札幌三上大勝GM特別インタビュー【小野伸二がくれたもの】①小野はなぜコンサドーレを選んだのか
いよいよ北海道コンサドーレ札幌MF小野伸二(44)の現役ラストゲームとなる浦和戦(12月3日、札幌ドーム)が目前に迫ってきた。道新スポーツでは札幌を運営する(株)コンサドーレの三上大勝代表取締役GM(52)に、小野にまつわる単独インタビューを実施。獲得に至る経緯や札幌にもたらしたさまざまな影響、そして気になる小野の今後についてなどを3回に分けて掲載する。第1回は2014年の小野獲得に向けたクラブの動きを振り返ってもらった。(聞き手・工藤友揮)
「札幌が小野伸二獲得へ」。今からさかのぼること10年前の13年12月20日に報道各社が一斉にそのニュースを報じ、札幌サポーターはもちろん、全国のサッカーファンに大きな驚きをもたらした。その約1カ月後の14年1月16日にクラブが仮契約の締結を発表。同年6月9日に正式な加入発表とさっぽろテレビ塔での加入会見が行われ『コンサドーレの小野伸二』としての歩みが始まった。
世界を知っている人間がいるのは大きい
―改めて小野獲得を目指した当時のクラブの考えを聞かせてください
当時、野々村(現・Jリーグチェアマン)と僕の方でさまざまなことをやっていく中で、今後のクラブの在り方として今もクラブスローガンとして掲げている『北海道とともに、世界へ』を打ち出しました。チームとしてクラブとしてスローガンを実現するためにどういう方法があるか。チームとしてはACLを目指してやっていく、もしくは札幌の赤黒のユニホームを着ている選手が日本代表になっていく、海外のチームへ移籍していくを具現化しようと考えていて。その際に世界を知っている人間がいる、いないの違いは大きいよねという考えに至りました。
一番に『小野伸二』という固有名詞が浮かんだ
世界を知っている人間と言っても、クラブのフロント業務での経験を知っている人もいれば、選手で経験をしている人もいる、監督でもしくはスタッフで知っている人もいる。一つ一つやれることをやっていこうという中で、選手としてそういう世界を知っている、体現することができる、そしてその背中を見せることによって周囲に感じさせることができる選手を加入させていく方針の中で、誰がいるかとなった時にやっぱり一番に『小野伸二』という固有名詞が浮かんだので、動向をリサーチしていこうとなったのが一番最初のところですね。
―当時野々村社長が出演していた番組に小野がゲスト出演した際、冗談っぽく札幌への加入を誘ったことがありましたが、あの時は既に獲得へ向け動き出していたのか
同時期ぐらいだったと思います。
―野々村社長の頭の中にそういう考えがあった上での発言だったのか
ただ当時の状況として僕が伸二の代理人と言われる方とコンタクトを取らせてもらっていたが、伸二自身が僕らがそういうことを考えていることを知っていたかどうかはちょっと分からないような時期でした。
移籍交渉は比較的難しくはなかった
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―当時の小野はオーストラリアのウエスタンシドニーで活躍を見せていたが、一方で札幌はJ2に在籍していて財政的にも苦しかった頃です。移籍交渉は難しいものだったのか
比較的難しくはなかったですね。条件面よりは、むしろクラブとしてどういったことを考えて、伸二自身が何を必要とされているのかを彼は当時すごく重要視していたので。金銭的、財務的な問題よりはクラブとしてのビジョンをしっかり聞きたいことと、そのビジョンに対して自分が何を期待されているのかを聞きたがっていたのが当時の僕の感想ですね。
伸二もこれまでの経験を還元していくことに興味を持った時期
―交渉はスムーズに進んでいったということですね
そうですね。自分たちのチームとしてのビジョン、クラブとしてのビジョン、北海道にとってのクラブの在り方といった話をさせていった中で、伸二も自分の次なる部分として当然プレーヤーとして輝き続けることと同時に、これまでの経験を地域やクラブに還元していくことに興味を持っている時期だったので、その辺りは非常にスムーズに話が進んでいった印象でしたね。
大きなエンジンを迎えた喜びが大きかった
―14年の年明けすぐに仮契約が決まりましたが、そのときはどのような気持ちでしたか
クラブとして一歩上に行こうとする中で、大きなエンジンのような存在を仲間として迎えることができた喜びがすごく大きかったのが、当時の率直な思いです。
―6月9日に加入会見がさっぽろテレビ塔で行われた。当時はチームの集合写真を道庁赤れんが庁舎やサッポロビール博物館で撮影してたが、会見場所にテレビ塔を選ばれたのも札幌の観光名所を全国に発信したい考えがあったのか
札幌市のというよりは、基本的にまず北海道を常に意識していく中で、北海道の中で僕らのベースである札幌市、札幌と言ったら道庁赤れんが庁舎だよね、サッポロビール博物館だよね、テレビ塔だよねというような発想。そういう集合写真であったり、伸二の会見会場であったり、当時からそういうことを意識してやっていた状況ですね。
―会見場所をテレビ塔にしたのは当初からアイデアとしてあったのか
3つぐらい候補があったけど、その中でも最上位の優先度でテレビ塔で実施できないかと考えていました。クラブのスタッフも非常に努力をしてくれて、関係者にもご理解をいただけて実現できた感じですね。
同時に彼自身をどう成長させてあげられるか向き合った
―会見の席上で44番の赤黒縦縞ユニホーム姿の小野が披露された。その姿を見た時の気持ちは
入団した当時、一般的に小野伸二はサッカー界でもベテランと言われる域(※34歳)だったと思うんですよね。でも仲間として迎え入れる以上、チームのため、クラブのためと同時にやはり彼自身をさらに成長させてあげたい、それをしなければ意味がないなと思っていて。なので彼が赤黒の44番を着た時に、彼をどう成長させてあげられるかに取り組まないとクラブの成長にはならないなと思ったので、どう成長してもらうか、より真剣に向き合って考えなければいけないと覚悟を感じた。
―会見から約1カ月後の7月20日ホーム大分戦で札幌デビュー。札幌ドームのピッチでプレーする小野の姿を見た感想は
一ファンと一緒ですごくワクワクして。自分自身も仕事とはいえワクワク感を止めることができない感情の中で、本当にサポーターやお客さんと同じような感覚であのゲームを見させてもらった思い出があります。