F吉田輝星の素顔(2019~2023)~担当記者が振り返る~㊦ 対戦相手の〝罰走〟を目にして…
エピソード満載 惜別緊急企画のラスト第3回
今季まで日本ハムに在籍した吉田輝星投手(22)が来季からオリックスのユニホームを着る。明るく、少しやんちゃで、野球にはとことん真面目。〝人たらし〟な性格はチームメート、スタッフ、ファン、報道陣、誰からも愛された。入団1年目から「輝星担当」を務め、5年間にわたって取材を続けてきた記者が未公開エピソードを交えながら、素顔を振り返る。3回連載のラスト㊦は、大切にしている思いや、選手としての本質に迫る。
寮の部屋に張られた「根性」
どんなにスポーツ科学が進歩し、データが重要視される時代になっても、吉田の根底にあるのは根性や雑草魂だ。寮の部屋の壁には、ノートを破って書いた「ファイターズのエースになる」「周りに応援される選手」「味方のエラーも全部カバーできる選手」といった目標に並んで、ひときわ大きく「根性」が張ってあった。
ちなみに、それらの脇には「(西武に移籍した)平沼さんが勝手にふざけて書いた落書きも貼ってあります。女にモテるためにはどうたらこうたらみたいな、詩みたいなやつ」というもの吉田らしい。
KOされた相手投手が罰走 まさかのリアクション
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
印象に残っているリアクションがある。ある日の鎌ケ谷で、ノックアウトされた対戦相手の投手が降板直後、右翼後方の坂道を何度も駆け上がっていた。吉田は〝罰走〟のようにも映るその姿を見て、「いいですね。ああいうの好きです。あのくらいの緊張感があれば、ピッチングも変わってきますよね」と、少しうらやましそうに笑っていた。
過酷な走り込みも練習のうち 自ら率先して実践
アマチュア時代に、罰走を経験している選手は少なくない。大半は当時を振り返りながら、「走らされるのは嫌だ」「あれは死ぬかと思いました」「もう絶対にやりたくない」と顔をしかめる。見る人によっては、「時代遅れ」「そんなことしても意味がない」と嫌悪感を抱く場面かもしれない。
それでも吉田にとっては、成長の可能性を感じる〝練習法〟の一つだった。実際、調子が上がらない時には、全体練習前の早朝や、グラウンドに誰もいない休日に、鎌ケ谷で一人黙々と走り込むことも多かったという。
文字通りのタフネス右腕 惜しまない体への投資
一方で、体のケアには人一倍気を使い、科学的なアプローチも積極的に取り入れている。プロ1年目のオフには、右肘に違和感を抱えていたこともあり、当時最新だった総額100万円を超える治療用の医療器具を購入した。「これがあれば無敵です。体になら投資していいと思った。この100万円で、シーズン1年間ずっと投げられれば、それ以上になってかえってくる」。高3夏に甲子園で歴代2位の881球を投げた右腕。蓄積疲労が心配されたが、5年目終了時点では、手術などにつながる大きな負傷は経験していない。
「ふて腐れるような態度を見せたことは一度もない」
自身の性格を「短気」だと言うが、記者の印象は違う。確かに、打たれた後や投球内容が悪い日は、悔しさや怒りを隠しきれない表情で、鎌ケ谷の坂を登ってくる姿をよく見た。それでも取材をすれば、いつも「きょうはダメでした」だけで終わらず、「課題は分かったので、次はここをこうすれば良くなると思う」というような、ポジティブな言葉が返ってくる。もちろん、怒ってふて腐れるような態度を見せたことは一度もない。
登板後は自己反省 上沢に学ぶメンタル操縦術
どう気持ちを切り替えているのか、気になって聞いたことがある。「僕も、大人になりました(笑)。でも、投げ終わった瞬間に取材されたら、たぶんとんでもないことになりますよ。登板後は毎回、自分で反省会をして、打たれた時は取材までに、何でこうなったのかなっていろいろ考えています。だから、もっとこうすればこうなるんじゃないかとか、そういうことが言葉になっているんだと思います。気持ちの整理はついていないんですけどね。上沢さんとかを見ていても、すぐにプチってこないし、そういうところはやっぱり心の余裕があるとだいぶ違うと思いますね」。エースと呼ばれる先輩の姿も手本に、短気な自分を抑え込んで前を向いていた。
「気付けばいつも、こちらが勇気をもらっていた」
入団から5年間は、思い通りにいかないことが多かっただろう。何度も何度も壁にぶつかり、乗り越えたと思えば、また次の壁が現れる。そんな日々だったと想像する。それでも吉田から、弱音を聞いたことは一度もない。いつだって前向きで、「自分ならできる」と信じて突き進む姿に、気付けばいつも、こちらが勇気をもらっていた。