともに入団。チームの消滅などを乗り越え、北海道で17度目の開幕を迎える。10月7日のリーグ開幕戦を前に、北海道で過ごした思い出やラストシーズンへの意気込みを語った。一問一答は以下の通り。
引退決意は今年の2月「こんなに動けてないんだ」
-引退を決めたのはいつで、理由をあらためて。
「今年の2月くらい。今でもまだまだ続けたいなっていう気持ちはあります。昨季は15分から10分ぐらい出ることが10試合ぐらいあった。だいぶ動けてきた、試合感が戻ってきた感覚がある中で、次の週に前の週のスカウティングビデオで自分の動きが出た時に『こんなに動けていないんだ』と自分の感覚より全然動けてないのを見た時に、この動きではB1の12人のロースターの中の1人になっているのは、ちょっともう限界があるなって感じたのも理由の一つ」
折茂からは「おまえが決めることだからな」
-最初に相談したのは?
「相談しなかったですね。もう報告という形で、折茂さんに引退しようと思ってますって話をしたら『まあ、そうか。まあ、おまえが決めることだからな』っていう形でしたね」
-競技を始めるきっかけをくれたお姉さんや両親、家族の反応は?
「いろんな声がありますね。『今までお疲れさまでした』っていう声とか『もう1シーズンできないの?』っていう声とか。いろいろありましたけど、みんなお疲れさまでしたってのが多かったですかね。もう1シーズンできないのって言いながらも、よくここまでやったよねっていう声が多かったですね」
強い時期があまりない中、それでも優しく見守ってくれた
-北海道生活が、18歳まで過ごした三重と同じくらい長くなった。思い出深いことは?
「今17年北海道なので、結構近いものになっていますね。来る直前はもうすごい遠いところに行くなってイメージだったんですけど、2、3カ月住んだら、夏はTシャツ短パンに手ぶらでも日帰りで東京に行って帰ってこれるぐらいの感覚になった。全然遠くない。土地柄としてはものすごい親切な方が多くて、バスケットに興味ない方も応援してくれようとしたりとか、みんなが声をかけてくれたり。ファンの人もそうですね。当時、レラカムイ北海道というチームで途中でレバンガになりましたけども、強い時期があまりない中、応援してくれる人の方がきついだろうなってやってる方としては思うけども、それでも優しく見守ってくれた。一番感じたのはレバンガがB1に参入する時。現場の僕たちよりも一生懸命レバンガをB1に入れようという動きをファンの方がしてくれたとすごく感じたので、その時から今も変わらずずっと最高の土地だなって感覚です」
折茂との出会い「主張がものすごい強い人」
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-愛知学泉大学卒業後の2005年、旧JBLのトヨタ自動車アルバルクに入って、初めて折茂武彦代表と出会った。
「僕がアルバルクに入るまで、折茂さんのこともそこまで知らなかったんですよね。折茂っていう名前はもちろん月刊バスケットなどで見たりとかしてはいたんですけど、じゃあどういうプレーヤーかというのは知らなかった。アルバルクに入って見たときにこんなにシュート入る人いるんだって正直思いました。人間的には自分の主張がものすごい強い人だなとすごい感じました。エゴが強いと言うか、俺はこう思ってる、こうやれよっていうのが今まで会ったことないタイプだった。そこから仲良くなって、一緒に北海道でもってなったんですけど、今振り返ると生意気なことも言える関係になって、そういう関係を作ってくれたのはやっぱり折茂さんの方。折茂さんがそこを許容してくれないとそういう関係にはならない。そういう意味では、僕のことを大人というかうまく甘やかしてくれた。ものすごい距離が近いので、腹立つこともいっぱいありますし何言ってんのよってところもありますけど、僕だけじゃなく北海道にバスケットチームを残してくれた。北海道でバスケットがやりたい選手に対して、その場を作ってくれた。自分の資産を投げうってやってくれたこと。そこに関しては何も言えない。ありがとうございます」
合計4回の足首手術「痛くて跳べない」
-2016-17シーズン終わりなど、左足首を何度も手術した。
「手術は北海道にきてすぐの時に1回やっているので、合計4回じゃないですかね。両足の時もありました。(高校時代はできたダンクも)今は全く跳べないですね。もう痛くて、踏み切って跳ぶってことができない」
連続試合出場の兼ね合いでチームに迷惑かけた
-いつごろから満足のいくプレーが難しくなり始めたのか?
