《荒木大輔のズバリ解投》特別編 ヤクルト時代からの盟友・栗山英樹CBOを語る
荒木さんだけが知る世界一監督の素顔
今なお記憶に新しい2023年春のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。日本代表「侍ジャパン」が3大会ぶりの世界一に輝いた。2021年まで日本ハムを率いた栗山英樹監督(62)=現日本ハムCBO=がドリームチームを結成。大願を成就させた。ヤクルト時代に栗山監督と共闘し、プライベートでも親交が深かった荒木大輔さん(59)。日本ハムでも2軍監督、コーチとして栗山政権を支えた。盟友の荒木さんがエピソードを交えながら、世界一監督の素顔を語る。
歓喜のWBC制覇 メンバー招集から手腕を発揮
絵に描いたようなフィナーレを迎え、侍ジャパンが見事に世界の頂点に立った。大谷やダルビッシュを筆頭にあれだけのメンバーを集められた。栗山さんの人柄、熱意のたまものだろう。そしてヌートバーを招集。一躍、大人気となった。そういう発想も実に栗山さんらしいと思った。
出会いは40年前 初対面から意気投合
出会いは1984年。栗山さんがヤクルトに入団した年まで、さかのぼる。当時、私は高卒2年目だった。栗山さんは東京学芸大を経て、テスト生でドラフト外入団。年は3つ上になる。寮で初対面したのだが、同じ東京出身ということもあり、すぐに打ち解けた。それから、よく一緒に食事へ出かけたものだ。
後輩から慕われる面倒見の良い「お兄ちゃん」
優しく面倒見が良く、気遣いの人。それは今も昔も変わらない。特に後輩から慕われた。誰にでも分け隔てなく接し、いろんな選手から相談を受けていた。自分のことより人のこと。いつだってそうだった。
私も大変、お世話になった。いつも気にかけてくれたのがうれしかった。栗山さんはメニエール病に苦しみ、90年限りで引退した。まだ現役だった私がけがをすると、必ず連絡をくれた。復帰登板を果たした際には球場まで足を運んでくれた。一言で表現するなら、優しいお兄ちゃんといった感じだ。
結婚式で大役を依頼 「二つ返事で引き受けていただいた」
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実は、私たち夫婦の結婚式で司会をしていただいた。当時すでに引退し、キャスターをされていた。二つ返事で引き受けていただいたことを覚えている。そんなことができる元プロ野球選手って、栗山さんぐらい。今や世界一の監督。昔のこととはいえ、失礼なお願いをしたものだ。
一つ一つに全力 ファッションにも興味
野球に関しては努力を惜しまなかった。ただ、いつも最後まで球場に残っていたというわけではない。一つ一つに全力で、手を抜かないイメージ。キャンプ中もみんなと一緒に宿舎へ帰っていた。メリハリが効いているということ。ゴルフが大好きで、洋服などファッションにも興味を持っていた。当時、渋谷によく足を運んでいたようだ。
女性人気は随一 「いろいろ知っている(笑)」
穏やかで紳士的。当然、ファンも多かった。当時のキャンプ地・ユマにまで、ファンレターや贈り物が数多く届いていた。いまだに独身を貫いているが、やはりモテた。いろいろ知っている(笑)。だが、今回は割愛する。何よりも野球を優先。その姿勢は今も昔も変わらない。
指導者としても4シーズン共闘 変わらない気遣い
18年から4シーズン、栗山政権下の日本ハムでコーチ、2軍監督を務めた。やはり気遣いの人だった。選手に伸び伸び過ごしてもらおうと、キャンプ中は誰もいない時間帯を選んで食堂に足を運んでいた。移動の飛行機も可能な限り、選手と違う便を利用していた。
正直、指導者として再び同じユニホームを着るつもりはなかった。私がいることで、いらない気を使わせてしまうと思っていた。迷惑をかけたくなかった。関係性もそれまでとは違うものになった。上司と部下。それは当然だ。
今年から日本ハムのCBOに就任 「ゆっくり食事でもしたい」
21年限りで、ともにユニホームを脱いだ。また昔のような関係に戻れると思っていた。それが世界一の大監督。今年からは日本ハムの要職(CBO=チーフ・ベースボール・オフィサー)に就いた。まだまだ栗山さんは多忙だ。いや、ゆっくりなど、していられない性分方なのだろう。一息ついた時にでも、また2人でゆっくり食事でもしたい。現役時代のように。