【道スポ紙面で振り返る「赤黒のシンジ」座談会】③J2優勝&J1昇格に貢献してきたこと
歴代番記者3人 J2優勝の16年もいろいろありました
今季限りで現役を引退する北海道コンサドーレ札幌のMF小野伸二(44)の特集第2弾『道スポ紙面で振り返る「赤黒のシンジ」座談会』。第3回のテーマは、小野が加入後のJ2優勝と5年ぶりJ1昇格。2016年J2開幕戦は元日本代表MF稲本潤一(44、現・南葛SC)と共にスタメンに名を連ねたが、その後の出場回数は激減。そこで小野はチームの中でどのような役回りを担ったのか―。優勝を決めた試合後に見せた小野の優しさとは…? 月刊コンサドーレ松木純編集長、道新スポーツデジタルの中村真大デスク、サポーター歴20年以上の現在の担当・工藤友揮記者が紙面を読みながら当時を振り返った。(以下、敬称略)
<2016年11月21日付1面>
松木「2016年のJ1昇格。この時から札幌はJ2に落ちていない。大きな仕事をやってのけたイレブンの一員として、小野も貢献した。この日の道新スポーツは1面から3面まで展開したんだったね」
中村「小野と稲本の記事も2面に載ってます。これ、だいたい一人で全部書かされたんだよなぁ。大変だった。今見ると、エンゼルスの大谷くんの祝福コメントも載ってますね」
松木「すごいねー。でも、四方田にとっても本当に良かったっていうかね。ずっと札幌でコーチ時代からやってきて。もう何年になってたかな」
工藤「1999年からなので17年ですね。岡田監督がアシスタントコーチとして連れてきたのが最初でした」
松木「岡田監督もうれしかっただろうね」
工藤「この年の東京Vとの開幕戦では小野と稲本が同時先発しましたが0-1で敗戦。それ以降、2人の同時先発はなかったですし、小野自身もこのシーズンのスタメンはこの試合が最初で最後。シーズン通しての起用方法から、四方田監督はビッグネーム2人頼みではなく、とにかくその時々のベストメンバーで戦うんだという意思を持っているんだと感じました。そう考えると、開幕戦の試合内容が大きな分岐点になったんじゃないでしょうか」
<2016年11月21日付2面>
中村「コンディション面を重視して、その時のベストメンバーを組んでいたと思う。四方田監督は堅守速攻のスタイル。『良い守備から良い攻撃へ』というのはずっと言ってたし、チーム全体として攻守の切り替えや運動量のところは求められていたように思います」
松木「それでベテランを使うより、若手に移行していったということなのかな」
工藤「出場試合もシーズン通して小野が15試合と稲本が8試合で、起用が少なくなりました」
中村「稲本は途中で大ケガしたというのもあったけど、出場時間はシーズンのトータルで2人とも280分くらいだったね」
松木「確かにそうだね。うんうん」
工藤「一方で、野々村社長がこの頃よく言ていた『月曜から金曜日までの選手、姿勢を見せてくれる選手』っていうところでは、この2人はピッタリだったのかなと。『練習で月曜から金曜日までしっかり締めてくれる選手が大事なんだ』とよくメディアで言っていた。出られない選手がどのような空気をつくり出すのかが重要ということですね」
中村「小野と稲本、2人に正月用のインタビューをした時に、準優勝したワールドユースの話になって、その時は勢いが違っていたって言ってた。特に短期決戦では勢いが重要だと。出る選手も出られない選手も、一緒になってつくり出す勢いや一体感というのが、結果を出す上で最も大事だというのを一番理解していた2人だよね。この年もそれを体現していたんだと思う」
松木「一体感というのはよく言ってたね。出られない選手も貢献していた」
中村「小野がベンチに入っていた時には、試合を見ながら、『相手のここが隙だ』とか、『ここのスペースが空くよ』とか、ここが攻めどころというのをよく選手にアドバイスしていたみたい」
松木「ベンチでも司令塔をやっていたというわけだ」
中村「出る選手も、シンジさんと稲さんがベンチにいるんだから、うちらはもっと良いプレーをしなきゃいけないっていうプレッシャーや責任感もあったっていうのは言ってましたね」
松木「そういうことがあって、優勝でのJ1昇格につなげていったわけね」
<2016年11月21日付3面>
工藤「最終節のホーム金沢戦を0-0で終えてJ2優勝。2位の清水だけではなく、自動昇格圏外となった3位の松本とも勝ち点1差だったので、負けていたら昇格できない可能性も大いにありました」
中村「そう。そこで相手の金沢も残留争いをしていて、負けていればJ3自動降格だったから、残り10分くらいは互いに攻めにいかないボール回しになった。どちらも引き分けでWinWinだったから。お互いのベンチが自分たちが争ってる当該チームの試合動向を見ながらだっただろうし。珍しいシーンを初めて見て、逆に興奮しましたね。その後の2018年ロシアW杯でも同じようなことを日本代表がやっていたけど、先へ進むためには仕方がないこともあるなと勉強になりました」
松木「そんなこともあったなぁ」
中村「その試合の残り10分の時に、シンジさんは交代要員で出るためにピッチ横のセンターライン付近で準備していたんですよ。けど、ボールが外に出ないから、なかなか交代できなくて」
工藤「結局、交代できないまま終了の笛でしたね」
中村「うん。試合の後、どうしても話が聞きたくて。試合には出られなかったけど、優勝は決まったわけだし、どうしてもコメントが欲しかった。去就の問題もあったし。でもミックスゾーンを通り過ぎてしまって…。タクシー乗り場まで追いかけて行った。けど、『今日はちょっと…』と。結局、一言ももらえなくて…。記者としての配慮や質問の仕方がもっとあったよなぁと反省しながら、記者控え室でションボリしながらこの優勝原稿を書いていたんだけど…、そしたら広報の方が『先ほど、シンジさんに取材しようとされた方いますかー?』と」
松木「おお、それで、それで」
中村「聞いたら、『シンジさんが、申し訳なかったと伝えてほしい』と言ってましたと。それで自分も救われた気分になったし、よし! 良い原稿を書こう! という気持ちに切り替えられた」
松木「やっぱり人格者だね~。こちらの取材者側にも気を遣ってもらえるとは。さすが」
中村「なかなか、できることじゃないですよね。そこで思ったとしても」