「ああいう満員の中でサッカーをするというのは、本当にこんな幸せなことはないんだなとピッチに立って、あらためて思いましたし、遠くから駆け付けてくれた方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、本当に自分がそういう空間でプレーできたことに感謝しています」
―フリーキック(FK)の場面について
「ちょっと角度的に自分が狙えるような角度じゃなかったので。後から考えれば、もう少しゴールを狙って終わっても良かったのかなというふうに今は思いますけれども。やっぱり自分の性格上、チームのことを考えてしまうので、どうしてもそういうひらめきに行かなかったということはいつもそうなんですけど。試合終わった後で反省しております(笑)」
―FKになった瞬間、ミシャ監督が交代を思いとどまった
「あのタイミングで交代させられないなとは思いましたけど、蹴らせていただいたことには感謝しています」
―ラストマッチを終えたという実感はあるか
「今もそうなんですけど、これからもそうかもしれないですけど、本当に現役生活が終わったっていう実感がいつ来るのかなっていう感覚ではいます。きのうもそうですけど、いつもと変わらない試合の前日だったなという感じを受けています」
―以前、カズさんが辞めるまで辞められないという話をされていたが、あらためて引退を決めたきっかけは何だったのか
「まずはその言葉を訂正したいですね。本当に自分の甘さを感じました。プロサッカー生活を辞めることに関しては、自分としては後悔もありませんし、ここまで本当にたくさんのけがもありながら、たくさんの方に支えられて、きょうを迎えられたことの幸せが強いです」
―26年間で印象に残っている試合は
「どうですかね。どの試合も印象には残っているとは思うんですけど。細かいことはなかなか思いつかないんですけども。自分が出た試合もそうですし、出ない試合もそうですけれども、ファン、サポーターも含めて、そういう人たちがたくさん試合を見ている中で『きょう良かったな』『楽しいな』って印象に残る試合というのが多くあったと思いますので、そういう試合が自分にとっても同じように貴重な時間でした」
―この北海道がどこの地域よりも長いキャリアとなった。北海道への思いは
「5シーズンやった後に2年、沖縄へ行かせていただいて、また受け入れてくれた北海道の皆さん、そして北海道コンサドーレ札幌というクラブにすごく感謝していますし、長くいるということに、自分もこの北海道という土地が本当に好きなんだなというふうに実感しています」
―引退を発表した際には、相棒の足が休ませてくれと言っているということだったが、今、相棒に声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいか
「言ってもね、聞こえないと思いますけれど(笑)。まあ、でも少し休ませてもらうね、お疲れさまという言葉です。でもセレモニーでも言いましたけど、僕のサッカー人生が別に終わるわけでもないので、これからは違う形でサッカーとまた触れ合っていくんじゃないかなというふうに思っています」
―この先のサッカー人生で何か具体的に決まっていること、あるいはこういうことをやっていきたいということはあるか
「今はちょっと、おなかが空いたのでご飯が食べたいというだけで(笑)。ご飯を食べて満腹になって、また次の日、あしたを迎えてから、いろんなことが始まると思うので、今はとりあえず、きょうの試合に負けたことを反省しながら、おいしいものを食べていいのか分からないですけど(笑)、ご飯食べて反省していきたいなというふうに思います」
―セレモニーのあいさつで、母親への思いを口にした
「10人という兄弟を、子どもを育ててくれたことにすごく感謝しています。それは自分が親となって、子ども2人を育ててからの大変さ、2人でもこれだけ大変だなという中で、10人を育ててくれたお母さんというのは、本当に僕にとって心強かったですし、正直、きょうという日を見せたかったなという気持ちです」
―サッカーとはどういう存在だったか
「自分が自分らしくいられる時間だったなというふうに思っています。サッカーを通じて、たくさんの方に出会って、いろんな方に触れ合えて、自分という人間というのもまた成長できたのかなというふうに思っています」
―今までで衝撃を受けた選手は
「(元フランス代表MF)ジダンとかになってきますかね。対戦させてもらった時に、正直この方にはかなわないなという衝撃を受けました」
