札幌MF小野伸二が3万超えの観衆に見守られ〝22分間のラストダンス〟
■J1第34節 札幌0-2浦和(12月3日、札幌ドーム)
キャプテンマーク巻き リーグ戦は約7年9カ月ぶり先発
日本サッカー界が誇る天才が今季ホームゲーム最多となる3万1143人を動員した札幌ドームで記憶に残る〝22分間のラストダンス〟を披露した。
今季限りでの現役引退を発表していた北海道コンサドーレ札幌のMF小野伸二(44)がシーズン最終戦となった浦和戦に、札幌でのリーグ戦ではJ2時代の2016年2月28日アウェー東京V戦以来、約7年9カ月ぶりとなる先発出場を果たした。
最後まで〝らしさ〟全開のプレー披露
キャプテンマークを巻いて出場した小野は、前半4分にMF宮澤裕樹(34)からのロングボールに反応すると、前線のMF駒井善成(31)へダイレクトでパスを出してチャンスメーク。同10分にはわずかに合わなかったものの、前線へ走り込んだDF田中駿汰(26)への〝エンジェルパス〟を繰り出した。同15分には左サイドを駆け上がるMF青木亮太(27)とのワンツーを決め、同18分にも前線のスペースへ走り込むFW小柏剛(25)に滑らかな軌道のパスを配給するなど、らしさ満点の華麗なプレーの数々を随所に披露。同19分には敵陣ペナルティーエリア左手前でのFKのキッカーも務めた。
交代時は両チームの選手で花道
同22分にMFスパチョーク(25)との交代を告げられ、ピッチを後にしようとした小野の元には、札幌の選手だけではなく浦和イレブンも集結し、両チームの選手によって〝花道〟がつくられた。「日本のサッカー文化の中で、ああいう形で見送られるシーンというのは僕も見たことがなかった。すごく幸せな瞬間でした」。札幌サポーターからの『小野伸二』コールを背に受けながら花道を歩み、稀代の天才は現役最後のピッチを後にした。
高校卒業時は13クラブからオファー
少年時代から天才とたたえられ、高校卒業時にはJリーグ13クラブからオファーを受けた小野。1998年に浦和へ加入すると、弱冠18歳にして同年のフランスW杯への出場を果たす。J2で戦った00年にはチームのキャプテンを務め、札幌と激しいJ1昇格争いを繰り広げた。
14年に札幌加入し〝小野フィーバー〟
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その後オランダ1部フェイエノールトやドイツ1部ボーフム、オーストラリア・ウエスタンシドニーなど世界の舞台で活躍を見せた小野が、当時J2に在籍していた札幌に加入したのは14年6月9日のことだった。さっぽろテレビ塔で行われた加入会見には100人以上の報道陣が詰めかけ、平日の日中であったにもかかわらず約400人のサポーターが来場。札幌デビュー戦となった7月20日の大分戦(札幌ドーム、1△1)には2万人を超えるサポーターが来場するなど〝小野フィーバー〟を巻き起こした。
15年には盟友・稲本とも札幌で共闘
翌15年には黄金世代の一人で、02年、06年のW杯を共に戦ったMF稲本潤一(44)が札幌へ加入。2人が同じクラブで戦うのは初めてということもあって大きな注目を集めた。この年の10月4日東京V戦(味スタ、2〇0)では、待望の札幌加入後初ゴールをゲット。続く同10日の金沢戦(札幌厚別、2〇1)でも2戦連続、ホームでは初となるゴールを決めるなど輝きを放った。
ケガもありながらJ2優勝に貢献
長年悩まされたケガとの戦いは札幌加入後も続いた。16年は股関節痛などもあって、15試合(うち先発1試合)の出場にとどまったが、当時の野々村社長は稲本と共に「月曜から金曜までのトレーニングでプロとしての姿勢を見せてくれる選手」と強い信頼を寄せた。世界を知るプレーヤーの背中を見続けて成長した選手たちの活躍もあって、チームはJ2優勝を果たして5年ぶりのJ1昇格を実現させた。
5年ぶりのJ1でのプレー
12年の清水時代以来5年ぶりにJ1の舞台で戦った17年は、攻撃の切り札として全て途中出場で16試合に出場。プレー時間こそ多くはなかったものの、チームを勝利に導く得点の数々を演出し、衰え知らずのテクニックで札幌の16年ぶりとなるJ1残留に貢献した。
急成長するチームの中で
翌18年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督(66)が就任すると、指揮官が掲げる攻撃的サッカーによって札幌はさらなる進化を遂げた。同年にはクラブ史上最高位の4位でフィニッシュ。翌19年にはルヴァン杯準優勝を成し遂げた。だが急成長を見せるチームの中で小野の出場機会は激減。18年シーズンを7試合、104分の出場で終えると、19年は夏まで4試合にベンチ入りしただけで、出場の機会はカップ戦のみとなっていた。
琉球へ完全移籍も再び札幌へ
そんな中で舞い込んだJ2琉球からのオファーを選手としてのさらなる成長を求めて受諾。19年8月10日の浦和戦(札幌ドーム、1△1)をもって、一度は札幌から離れた。
再び小野が赤黒のユニホームに袖を通したのは、琉球への移籍から1年半後の21年のことだった。元日に再加入が発表されると、多くの札幌サポーターが復帰を喜んだ。リーグ戦出場こそ4試合にとどまったが、6月9日の天皇杯3回戦ソニー仙台戦(札幌厚別、5〇3)では前半14分の直接FKの場面で、自身4年ぶりとなるゴールをゲットした。
今年1月に左足首手術 9月の誕生日に引退発表
札幌復帰後3シーズン目となった今年は年明けに左足首の手術を行ったものの、痛みが引かずに満足なトレーニングをできない日々が続いた。夏にプロ生活を終えることを決断。9月27日、44歳の誕生日当日に自身のインスタグラムにて現役引退を発表した。
持っている力は20分間の中に
試合後に行われた引退セレモニーでは、これまでの現役生活で関わってきた人々や、支えてくれた家族への感謝を口にし、現役ラストゲームを「短い時間でしたけれども、自分の持っている力を20分の中で表せられたんじゃないかと思っています」と振り返った。
10月に他界した母に「サッカーに出会わせてくれてありがとう」
あいさつの終盤には今年10月17日に79歳でこの世を去った母・榮子さんに向け、途中言葉を詰まらせながらも「僕を産んでくれて、そしてこの素晴らしいサッカーというものに出会わせてくれてありがとうございました」と感謝の気持ちを口にした。
第2の人生は
最後は「僕もこれから第2の人生が待っています。ゆっくりはしませんが、少しずつ自分の道を進みながら、北海道コンサドーレ札幌、日本サッカーに携わっていけるようにやっていきますので、これからの小野伸二もよろしくお願いします」という言葉でセレモニーを締めくくり、サンクスウォーク後はチーメートから胴上げされた。この街を躍らせ、札幌と共に戦った背番号44が、26年間の現役生活に別れを告げた。