北海の147キロ右腕・岡田彗斗投手が日本製鉄室蘭シャークス入り ドラフト解禁の3年後のプロ入り目指す
夏の甲子園16強のエース右腕
今夏の甲子園で7年ぶりに16強入りした北海のエース・岡田彗斗投手(3年)が、24年1月に社会人野球の日本製鉄室蘭シャークス入りすることが決まった。北海高から高卒でシャークス入りするのは、元日本ハム投手の瀬川隼郎さん(37)以来16年ぶり。最短でドラフト指名が解禁になる3年後のプロ入りを目指す。
背番号16に決定
147キロ右腕が、道内の名門から国内最高峰の舞台を目指す。178センチ、80キロ。「体もまだ未熟ですし、高いレベルに通用する体づくりをしていって、その中で自分の武器のストレートを磨きたい。やっぱり150キロに届くぐらい平均球速も含めて高くして、都市対抗に導けるピッチングをして、そこでプロに目を掛けてもらえるように頑張っていきたい」。背番号は16に決定。まずは東京ドームのマウンドを目指していく。
3年春からエースナンバー
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成長曲線は右肩上がりだ。1年秋からエースとして活躍してきた同級生の熊谷陽輝投手が今春に右肘を痛め、春の札幌支部予選で初めてエースナンバーを背負うと147キロをマークして一躍ブレーク。そのまま夏の甲子園でもチームを勝利に導いた。「最初は熊谷の存在に『叶わない』って思った。2年生まであまり投げる機会はなかったんですけど、今の自分を超えたい思いで一生懸命頑張って、3年生になってエースナンバーを取れて、甲子園、国体でも投げられたのは今まで生きた中でも本当にすごい貴重な経験だった」と、濃密な高校生活を振り返った。
プロへの道は「焦らずに社会人になってから」
進路は早い段階で絞っていた。今春の全道大会期間に平川敦監督(52)から進路に関し「どうするんだ」と問われ、答えに窮した。大学進学やプロ志望届の提出も選択肢にあり「すごく迷いがあった。全然考えもまとまっていなくて先が見えない状態だった」。素直な思いを平川監督に伝えると「就職しながら社会人野球をした方がいいんじゃないか?」と勧められた。岡田も「大学とか社会人の投手層の厚さが自分でもわかっていたので、今の段階ではプロは厳しい。焦らずに社会人になってからと思いを固めました」。プロ入りのために高卒での社会人入りを選択した。
日本製鉄室蘭シャークスを経てプロ入りした北海OB
古豪復活の救世主になる。富士鉄室蘭時代の1963年に都市対抗で準優勝したこともある強豪の流れを持ち、1994年に「シャークス」の名を冠してから30周年の節目を迎える。北海高OBでは、ドラフト制度施行前の1963年に投手として国鉄入りした佐藤進さん(故人)、同年の選抜甲子園で外野手として北海道勢初の準優勝に貢献し、72年に3位で中日入りした谷木恭平さん(78)や85年に6位で中日入りした遠田誠治さん(59)、15年に5位で日本ハム入りした瀬川さんの4人を輩出している。
「プロに近いレベルの高さを実感した」
チームは社会人野球の2大大会、都市対抗野球と日本選手権は2019年を最後に全国の舞台から遠ざかっている。甲子園からの帰道後にチーム関係者と面会。「ぜひ岡田くんの力を貸してほしいって言われて、私もそこでやろうって決めました」。10月に札幌ドームで行われた日本選手権北海道大会を視察。「率直に高校、大学とは全然違って、本当に大人の野球。投手の質も全然違いますし、打者もどんどん打ってくる。プロに近いレベルの高さを実感しました」。赤が基調のユニホームにも「学年カラーが赤なので嫌いじゃない。縁がありますね」と袖を通す日を待ち望む。
24年1月15日にチーム合流
チーム合流は卒業前の来年1月15日の練習開始から。3月には道外で公式戦が待っている。「そこに向けて体づくりと調整をしていかないと」。引退後も新チームの練習に参加しながらトレーニングを続けている。「そんなに甘くない世界だと分かっているんですけど、3年でプロに行けるのが自分の中ではベスト」。釧路から札幌の北海高で才能を開花させた岡田。今度は室蘭から夢への大きな挑戦が始まる。
■プロフィール 岡田 彗斗(おかだ・けいと)2005年4月21日、釧路市生まれ。釧路音別小1年で野球を始める。白糠町立庶路学園では4番投手。北海では1年秋に背番号11でベンチ入り。3年春の札幌支部予選で初めて背番号1を背負い、北海学園札幌との代表決定戦で自己最速の147キロをマーク。全道2回戦の札幌日大高戦は13奪三振で公式戦初完封。甲子園では1回戦の明豊戦(大分)で途中救援し2回1/3で6失点KO。中3日で聖地初先発した浜松開誠館戦では救援と2度マウンドに上がり合計5回1/3を1失点、9奪三振。7年ぶりの16強入りに貢献した。178センチ、80キロ。家族は両親と姉。