―長いサッカー人生の中で、札幌でのキャリアをどういうふうに位置付けているか
「どこの土地もそうですけど、その土地を自分で愛して、その土地に愛されてという感覚で、その土地を盛り上げたいという気持ちを持って、どの場所にも行かせていただいているので、そういった意味では、一番長くこの北海道という地にいさせてもらえたということは、すごく自分にとっても、かけがえのない貴重な時間だったなというふうに思っています」
―交代時、両チームの選手が花道をつくった
「日本のサッカー文化の中で、ああいう形で見送られるシーンというのは、たぶん僕も見たことがなかったので。どういう形でコンサドーレの選手たちがレッズの選手たちに声をかけてくれたのかは、ちょっと分かりませんけれども、ああいう形で見送っていただいたということは、僕にとってもすごく幸せな瞬間でした」
―最終戦が古巣の浦和戦。運命のようなものを感じたか
「自分がプロ生活を始めたチームで、2度同じチームに在籍させてもらえたというのは浦和レッズさんと北海道コンサドーレ札幌さんしかないので。そういう縁もあったりという中で、最終戦で20分という時間、ピッチに立てたことを幸せに感じています」
―札幌のアカデミーの選手たちも多く観戦。今の子どもたちにどういう励ましの言葉をかけたいか
「正直、試合全体として、勝つ試合を見せたかったというのはやっぱりありますよね。きょうに関して見れば、もちろんいい展開もありましたけども、結果的に負けてしまうと、やはり伝えることがなかなか難しいと思うんですけれども、僕自身はそういう中でも一人一人の選手たちがどういうふうに勝ちにいく、勝つためにどう考えるか、そういうものをこれからの子どもたちに、自分自身も含めて伝えていかなきゃいけないなというふうに責任を感じています」
―浦和のMF小泉佳穂選手(琉球時代のチームメート)に話を聞くと「僕が今ここにいるのは伸二さんのおかげだ」というふうに言っていた
「彼に会った時、(琉球での)初日ですけれども、彼がこのチームで一番うまいのに何で試合に出ていないのかという、そういう疑問が浮かんで、他の選手たちにもいろいろ聞きながら、という出会いだったので、本当に自分としても「こんなに人をワクワクさせるような選手がいたんだな」というのが最初の印象でした。一緒に2年間プレーさせてもらって、そこから浦和レッズの方に行きましたけど、今、頼もしく、しっかりとレギュラーの座をつかんで、バリバリやっている彼を見て、これからの日本サッカーをもっともっとけん引していってもらえたらなというふうに本当に思っています」
―黄金世代が日本のサッカー界にもたらしたこと、今後の日本サッカーに期待したいこと
「僕らの世代が何かをもたらしたということは、別に特にはないと思いますけども、僕らの世代は世代で、みんなが切磋琢磨して、厳しい競争をどのチームでも勝ち抜いて、そのチームでしっかりと責任を果たした結果が、今いる選手たち、長く現役を続けたりしている選手たちじゃないかなというふうに思います。これからのサッカー、日本サッカーに関しても含めて、僕たちがいろんなことを経験してきたわけですから、そういうものを少しでも還元できるように、協力しあってやっていくことが大事なのかなというふうに思います」
―札幌加入後、佐川トレーナーにケアをされてきたと思うが、佐川トレーナーに思うことを教えてほしい
「入った当初から、自分のことも含めていろんなことを気遣ってくれて。時には練習の量も考えてくれたりとか、監督と交渉しに行ってくれたりとか、いろんなことをしてくれたおかげで、最後の最後、こうやってちゃんとピッチの上に立てるような状況をつくってくれたので、そういう今までの苦労も含めて、大きく感謝しています」
―その中でも佐川トレーナーとの出来事で印象に残っていることは
「印象に残っていることというか、とにかく毎日、練習場に来ると必ず、一番最初にきょうの状況、『足の状態はどうだ』って必ず聞いてきてくださって。それに対して痛みがあれば、痛み止めをくれたりとか、痛みが強すぎたら『練習休むか』とかいろいろ。そういった意味で、練習前に必ず一番最初に相談に来てくれたというのが印象的です」
―きょうは選手会会長の吉田麻也が来ていた。どういった話をしたのか
「僕自身も麻也が来ていることを全然知らなかったですし、あそこに立っていてびっくりしました。特に何か会話を交わしたというよりも、自分がこうやって一度終わって、次のステージにということで、日本サッカーの中に少しでも協力できることがあれば、また話したいねという軽い言葉を交わしたぐらいですね」
