上沢独占手記 監督のおかげでできた自己最多12勝
僕も幸せでした―。日本ハムの上沢直之投手(27)が、退任会見を行った栗山英樹監督(60)に本紙を通して熱いメッセージを送った。2012年の“同期入団”でもある右腕が、ドラフト下位からエースへと成長させてもらった指揮官に、感謝の思いをつづった。
僕は入団してから栗山監督しか知りません。10年間お世話になったすごく思い入れのある監督です。初めて会ったのは2011年12月の新入団会見の時。テレビで見ていた爽やかなイメージ通りの人でした。同期の高卒組は甲子園に出ていて、キャスターだった監督と関わりがあって僕だけ蚊帳の外な感じもありました。早く名前を覚えてもらいたいと、当時は強く思いました。
3年目に初めて1軍に昇格した時の僕は若くて、どこか野球だけに集中しきれていなかった。監督が最近、人間的に成長したと言ってくれるのは、そういう部分を見ていたからだと思います。
監督との距離が縮まったのは右肘のけがから復帰した17年でした。復帰戦は故障前最後と同じ、ほっともっとでのオリックス戦(注1)。止まっていた時間が動きだしたようで、試合後の監督室では「この球場で再スタートを切れてうれしかったです」と伝えました。
そこから呼び方も自然と「ウワサワ」から「ナオ」になりました。19年の開幕投手に指名された時には「信頼している」と言ってもらい、そこでやっと認識してもらえたと実感できました。
19年は10年間で最も忘れられない出来事が起きました。6月のDeNA戦(注2)で打球が直撃し、左膝蓋骨の骨折という、プロ野球選手では前例がないけがを負いました。野球ができなくなるかもしれないと、本気で落ち込みました。気持ちの整理がつかなくて、どん底の精神状態だったとき、監督が病室に駆けつけてくれました。
泣きじゃくる僕に「これから先、何か意味があってのけがだったと思える日が絶対来る。頑張ってほしい」と激励してくれました。やらなければいけないと思ったし、そのおかげで今季は自己最多の12勝を挙げることができたんだと思います。
退任が発表された日、監督はグラウンドで選手を集めて話をしてくれました。「10年間の監督生活、本当に幸せでした」という言葉が、心に大きく響きました。
最後に僕からもメッセージを送らせてください。「監督と歩んだ10年間、僕も幸せでした」
監督が我慢して使ってくれ、期待してくれた分、これから先も成績を残して、恩返しをしていこうと思います。
(北海道日本ハムファイターズ投手)
【注1】17年4月7日のオリックス戦。右肘の手術を経て、15年7月28日の同戦(同)以来、2年ぶりの1軍登板を果たした。
【注2】19年6月18日のDeNA戦(横浜)。ソトの打球を左膝に受け、翌19日に左膝蓋骨の整復固定手術を受けた。