【一問一答】山崎福也が入団会見 背番号は18に決定「このブルーの色が一番似合っている」
■山崎福也投手入団会見(12月6日、エスコンフィールド北海道)
いろんなご縁がある
国内フリーエージェント(FA)権を行使してオリックスから日本ハム入りした山崎福也投手(31)が6日、エスコンフィールド北海道で入団会見を行った。背番号「18」に身を包み、移籍を決断した理由などを語った。一問一答は以下の通り。
―改めてどんな気持ちですか
「本当にやっとファイターズの一員になれたといいますか、ちょっとホッとしていますね」
―ファイターズに決めた理由で一番大きかったものは
「僕自身、ファイターズにいろんなご縁はあるんですけど、やっぱり一番、僕自身の決め手というのは吉村本部長の『この球団と一緒に成長していこう』と言ってもらったお言葉が一番の決め手ですね」
―誠意を感じた
「もちろん熱意も感じましたし、ビジョンと言いますか、成長させてくれそうだなという僕自身もまだ全然満足はしていないので、まだまだ野球人生を長くやりたいっていう僕もいるので、その中でファイターズが一番成長させてくれるんじゃないかなという思いになりましたね」
―金額面の条件だけでは、ファイターズよりも上のところもあった
「はい。やっぱり目先のことで、目先のお金だったら、他のところに行った方が良かったかもというのはあるとは思うんですけど、僕自身は野球人生を長くやりたいという夢があるので、そっちを優先しました」
―ファイターズとの交渉は最後。何か縁があるとは思っていた
「それは僕自身も分かっていた。でも、球団のトップの方と話してみたい。そういうスタンスでやっていた。じゃないと、何も見えてこないと思っていた。各球団の方とお話しする中で、吉村さんだけ独特の雰囲気。本当に頭の良い方なんだなと感じた」
―成長させていくという具体的な話は
「データとかもたくさん見せていただいて、ちょっと細かくなってしまうので、そのデータを見ていろいろとお話はしました」
―成長していく球団だと外から見ていても感じていた
「そこはもちろんそうですし、今年も結構、京セラドームでも、エスコンでも投げたんですけど、なんか不気味な打線と言いますか、これから強くなるんだろうなっていうのも、オリックスのチームメートとも話をしていました。このチームどうなんだろうっていう声が本当に数多く挙がっていたので、本当にそういうチームに入れて僕自身、野球をやれるのも楽しみですし、僕自身もまだまだ成長したいっていうのもあるので。そこに本当に一緒に乗っかって、来年32歳なんですけど、まだまだたくさん野球をやりたいという気持ちがありますね」
「寅威さんとは食事も行きました」
―昨季までチームメートだった伏見から助言はあったか
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「(伏見)寅威さんとは食事も行きましたし、LINEでもすごく連絡を取り合っている仲なんですけど、『ファイターズいいよ』っていうふうにシンプルに『やりやすい球団だよ』というのは毎回毎回言っていましたし、これからどんどん強くなっていかないといけないっていうのは寅威さんも言ってましたね」
レベルアップのために必要なこと
―球団と話し合い、もう一段階レベルアップするために何が必要か示された
「フィジカルの面だったり、技術の面、悪いところは自分自身たくさんあるので。そういうところを改善していけば良いのでは、というお話はあった。いま言ってしまうと、たくさんあるので。まだまだ頑張ります」
―ユニホームに袖を通したのは初めて
「初めてです。びっくりです。今日はこういうセッティングはあるのかなと思っていたのですが、いざ、こういうふうに着てみると、うれしいですね」
―鏡の前で見た
「もちろんです。帽子を合わせて。このブルーが好きだったので、良かったです」
―似合っている
「この期間、どこの球団に行くのかなと思っていたので、一応、各球団のユニホームと帽子を身に付けている自分を想像していた。でも、その中でもファイターズのこのブルーの色が一番似合っているかなと思っています」
打撃は誰も傷つかない形で
―セ・リーグの球団に移籍して、打席に立ちたくはなかったか