「6、7年前です。チームにほんとに迷惑かけましたね。プレーヤーとして全く動けてない状況の中でも、試合に出てたりしていた。連続試合出場の兼ね合いもあったりとかもしたんですけど、正直、僕はものすごいチームに迷惑かけた。(具体的には)速さ、キレの部分ですね。跳べないのは分かっている。切り返しの時の速さが想像よりも遅くなったり、ディフェンスでついていくときの動きがスムーズではない。そういうところですね」
「ディフェンスのスペシャリスト」が自分の生きる道
-四日市工業高時代は「リアル流川」と呼ばれた
「このトップリーグに入ってくる選手は、元々各チームのエースで点取り屋が集まって来ていた。当時僕が入った頃は8チームしかなかった。今でこそ何十チームってありますけど、チームには僕より得点を取る能力に優れた選手があまりにも多すぎて、ヘッドコーチから『桜井はこのチームでディフェンスのスペシャリストになってくれ』って言われて、自分の生きる道が見つかった。早い段階でプレースタイルをシフトチェンジした。そこからポイントガードやったり、体がちょっと動かなくなってきたなって思った時にスペインのピティ・ウルタドコーチが来て、ピックアンドロールの使い方をすごい教えてくれた。それから自分の1対1でガムシャラに体を動かしてとかじゃなく、本当に戦術的なスクリーンをしてもらって、それを使いながらロールに出したりとかバスケットを教えてもらった」
日本のバスケットが結果を残した現場を見ることができたのは感慨深い
-今年の夏に沖縄でW杯が開催。2006年の世界選手権には日本代表としてプレーした。確実に次世代にバトンは渡った。
「僕が世界選手権に出た日本代表の頃はバスケットは今よりもマイナーな競技だった。予選グループでパナマに1勝して、一瞬だけ盛り上がりはしたんですよね。ただその後、代表の活動がなかなか続かなくて。ヘッドコーチがコロコロ代わったり、すごいバスケをやりたいとか、どういう風に海外のチームと戦ってくんだというのものが全く見えなくて停滞していった。今はBリーグが始まって選手の給料も上がってきて、子供たちが将来バスケットボール選手を目指せるような競技になってきた。そのタイミングで自国開催の世界選手権で出場した選手たちが自分たちで今のバスケットの状況をもっといい方向に変えてやるんだっていう覚悟を持ってやっていたのが見えましたし、彼らが作ってくれたこのバスケットのこの状況をまたさらに伝えていってもらいたい。僕としてはバトンをどうこうと大それたことは言えないけど、日本のバスケットが一つの成功と言える結果を残した現場を見ることができたのは感慨深いものがありました。ありがとうって感じ」
プロ化の波にうまく乗り40歳までできた
―トヨタに入った時は30歳過ぎで引退する選手が多かった。当時、ここまでプレーすることは想像できたか?
「もちろん(想像)していなかった。入った時は周りも全て企業チームだった。30歳になったら会社に残ってくださいねという引退が多かった。僕が入った時の30歳超えの選手はおじさんだなという印象があった。でも、今の30歳はいい感じで脂が乗っている。やはりプロ化によって選手は自分の体をケアしたり食事も考えたりしてものすごく練習も質が高くなり、その波に僕もうまく乗り40歳までできましたね」
バスケットが何も続かない、だらしない自分を夢中にさせた
―チームの顔がいなくなる。桜井選手にとってバスケットボールとは。
「引退を決めてから考えることがあった。『人生』というほどではないが、バスケットが唯一、何も続かない、だらしない性格の自分を夢中にさせてくれた。一つの道で頑張ることや、やりきること、徹底することを学ばせてもらった」
―引退後は?
「北海道には残りたいですね。ずっと北海道で過ごしていきたい思いはある。ただ、仕事次第なのでまだこれからですね」
引退試合をやれたら「来たい選手は多いと思う」
―折茂さんが引退した時はBリーガー初の引退試合をした。
「いやあ、折茂さんと同じメンバーになってしまいますね(笑)。代表やレバンガ関係の選手となるとデジャビュみたいな。どうですかね」
―(引退試合を)やってほしいみたいな話があれば?
「そうですね。北海道に来たい選手は多い。食事もおいしいので。アウェーで来たときはすごく楽しみにしている。そこに期待している仲の良い選手はいると思う」
五十嵐圭選手がどんなプレーするか見ておきたい
―その中で今年対戦しておきたい選手は?
「五十嵐圭選手は見ておきたいですね。変な意味ではなく、昨季はプレータイムが減った中で、そういうときは心境の変化があるもの。腹が立つもので、なんで俺が出られないのだというのがある中で、そこから新たな心境になりまたプレーが変わってくる。その中で今季、ケイさんがどんなプレーをするのかを見てみたい」
精度の高いディフェンスだなと感じてもらいたい
―最終年で、ファンに見せたい、見て欲しいところは?
「まずはハードワークすること。内容も精度も高いディフェンスができるように。見ている方に伝えるのは難しいが、チームのルールもある。そういうのを一個ずつ徹底してやっていくことが、ルールを分かっていない人にも精度の高いディフェンスだなと何となく感じてもらいたい。それを僕がやることにより、後輩たちも必然的にやっていくようになる。そういう存在でありたいし、そういうプレーをしていきたい」
■プロフィル 桜井 良太(さくらい・りょうた)1983年3月13日、三重県桑名市出身。姉の影響で競技を始める。四日市工業高3年のインターハイ初戦で、強豪・福岡大附大濠相手に37点をマーク。同年のウインターカップでは国内屈指の名門・能代工業相手に51点を記録した。人気バスケットボールマンガ「スラムダンク」の主要登場人物になぞらえ〝リアル流川〟と呼ばれた。愛知学泉大から2005年に旧JBLのトヨタ自動車アルバルクに入団。06年の世界選手権で日本代表に選出。07年に折茂武彦とともにレバンガの前身のレラカムイ北海道に移籍。キャリアハイはレバンガ北海道の13-14シーズンの473点。20年に連続試合出場記録636を記録。22-23シーズンは52試合に出場し73点。家族は妻と2女。