北海学園大初のアナリスト・加藤拓光さんが西武入り 2軍バイオメカニストに就任
病気で選手の道を諦め
札幌学生野球秋季リーグを制した北海学園大硬式野球部で2022年からアナリストを務める加藤拓光さん(23)が、NPBの西武ライオンズにバイオメカニストとして〝入団〟することが決まった。札幌旭丘高1年秋に起立性調節障害を発症。選手としての道は諦めざるを得なかったが、大学4年の昨春に同大初のアナリストとして入部。卒業後の23年秋まで約2年間、データ分析などでチームの勝利に貢献した。今度は国内最高峰の舞台で優勝を目指す一員として活動を開始する。
「人生で一番濃い2年間」
加藤さんは「あっという間に2年たった。最後に1回優勝できて良かったなと思いますし、人生で一番濃い2年間だった。高校の時はほんとに楽しめなかったので、みんなに囲まれてオフもみんなと一緒に過ごして。ちょっと言葉に表せない関係。先輩、後輩って感じでもないし、友達ともまたちょっと違う。弟みたいなところもあります」。名残惜しい思いを胸にしまい込み、旅立つ。
高校1年で発症
人との出会い、仲間との出会いが、病に苦しんでいた加藤さんの道しるべになった。元々片頭痛持ちだったが高校1年の秋頃「薬を飲んでも効かなくて。明らかに体調がおかしくて。その頻度が高くなって、気づいたら毎日、頭が痛い、動けないって感じになってきた」。野球はおろか、日常生活にも支障をきたした。
周りのサポートで高校卒業
発症直後から約半年間学校を休んだ。「相当配慮してもらいました。単位制なので、全部取ったら卒業要件を大きく超えるので、実は結構休んでも大丈夫。それでも1時間目、特に朝とかは厳しかったので、朝の授業は単位を落として取れるところを取った。テストは保健室で受けたりしていた。とにかく周りの先生方にサポートしてもらっていた」。北大を志望していたが、1浪の末、午後から授業のある北海学園大の2部に進学した。
稲葉篤紀GMとの出会いが転機
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元々指導者を目指しており、浪人時代から大学3年までの4年間、週末を利用して出身の少年野球チームでコーチをしていた。その時に選手の保護者として出会ったのが、当時の侍ジャパン・稲葉篤紀監督(現・日本ハムGM)だ。「侍の監督をやってる期間以外、毎週グラウンドに来て、審判からグラウンド整備から全部するんです。その時にいろんな話を聞きました。本当になんでもして下さるので、初めて尊敬できる人ができたと思った。野球に対する思考もそうだし、野球以外の整備とか挨拶とか、審判、そういうことを一つ一つ丁寧にする。対戦相手の人たちが試合終わりぐらいに大体気づくんですけど、全員にサインや写真を撮ったりする。そういう人柄がプロの世界で活躍する人なんだなと思いましたし、そういう大人になりたい、かっこいい大人になりたいなって思わせてもらった」。プロ野球という世界が身近になった。
大学4年から同大野球部アナリストに
大きなきっかけは大学4年進級時の22年1月に同大の島崎圭介監督(52)が学生のデータアナリストを募集したこと。SNSで知った加藤さんは、中学時代のチームメートで同大野球部の選手を通じて島崎監督と電話で直接交渉。複数の応募があったが熱意が通じて〝一発採用〟となった。「縁ですね。学園に入っていなかったらアナリストにもなれていなかった」。部の備品としてラプソードも導入し、第一歩が始まった。
卒業後は岩教大で研究生
当初は独学で勉強をしていたが「ちゃんと深めたかった」と、今春から北海道教育大岩見沢校でバイオメカニクスを研究する小林育斗准教授の下でに研究生となった。「一番うれしいのは心の成長と頭の成長。試合を振り返った時に、すごく丁寧に振り返れるようになったり、深みが出てきたり、自分の考えが言えるようになった」。選手の成長こそが何よりも代え難い喜びだ。
島崎監督「プロ野球界との新しい関わり方」
島崎監督はこれまでに、中日・川越誠司外野手(30、北海学園大出)ら3人の教え子を直接NPBに輩出。「プロ野球界との新しい関わり方。ましてや北海道から新卒ではいないと思う。加藤は一人で抱えてしまうことがある。最初は頑張ると思うんですけど、いっぱいいっぱいにならず体に気をつけてやってほしい。仕事は昼間にデータを取って夜に作業することも多いと思う。『長持ちする』人材になってほしい」と教え子にエールを送る。
同大2年の関虎大朗外野手は、学年は3つ違うが同じ年に入部した〝同期〟。「野球の技術だけじゃなくて、技術以外の大事な部分とかも教わってきた。動画もいっぱい撮ってもらってバッティングのフォームを研究して、試合で結果を出せたことがあった。すごい頼れる。プロ入りは素直にすごい。応援したいです。僕らもそれに負けずに頑張っていずれ追いつけたらいいな」。後輩に夢や希望を与える存在になる。
旭工高出の武隈さん、岩教大出の斉藤さんと同僚に
契約は1年更新で2軍担当からのスタートとなる見込み。2軍のバイオメカニクス担当には22年で現役引退した旭川工業高出身の武隈祥太さん(33)、さらに23年限りで引退した斉藤誠人さん(28)は北海道教育大岩見沢校の〝先輩〟。「来年はブルペンキャッチャーで、しかも2軍担当って言ってたので、必ず会えるのかな」と頼れる先輩たちがいる。
夢は日本代表スタッフ
将来の夢は日の丸だ。「アンダーカテゴリーのところに自分はどうしても興味がある。プロでもファームで一緒に成長するような環境があったら」。プロのアナリストとして、大学時代の仲間がプロで再会する日を夢見て、研鑽を続ける。