―これは自分はよく頑張ったなと感じていること、そして心残りがあるとしたらどういったことか
「頑張ってこられた…。どうなんですかね。まだまだ自分の人生は終わらないので、たぶん人生が終わる時にそういう気持ちになるのかもしれないですね。心残りとしては正直、プロになる時の自分に『もっともっと努力しろ』って伝えたいということですかね」
―試合後、浦和のFWブライアン・リンセンと話していたが、何語でどういう話をしていたのか
「英語でしゃべっていましたね。(話した内容は)いや、特に。来年どうするの、みたいな感じです」
―小野がきっかけでサッカーを始めた、サッカーを見るようになったという話をよく聞いた。自分のプレーがいろんな影響を与えたことをどう感じているか
「そういう方がいてくれるというのはすごくうれしいことですし、これからもそういうふうにサッカーを好きになってくれるように、自分自身もまた違う形で発信していけたらいいなっていうふうに思います」
―キャリアで一番良いプレーができていたなと思えた瞬間は
「強いて言えば、高校生ぐらいが一番ピークだったのかなっていうふうに思っているんで(笑)。今みたいにSNSが発達している時であれば、もっといいプレーを皆さんに見せられたのかなというふうに思います」
―「楽しむ」という言葉をモットーにされていたが、一番楽しかった、一番楽しんでいた瞬間は
「いや、毎日楽しんでいました。今もそうですけども。この空間もそうですし。楽しむっていうのは、僕はサッカーだけじゃなくて、普段の生活も含めて、全てのことに関して楽しもうと思っているので。サッカーをすることだけじゃないので、今こうやって皆さんの前でお話しさせていただいている空間も心の中で楽しんでいますし、そういう形で楽しむっていうものを考えています」
―ファンの存在はどのようなものだったか
「サッカーをやる上で、たくさんのファンの方がいてくださる。そういう中でサッカーをするっていうことはすごい幸せなことですけれども、何よりも自分が大けがをしたりした時に、支えてくれたのがサポーターの皆さんの温かいメッセージだったので、そういう方のおかげで、自分ももう一度ピッチに立って皆さんを笑顔にしたいという、そういう気持ちにさせてくれたので、サポーターの皆さんには本当に感謝しています」
―コンサドーレがタイトルを取るために必要だと思うことは。そしてタイトルに向かって戦う選手たちにどんな言葉をかけるか
「僕もそんなにタイトルを取った人間じゃないので、僕が何か言える立場じゃないですけども。どうですかね。すごい得点力がある選手が来る(笑)とかって言ったら、サッカーがつまらなくなっちゃうので。
北海道コンサドーレ札幌は、ミシャ監督がやっている、人と人とが連動しながら動き回って、見ている人たちが楽しいサッカーの中で、やっぱり一つ一つのパスの精度だとか、そういうものを練習の中から、もっともっと厳しく選手同士が伝え合いながら、なおかつその練習の中で、コーチングスタッフの皆さんも含めて、優しい声じゃなくて、もっと厳しく選手たちに伝えるってことが、もしかしたら大事なのかもしれないですけれども。
難しいのは、やっぱり北海道っていう、皆さんの温かいキャラクターというか、温かい心を持っている人たちが多いので。なかなかそういうのも多くあれば、いいというものでもないですし、そのあんばいがすごく難しいところなのかもしれないですけども。僕自身は来シーズン、この6シーズンみんなが感じてきたものを、選手も含めて、コーチングスタッフも含めて、ミシャさんもそうですし、とにかくどうしなきゃいけないかというのを、初心に戻って考えるという時間も必要なのかなというふうに思っています」
―海外でも高い評価を得ていたが、引退する今、どのように振り返るか
「オランダ、ドイツ、オーストラリアと海外に行かせていただきましたけれども、どのチームでも選手たちを含めて、本当にウェルカムしていただいて。そういう中で、オランダでは大きなタイトルも取りましたし、ドイツでは、なかなかタイトルに手が届かなかったですけど、オーストラリアも2シーズンけがもなく、チームはできたばかりでしたけども、ACLで優勝するまでのチームになれたっていう、そういう実績もあったので、僕自身が海外に行かせていただいて、いろんなものを得る中で、そうやってどの国の人も自分のことを気遣って、気にかけてくれていることはすごくうれしく思います」