「みなさん、恐らくセ・リーグに行くと思っていましたよね(笑)。僕自身、この数カ月間、セ・リーグに行くのかなと思っていました。でも、交渉の過程で吉村さんの話し方、熱意を聞けば聞くほど、ググッと心がファイターズになっていった。やはり縁もあるチームなので、ファイターズで野球をやりたいという気持ちになった」
―打撃に未練は
「やりたくないという気持ちはない。やりたい気持ちはある。でも、他のチームから来た選手でもあり、それによって若い選手の枠を一つ削ってしまうのもどうかという面もある。誰も傷つかないのであれば、やりたいなと(笑)。迷惑をかけない程度にやれれば良いかなと。まだ、一流の投手ではないので、投手として一人前になれるようにと思っている」
命を救ってくれた沢村医師との再会
―中学3年の時に北大病院で脳腫瘍の手術を担当した沢村先生と会ったのはいつ以来か
「さっき思っていたんですけど。10年くらい開いていると思う。一度、手術した後にお会いしているんですけど」
―花束を受け取って
「今日、会見に来られると聞いていたんですけど、見渡してもいなかったので、今日は来ないのかなって思ったら、まさかのああいう形で。ファイターズの関係者の方々が多分いろいろとやってもらったんですけど、本当に感謝していますし、ちょっとほんとに、泣きそうにはなりましたね。我慢しましたけど」
―15歳の時はどこに住んでいた
「実家の所沢です。埼玉県に住んでいて、高校からのオファーと言いますか、いくつか来ている中で日大三高に入ると決めていた中で健康診断がありまして。その中では頭の検査はなかったんですけど、母がそこで一応、寮にも入るし、頭も検査しとけば、みたいな。そのノリで検査したら、たまたまあった感じで。で、その時はちょっとマジか、と思っていて。いろんな最悪の事態も僕自身も想定していましたし、覚悟はしていたんですけど、何とか沢村先生が名医だったので。ほんとに今となっても感謝しています」
―なぜ北大だった
「家族中で調べまくり、東京の病院も何個も当たったんですけど、北海道の北大の沢村先生のところも来させてもらって。これもまた、独特な雰囲気と言いますか、北大の雰囲気も良かったですし、沢村先生の話し方だったり人柄というのもその時、見られたので。最終的には、僕自身でそこは判断して、家族には言いましたね。北大で手術したいと」
―その時も自分で決めた
「家族はもう最後はいろんな意味で、本当に最後かもしれなかったので。もう好きにしていいと言われていたので。その時は、自分で北大がいいって言ったんですけど。結局、家族も沢村先生に手術してほしかったっていうのは、言っていました」
―手術した後、1週間ぐらいで甲子園に出ると。早く野球がしたかったから退院したかった
「同級生がもう寮に入ってたんですよね。3月21日に手術して、その前後くらいで確か入寮があったので。その選手たちに負けちゃいけなかったので。差がついてしまうと思っていたので、何とか早く退院したい、早く寮に入りたいって言っていたんですけど、なんか思いのほかポンポンうまくいきすぎてて。ちょっと最初、自分でも平気かなって思ってたんですけど、もう全然。その後も順調で大丈夫でした」
18番はエースだった由伸のイメージ
―背番号18は
「いや、もううれしすぎます。ファイターズは11番がエース番号ですよね。オリックス時代は11番だったんですけど、また新たにリフレッシュと言いますか、気持ちも新しい気持ちでこの番号を背負えるので楽しみですね」
―18番のイメージは
「山本由伸。オリックスのチームメートの18番。オリックスでは18番がエースだったので、由伸のイメージが僕は強いですね」
―やっぱりオリックスに勝ちたい
「もちろんですね。そこは打倒オリックスで」
―伏見も負けたくないと言っていた
「やはりその気持ちにも今なっていますし、寅威さんとバッテリーを組んで、4連覇を阻止したいですね」
―今後の自主トレの予定は
「僕は関東と関西の方で毎年やっているんですけど、関東だったら母校に帰ったりしてやっていますし、関西だったらジムと言いますか、トレーニングジムがあるので、そこでやったり、グラウンド借りてやってるので。で、ちょっと今年は異例なので全然予定が組めない感じです」