元Vリーガーの道産子・古田史郎 旭川からビーチバレーでパリ五輪目指す
20-21シーズンまでヴォレアス北海道でプレー
元Vリーガーというビーチバレーボール界の異色コンビが〝不毛の地〟北海道から2024年パリ五輪に挑戦する。2020-21シーズンまでVリーグ・ヴォレアス北海道でプレーし、今季ビーチバレー日本代表に選出された古田史郎(35、DOTs、函大有斗高出)、奈良出身の辰巳遼(28、DOTs)だ。古田は23年8月に中国で行われたアジアバレーボール連盟(AVC)主催の「コンチネンタル杯オリンピックアジア大陸予選第1フェーズ(東アジア)」で、黒川魁(29)と日本代表ファーストペアを組んで2位。24年6月の開催が見込まれている日本を含めた6カ国が出場する第2フェーズ進出を決めた。来季は辰巳との新ペアで、北海道から初の五輪切符獲得を目指す。
09年バレー日本代表
法政大在学中の2009年に全日本入りしたが、今度は舞台を砂の上に変え、五輪ロードを全力で疾走中だ。昨年10月に選ばれた6人の日本代表選手の中で、元Vリーガーは古田のみ。190センチの長身で、バレーボールの基礎能力は抜きんでており、かつ若返りを図った今回の代表ではキャリアの短さを伸びしろと評価され、代表最年長の35歳で選出された。「転向してからパリ五輪に対して準備期間が少なかったけど、届く可能性があるというか、そこに行ける可能性があるというギリギリのところを今走れている。手応えは非常にあります」と、現在は多忙で充実した日々を送っている。
8月コンチ杯では中国に敗れて2位
昨季ペアを組んだ黒川寛輝ディラン(25)組での世界ランキングでは23年12月時点で国内2番手。ジャパンツアーランキングは7位、同個人ランキングは18位。同8月のコンチネンタルカップには、古田・黒川ペアともう一組が出場。二組とも香港に勝利したが中国に敗れ2位。1位通過できていれば、一気に最終関門の第3フェーズ出場切符を獲得でき、逆に3位以下なら国枠の出場権を逃すという中で、五輪出場への道筋をつなげた。第2フェーズへ向けた代表選考スケジュールはまだ発表になっておらず、横一線状態。今後は今年2月中旬以降にブラジルへ渡り、1カ月半ほどの合宿を行う予定。「6月に合わせて、選んでいただけるように、日本の代表になれるように」と追い込んでくるつもりだ。自らでつかんだ切符をここでほかに譲るわけにはいかない。
転向当初は競技の違いに戸惑いも
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古田はヴォレアス北海道時代の20-21シーズンにV2で2位に入り、V1との入れ替え戦に出場。シーズン終了後、チームメートだった辰巳遼、白石啓丈(33)とプロビーチバレーボールチーム「DOT’s」を発足した。転向当初、砂のコートやボールの大きさはもちろん、「オーバーパスの基準が違うし、フェイントが使えない」と戸惑った。だが「サーブ、トス、スパイク、レシーブ、6人でやっていたことを全部2人でやる。風を考えつつプレーするのは、難しくもあり、面白くもある」と魅了された。
体脂肪は6%からスタミナ重視で10%へ
大会エントリーから移動手段の確保など、全て自分たちで手配。21年はポイントがなかったため、連盟特別枠という形で出場した。「体つきは変わりました。使う筋肉が全然違う。前ももをブレーキに使ったり、体育館の中での動作と前ももの役割って違う。試行錯誤しつつ、実験しつつを繰り返しています。インドア時代だと、体脂肪率が6%くらいだったんですけど、今はもうスタミナ的な部分を重視して、10%近くまでもっていった」。甘いマスクだったビジュアルも日焼けの影響もあって精悍(せいかん)さが増した。
「ダイナミックさは大事にしたいポイント」
ヴォレアス時代から一緒にプレーしてきた辰巳との相性は抜群だ。「辰巳はセッターとレシーブもそれなりにできるのでアウトサイド。僕は基本、ネットに引っ付いてブロッカーをやります。辰巳がレシーバーをやるんですけど、日本ってやっぱりブロッカーがいないんですよ。海外は2メーターいくつとか。正直、ブロッカーとしてまだまだ技術、スキルはないので難しいんですけど、僕の能力で言うと、日本では異質な部分があったりする。ビーチはダイナミックさが自分でも大事にしたいポイント」と、インドア時代の経験を存分に生かしている。
転向3年目で代表に初選出
転機は転向2季目の22年5月。「たまたま日本トッププレーヤーのペアの1人がけがをしてしまって『一緒にやってくれないか』」と、国内第一人者だった高橋巧(32)とペアを結成。「ワールドツアーにとにかく出場させてもらった。アジアツアーや、アジア選手権に出場する機会を協会からもいただいて、国内戦を度外視して、海外中心に経験を積ませてもらいました」。23年5月に日本代表に初選出と、短期間でキャリアを積み上げていった。
昨年12月に世界トップレベルが集まるエキシビジョン大会に出場
そして同年10月末、本来の目的であった辰巳とペアを結成し、11月にフィリピンの大会に出場。すると突然、12月にカタールで開催される世界最高峰のワールドツアーファイナルと同時期に行われる招待制のエキシビション大会「キング・オブ・ザ・コート・ファイナル(12月11~15日)」への招待状が届いた。以前から女子で世界を転戦する石井美樹、長谷川暁子ペアと東京などで練習を共にしており、「みきちゃんが推薦してくれたみたい。ほんとにとてつもない大会」と、一度は丁重に辞意を伝えたが、大会1週間前に再オファーが届き、日本男子として初出場。五輪でメダル争いをするようなレベルを肌で味わい、「貴重な経験になった」と目指す世界の頂点が明確になった。
「どこで何をするかより、誰と何をするか」
17年のヴォレアス北海道入団から旭川を拠点にして7年目。函館に次ぐ第2の故郷となった。ヴォレアス退団後、なぜ砂浜もない旭川を拠点にしたのか。周囲からも「もっと方法があるんじゃないか」と疑問視されたが、「どこで何をするかというより、誰と何をするかというところに僕たちはフォーカスした。無いものを無いからといって諦めるのは誰でもできる。無い中でどうやって、どうすることによって、今あるものと組み合わせて最大化しながら、そこにチャレンジして、達成して、成長を重ねて積み重ねていくか。そこに僕たちのこだわり、ある種の意地がある。環境っていうのは一番大きな要因ですけど、やり方次第で、それぞれの夢、目標も変わってくる」。ベテランの域に達した道産子は、五輪に挑戦する戦いを通じて、その生きざまも証明する。