夏季スポーツ
2024/01/10 19:00

アメリカ縦横断ギネス記録の永関博紀 今度はイタリア縦断1400キロマラソンに挑戦②

メーリト・ポルト・サルヴォ。ゴールの瞬間。少しの後悔はあったが、達成感もひとしお(本人提供)

音楽フェス「SORAON」主催社代表が寄稿

 音楽フェス「SORAON」主催社の代表取締役を務める永関博紀さん(33)が昨年、1400キロに及ぶイタリア縦断マラソンを完走した。自転車によるアメリカ縦横断のギネス最速記録(7282キロを31日間で走破)を樹立し、FMラジオ局AIR-G'のパーソナリティーとしても活動する永関さんの寄稿コラム第2回目。


1381キロ完走も少しの後悔を残して

 株式会社挑戦舎の代表取締役を務める永関博紀です。昨年の12月20日に完走することができました。ゴールのイタリア最南端「メーリト・ポルト・サルヴォ駅」に到着した時、1381.1キロを踏破したことの達成感と少しの悔いがありました。1日あたり平均40~45キロ進むのですが、ウォーミングアップを兼ねたウォーキングから始まって中盤25キロほどを走り、後半は疲れてウォーキングに。挑戦終盤はアキレス腱がミシミシと軋み、疲労度も限界に近づいて更にウォーキングの割合が多くなります。いざ、ゴールしてみるともう少しランの割合を増やして攻めたかったなと、ゴールできたからこそ思える少しの後悔がありました。

長いようで短い32日間の旅路

 思い出深いのは、前半300キロのアルプスの山々とチロル地方の街並みです。雪がかった壮大な山々に、クリスマスが近づいて活気付くスキー観光地。「どうしてそんな場所に街を造る!?」と何度も思った、山の中腹に突如出てくる街々。2000年の歴史を持つ世界遺産のバチカン市国もさることながら、自然が織りなす美しさに圧倒されました。9、10日目は工業都市ラヴェンナ近郊でしたが、ほぼ路肩がなく大型トラックとの距離は1メートル。スピードも100キロ近く、精神的にきつくてため息ばかりついていました。

永関さんが走った道のり

 

アドリア海に救われた旅

 その後アドリア海沿いに出て観光地の街々を走りました。昇ってくる太陽を浴びながら遊歩道を走るのは気持ちいいです。アドリア海に救われた旅でもありました。中盤から内陸に入り地中海に向かって山岳地帯に入っていきます。1日の獲得標高が1100メートルに達する日もあり(富士山五合目から頂上までが約1300メートル)、疲弊した身体はさらに追い込まれていきます。20日目は自然発生的に出来た小川を横切る必要があり、右足が完全に浸かって「しんどいなぁ…」とブツブツ呟いて進む日でした。

 最後は脚の痛みとの闘いです。持参したポータブル風呂での温冷浴では取りきれない蓄積疲労が身体を追い込んでいきます(備え付けの湯船があったのは1箇所のみで、基本はシャワーしかありません)。痛みは主にアキレス腱付近、そして土踏まずの違和感。股関節がストレッチや筋膜リリースではもはやほぐれず、血流が悪くなり末端の不具合が出ていました。ゴール後はしばらく脚を引きずって最後の観光を楽しみました。

イタリアの印象

 ピザ屋は日本でいうコンビニの感覚でどの街にもあって、イタリアの食文化そのものだと感じました。一枚700~800円からあるので、その手軽さも文化たる所以なのでしょうか。ゴミの多さには驚きました。歩道等に公共のゴミ箱が多く設置されているものの路上ゴミの多さに驚きました。トイレの少なさも特徴かと思います。公衆トイレはほぼなく、スーパーにもあまりありません。したがって道中は中々困るシーンも多く、常にポケットティッシュを持ち歩いてました。

この経験をどう生かしていくか

 アメリカ縦横断もそうでしたが、挑戦に成功したこと自体、特段価値を持たないものだと感じています。応援してくださる方やサポート企業の期待に応えるのは大切ですが、失敗も成功も引っくるめた軌跡が今の自分を形成し、未来への無限の可能性を感じられる事に価値があるのではと思います。

 ロードバイクに乗ったこともない2017年に日本縦断のギネス記録を更新し、アメリカ縦横断ギネス樹立、NZ縦断、そして今回のイタリア縦断マラソンへと続いてきました。「仲間と力を合わせればまだまだ価値を生みだせる」と確信しています。

 講演でいろいろと回っていると、これらの挑戦の軌跡に刺激を受けた若い世代が、「自分の好きを仕事にしていいんですか!?」「堅実な人生に進むべきか悩んでました」と打ち明けてくれ、みんな切実な悩みを持っているんだなと実感します。

人生はマラソンそのもの

 一度の人生、素敵なものにするかどうかは自分の一歩次第。自分の好きを見つけてそこに邁進して、社会にプラスを与えていってほしい。そんなメッセージを伝えられるのが挑戦の最大の価値だと思っています。人生はまさに「マラソン」そのもの。理想のゴール目指して、ともに一歩ずつ前へ。


※次回の寄稿最終回では、この挑戦のもう一つの目的でもあるチャリティプロジェクトの様子をご報告します。企業、個人の方からのご支援を募り、孤児院の子どもたちにランニングシューズを届けます。ぜひ、応援サイトを覗いてみてください。
https://nisinokikaku.thebase.in/

■プロフィール 永関 博紀(ながせき・ひろき) 1990年6月28日、砂川市生まれ。滝川高から小樽商科大に進学。卒業後は大手IT企業に就職し、インターネット番組制作に携わった。2年半で退職し、ロードバイクの挑戦を始める。2018年に日本縦断を達成、今年悲願の米国縦横断を成し遂げた。18年に株式会社挑戦舎を起業し、代表取締役社長に就任。19年には砂川市議会議員に当選。翌20年に歌志内市長選挙に出馬するも敗れた。175センチ、68キロ。家族は両親、兄2人、姉、妹。

 

ペデロア。アルプスの山々とチロルの街並み(本人提供)

 

グロッタンマーレ。太陽の日差しを浴びながらアドリア海沿いの遊歩道をひた走る(本人提供)

 

気温20度まで上昇する日もあり、ロングTシャツ1枚で走れる暖かさ(本人提供)
モンテネーロ・ディ・ビザッチャ。丘の上にある街で、つい立ち止まってしまう(本人提供)

 

アスプロモンテ国立公園。最終日は標高1400メートルまで登り、木々の美しさに癒やされる(本人提供)

 

メーリト・ポルト・サルヴォ。ゴールの瞬間。少しの後悔はあったが、達成感もひとしお(本人提供)

 

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