≪逍遥⑦≫西川 退任の恩師へ「栗山監督あっての僕」
栗山監督、ありがとう―。 日本ハムの西川遥輝外野手(29)が、連載手記「逍遥(しょうよう)」で、10年間監督を務め、1日に退任会見を行った栗山英樹監督(60)への思いを語った。西川はその間、「栗山チルドレン」の主力として共に戦ってきた。チームは5位で終わり、花道を飾ることはできなかったが、西川にしか分からない特別な思いがあった。
低迷…責任を痛感
今シーズンも10月30日のロッテ戦で終了しました。チームは5位、自身の成績も低調に終わり、主力として本当に責任を感じています。
また、今季限りで栗山監督が退任しました。プロ2年目から10年間、一緒に戦ってきました。こうやってプロ野球選手として、試合に出られるようになったのも、監督が起用してくれたのがきっかけです。そのおかげで、ここまで来られました。最後、いい形で送り出すことができなくて、本当に悔しいです。
どんなときでも、常に前向きな言葉をかけてくれました。大きなけがをしたときは、治ったときに「あの時間があったから」と言えるようにと言われ、失策したときでも「これが今後のプラスに生きてくればいいから」と、気持ちをポジティブにしてくれました。
これから何人の監督とプレーするか分かりませんが、自分が引退したときに「すごい良い監督だった」と話していると思います。10年間、相当大変だったはずです。ずっと野球のことを考えなくてはいけないですし、毎日試合をして、夜に試合を見直して、という繰り返しの生活。タフじゃないとできないと思います。
思い出もいろいろあります。本拠地最終戦のセレモニーで握手したときは、顔を見ると10年間の思い出がこみ上げてきて、涙を流してしまいました。メジャー移籍がかなわなかったときも「監督としても悔しい。残念だけど、見返す気持ちで頑張ろう」と、言葉をいただきました。すごい選手思いな監督です。
自分の10年間を振り返ってみると、悔しい思い出の方が頭に浮かびます。特に2012年の日本シリーズでベンチを外されたことと、15年の盗塁王を争っている終盤に、2軍へ落とされたことが印象に残っています。
どちらも悔しかったですが、意味合いは少し違います。12年はまだ2年目ということもあり、とにかく悔しい気持ちばかりでした。15年はレギュラーで出ていて、タイトルも懸かっていたので、冷静に受け止められず、絶望感でいっぱいでした。今考えたら仕方ないと思えるのですが、当時は「何でやねん」という思いが常につきまとっていました。
そういう意味でも栗山監督には、自分が引退してから「実はあのとき―」や、「こちら側はこう思って―」などの裏話を聞きたいです。「遥輝は、本当に俺にとっては大事な選手だった」と話してくれたみたいですが、僕も栗山監督あっての僕だと思っています。本当に感謝しています。10年間、お疲れさまでした。落ち着いたら、ゴルフにでも行きましょう。
後任は新庄監督に決まりました。僕の中では、テレビの中の人です。どういう形でお会いするか分からないですが、どうなったとしてもすごく楽しみです。今季は海外FA(フリーエージェント)権を取得できましたが、その事もこれからゆっくりと考えていきます。1年間、応援ありがとうございました。(西川遥輝)
チルドレンの一人
栗山監督就任1年目の2012年に、高卒2年目だった西川はプロデビューを果たした。2年目ながらスタメンに抜てきされる試合も多く、71試合に出場した。
その後、しっかりとレギュラーに定着し、16年には打率・314、41盗塁をマーク。チームをリーグ優勝、日本一に導く活躍を見せた。広島との日本シリーズでは、第5戦にプロ野球史上2人目のサヨナラ満塁本塁打を放ち、ホームイン後に栗山監督と抱き合った。
栗山監督が10年間で戦った1410試合の87%にあたる1227試合に出場。まさに「栗山チルドレン」の1人だ。10月26日、本拠地最終戦のセレモニーでは、握手した際に「頼むぞ、遥輝。本当にありがとう」と声を掛けられ、西川も涙を流した。