《岩本勉のガン流F論》特別編 忘れられないあの一球 プロ初完封を逃し、成長できた岩手の夜
一球の怖さを痛感 我を通して逃したプロ初完封
日本ハムのエースとして一時代を築いた「ガンちゃん」こと岩本勉さん。開幕投手を5度務め、1998、99年には2年連続で完封勝利を飾った。人懐っこい性格と天性のトーク技術で、ファンにも愛され、現役引退後は評論家を軸に幅広く活躍を続ける。オフシーズンの今、あらゆる角度から、プロ野球界の今昔を語る。今回のテーマは、忘れられないシーン。我を通したために、あと1球のところでプロ初完封を逃した痛恨の一戦を振り返る。同時にその試合は、名将へのリスペクトの念を深める契機ともなった。
星野伸之と投手戦 1ー0の九回に響いた名将の声
1996年6月25日。忘れもしない岩手県営球場。相手はオリックス。星野伸之さんとの投げ合いが続き、六回まで互いにスコアボードに「0」を刻んだ。そして七回、ついに味方が押し出し四球で1点をもぎ取った。1―0のまま突入した九回に〝事件〟は起きた。
2死一塁。打席に4番の四條さんを迎えた。1球目にストライク。2球目はファウル。プロ初完封まで、あと1球と追い込んだ。ここでベンチの上田監督から「おーい! ガン!」と大声が飛んだ。上田監督はジェスチャーで、落ちる球の指示を出していた。
指揮官の指令を無視して選択した直球勝負
ところが、だ。私は心に決めていた。ストレートで3球勝負と。2球目のファウル直後、捕手の田口さんが「最後、どうする?」。ここで私は「直球でいきます!」と即答した。ということで、上田監督の指令を見事に無視し、投げ込んだ3球目。これが三遊間への内野安打となってしまった。
そしてまさかの… プロ初完封が一転
試合終了が一転、2死一、三塁とピンチは拡大した。打席には強打者のニール。それでもあと1死だ。だが、私は平常心ではなかった。内野安打を許した怒りで、自然と体に力みが生じ、コントロールを乱した。アウトローを狙った初球の直球は指にかからず、ただただ甘い棒球となった。メジャー経験者で、この年に本塁打王と打点王のタイトルを獲得したニール。絶好球を見逃してくれるはずがない。しっかりとライトスタンドへ運ばれた。逆転サヨナラ3ラン。ただただ、白球の行方を見送るしかなかった。
試合後の移動バスでまた〝事件〟 救われた片岡篤史の〝一発〟
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試合後、球場から仙台へと向かうバスの中はまるで通夜。雰囲気はドンヨリと重かった。追い打ちをかけるように〝第2の事件〟も勃発した。ホテルに到着する直前、田中幸雄さんが、いきなり「くさっ!」と大声を上げた。ざわつく車内。そこで片岡篤史さんが一言。「すんまへん、屁ぇ、こきましたわ」。異臭騒ぎ。いや、車内汚染。踏んだり蹴ったりの一夜となった。いや、正直、救われた。片岡さんの〝一発〟に雰囲気は一変した。
上田監督からの呼び出し 「すべてが図星だった」
次の日。仙台のホテルにいると、マネジャーから電話があり、上田監督の部屋に呼ばれた。ミーティング前のタイミング。「そこに座れ」と促され、指揮官の話が始まった。当然、あの瞬間。四條さんを追い込んで迎えた3球目のことだ。「力づくのストレートで締めくくり、自分に酔いしれたかったか?」、「勝利の瞬間のガッツポーズまで思い描いていたろ」。すべてが図星だった。
効果的だった一夜明けの説教 より深まった尊敬の念
ただ、上田監督は決して怒っていなかった。最後は諭すように「たった一人の若さがチームに迷惑をかけることがある」と戒めた。試合直後ならば、カッカしていて素直に聞くことができなかっただろう。一夜明け、冷静になったタイミングで、言葉をかけていただいた。一つ一つを素直に受け入れることができた。そして上田監督への尊敬の念は、より一層深まった。
イチローを中飛に打ち取りプロ初完封
この日、いただいた言葉は深く胸に刻まれた。その年の9月11日。オリックスを相手にプロ初完封を記録した。最後の打者はイチロー。ツーシームで中飛に打ち取った。その後も、試合を締めくくる一球は冷静に変化球を選ぶことができた。98年の開幕戦はカーブ、99年はチェンジアップ(いずれも完封勝利)で試合を終わらせた。
今では笑い話も 鮮明に残る現役時代の一戦
もう一つ、上田監督に気付かせていただいたことがある。あの日、上田監督の部屋を出る際に言われた。「ガン、キャッチャーとしゃべる時の声、デカいで」と。四條さんへの3球目。捕手の田口さんに「直球でいきます!」と伝えた。グラブで口元を抑え、小声で話していたつもりだったが、緊張と興奮で自然とボリュームが大きくなっていたのだ(笑)
あの試合に関わる一つ一つのシーンが今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。