上沢直之の連載手記『You only live once』第5回 エース右腕が入団当初や2軍時代を振り返る
日本ハム・上沢直之投手(29)の連載手記『You only live once』(人生は一度きり)第5回は、入団当時の思い出を振り返ります。ドラフト6位指名から、大けがを乗り越え、チームの大黒柱へと成長を遂げた。ポスティングシステムを利用してのメジャー移籍を目指す右腕には、切磋琢磨できる仲間がいた。
体力差を感じた新人合同自主トレ
自分がメジャーを目指すようになるなんて、2012年に入団した頃はまったく想像してませんでしたね。まさか、っていう感じです。1、2年目は体づくりがメイン。苦しかった記憶ばかりです。
新人合同自主トレーニングはきつかった。メディシンボールを投げただけで体が張っていました。腕立て伏せは10回くらいしかできませんでしたね。今、チームでやっているような体幹メニューもできなかった。人間やれば、できるようになるんだなって。
高卒同期は松本剛、近藤健介、石川慎吾
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同じ高卒で同期の松本剛、近藤健介(現ソフトバンク)、石川慎吾(現ロッテ)は甲子園出場経験がありましたが、僕はなかった。1年目はファーム(2軍)でも、あまり実戦で投げませんでした。夏場のアメリカンノックもつらかったし、ひたすら股を割ってボールを捕るのも、ウエートもきつかった。(2軍本拠地・鎌ケ谷スタジアムの隣にある勇翔寮の)寮生だったので、家が野球場だった。今、思えば、いい環境だったのかもしれません。
実戦でプロのレベルを痛感 3イニングでヘロヘロ
いざ試合で投げ始めると、高校生には打たれなかったボールが打たれ、すごい世界に入ったなあっていう思いが強くなりました。3イニングほど投げるとヘロヘロ。高校時代は正直、下位打線なら、それほど力を入れなくても抑えられた。でもプロは違った。下位にも、本気で投げ続けなきゃいけなくて、しんどかったですね。
1軍を目指してとにかく必死にトレーニングしました。体力を付けよう、筋力を上げようと。技術的には変化球は多投せず、とにかく真っすぐを投げろと(コーチに)言われてました。
逃げ出したくなる心 奮い立たせた同期の存在
心が強い方ではないので、つらいことからは逃げ出したくなる。練習やりたくないと思うことは何度もありました。でも、野球以外に生きていく道はないと思っていた。気持ちをつなぎ留めてくれたのは同期です。
例えば、寮の部屋が隣だった近藤は、夕飯後に部屋へ行くと、だいたいいない。(隣接する室内練習場で)打ってる。バッティングケージを取り合って、みんな練習していました。ちゃらんぽらんな同期だったら僕、今頃、野球やってないですね。
1年先輩の西川遥輝にも感銘
1学年上の西川遥輝さんも、すごいトレーニングしていた。自分もやらなきゃなって思わされました。周りの選手がしっかり練習していたのを見て、僕も腐らず練習することができた。一緒に野球するにはクビにならないようにするしかないし、頑張らなきゃなって気にさせられました。
コーチ陣にも感謝 記憶に残る加藤コーチとのキャッチボール
面倒を見てくれたコーチの皆さんにも感謝です。加藤(武治、現1軍投手コーチ)さんもその一人。僕は厳しいと思ったことないです。ファームの試合で変化球を投げて「真っすぐをしっかり投げろ」って、すごい怒られた記憶はありますけど。僕は投げることが好きだったので、練習にずっと付き合ってもらったり。若い時は加藤さんとめちゃくちゃキャッチボールをしました。
忘れられない初登板初勝利 つらかった1、2年目があってこそ
(3年目に1軍初登板で初勝利を挙げ)うれしかったですね。長かったなあ、時間かかったなあって感じがあった。(下積みの1、2年目は)自分の基礎をつくってくれた大切な期間だった。どうしたら良くなるかを、すごく考えながら野球をしていた。今があるのはその期間のおかげだと思っています。