野球とスケルトンの二刀流 東海大札幌の川野隼が26年冬季五輪出場狙う
8月のプッシュスケルトン大会で2位
ソリにうつぶせになり氷上を時速130キロオーバーで滑走するスケルトンで、札幌学生野球連盟1部、東海大札幌の川野隼外野手(4年)が2026年のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を目指している。23年8月、2度目の出場となった全日本プッシュスケルトン選手権(長野)で30メートル3秒69の走力を生かして2位。今後は日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟の育成選手として日本代表選出を目指し、さらに卒業後も野球を続けながら競技とデュアルキャリアの実現を目指していく。
「個人競技が向いてるタイプと思った」
夏と冬、異色の二刀流だ。9月に大学最後のリーグ戦が終了。「野球は相手もいるんで自分だけじゃ結果は出せないけど、スケルトンって自分との戦いなので個人競技が向いてるタイプと思った」。連盟が国の委託で行うスケルトン以外のソリ競技を継続しながら双方の競技力を伸ばし、エリートフェーズまで育成・強化していくシステムを構築する事業を行う。その対象者として遠征費などの支援を受けながら、12月の海外初遠征へ向け準備を進める。
一昨年冬、「J-STARプロジェクト」の体力測定に参加
大学2年の冬。父に勧められ、日本スポーツ振興センター(JSC)が全国で行ったトップアスリートを発掘する「J-STARプロジェクト」の体力測定に参加。立ち幅跳び、30メートルダッシュ、長座からのハンドボール投げにチャレンジした。体育館で行われたが、ハンドボール投げでは準備された距離をオーバーして壁まで到達、「計測不能」でアピールに成功した。
何度かの審査でスケルトン適性と判断
川野に示された適性はスケルトン。動画での審査を何度かパスすると、大学3年の22年5月に長野五輪で使用されたソリコース「スパイラル」施設内にあるトレーニングコースで車輪のついたソリに初めて乗り込んだ。「タータンコースがすごい怖くて、下りでは野球の走り方だとソリに追いつかなくて転びそうになりながらで怖いと感じたけど、乗った後は楽しかった」。最終的に全国から集まった多数の参加者の中から、川野ともう1人がプロジェクト検証の選手に生き残った。
昨年11月、オーストリアで初めて氷上コース体験
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
同年11月にオーストリアのインスブルックで行われた遠征に参加。初めて氷のコースを滑った。「滑走はスピード感とか楽しいけど、違った怖さで。コースが狭いんで氷の壁に当たった時の衝撃とか痛さが尋常じゃない。アザだらけになりました。最初はスピード感も緩いし楽しかったんですけど、徐々にスピードがついてきて、正確な操作をしないとクラッシュする危険性もある恐怖心の中で練習していた。100分の1秒を争うところが魅力」。スピードに物怖じしない性格も競技にはぴったりだ。
韓国、ドイツ選手の滑り見て世界のレベルを知った
インスブルックのコースでは、世界トップクラスの韓国ナショナルチームや現在世界1位のドイツチームも練習していた。「ソリの扱いがうまい。壁に1回も当たらない。正確な操作をしないと絶対に壁当たるんです。壁に当たってないってことはうまい証拠」。世界の滑りを目の当たりにし、自らが目指すレベルを思い知った。
本格練習は全て海外、後援会設立の準備も
現在、日本国内に稼働しているスケルトン用の氷上コースはない。長野五輪で使用した「スパイラル」は老朽化しており、膨大な維持費がかかることから17年シーズン限りで休止。現在、国内で氷上大会の開催は事実上不可能だ。そのため、ポイントを稼ぐための大会出場はもちろんだが、氷上練習ですら海外へ足を運ばなくては行けない。海外のコースでは一本滑るごとに約5000円がかかるそう。国の事業の支援だけでは活動費全てを捻出することは出来ないため、川野を支援しようと後援会の立ち上げ準備も始まっている。
北海道関係では、駒大岩見沢高で二塁手として1996年の選抜甲子園に出場した稲田勝さん(45)が、仙台大進学後にスケルトンに転向。2002年ソルトレーク五輪、06年トリノ五輪に出場している。また、18年平昌五輪には宮嶋克幸さん(27札幌丘珠高出)が初出場したが、前回22年北京五輪では日本は出場枠を確保することが出来なかった。
「僕の使命は野球とスケルトンを続けながら学業も頑張ること」
26年の五輪出場権などの詳細はまだ発表されていないが、W杯やアメリカンカップとヨーロッパカップなどの国際大会でポイントを稼がなければならない。22年の北京五輪は男女各25人が出場。厳しいのは百も承知だ。「僕は本当にそのチャンスが0%だったらしょうがないけど、少しでも可能性あるんだったらやっぱり狙うべきだと思う。僕の使命は野球とスケルトンを続けながら学業も頑張って、最終的には就職もして五輪でメダルを取ること」。強豪野球部で鍛えた体と培った根性で、第2の競技人生を切り開く。
札幌大谷中でリトルシニア全国大会出場
■プロフィル 川野 隼(かわの・はやと)2001年7月20日、札幌市生まれ。父の影響で札幌手稲宮の丘小3年時に、上手稲コンドルスで野球を始める。札幌大谷中では同校のリトルシニアで主に外野手。3年春の全国選抜大会で8強入り。3年の春季全道、日本選手権北海道大会で初優勝し本大会に初出場した。東海大札幌高では2年秋からベンチ入り。3年夏の南北海道大会で4強入り。東海大札幌では主にDH。180センチ、88キロ。家族は両親と姉。右投げ右打ち。