山崎福也が母校・日大三高で自主トレ 「第2の命の恩人」小倉前監督がほれ込む「山ちゃん」の人柄
毎年恒例の訪問 「本当に帰ってきたいなって思います」
日本ハムの山崎福也投手(31)にとって、東京・町田市にある母校の日大三高は〝特別な場所〟だ。プロ入り後も毎年、あいさつに訪れ「やっぱり小倉(全由)さんと三木(有造)さんに会いたいと思っているので来ています。〝第2の命の恩人〟というふうに僕は思っていますし、やっぱり本当に帰ってきたいなって毎年、思います」と爽やかな笑みを浮かべた。
大病を克服した左腕 忘れられない恩師2人の支え
高校入学直前、母に勧められて検査を受け、脳腫瘍が見つかった。生存率1割以下とされた手術。不安にかられた時、2人が支えてくれた。「たぶん日大三高に入ってなかったら、そういう検査とかもなかったと思います。手術してどうなるか分からない僕を小倉さんも三木さんも『もう、いつになってもいいから待っているぞ』というふうに言ってもらった。ホッとしたというか、その時本当に力になったと思っています」と感謝する。
難手術に向かう若者に送った物 「この辺で一番、力のあるのはどこですかね」
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
昨年勇退した小倉全由前監督は、当時をこう振り返る。副部長だった三木有造監督と相談し、「この辺で一番、力のあるのはどこですかね。やっぱり明治神宮だろうって」と、お守りを購入。直筆の手紙と共に、難手術に挑む左腕のもとへ送った。
驚異的な回復力を発揮 同じ病気を抱える子どもにも勇気を
病から復帰した山崎は「はじめは心配だったけれど、回復力がすごかった」。3年春にはエースとしてセンバツ準優勝に貢献。全国を転戦する招待試合では、同じ病気を抱える子どもたちを励ますこともあった。
今も昔もかわいい教え子 しかる時は…
小倉前監督は、そんな左腕の人柄にほれ込んでいる。「卒業生の中では一番…、一番という言葉を使っちゃいけないけれど、(思いが)強いですね。山ちゃんに対しては」と、しみじみ。呼び名は「入学した時から、山ちゃん、山ちゃんで、そのまんまです。今でも山ちゃん。周りに言われるんですよ。しかる時は何て言うんですかって。しかる時は『山崎、コラア』だよって。(怒ることは)たまにあったけれど、山ちゃんのあの顔を見たら、許せちゃいますね」と目を細める。
登板時の観戦は日課 「ドキドキです」
山崎の登板時はテレビ観戦するのが日課。今季プロ10年目を迎えるが、今でも緊張するという。「山ちゃんが投げる時は、いつもドキドキして…。何とか勝ってくれよ~山ちゃんって。去年はピッチングも安定していて良かったですけど、先頭バッターに四球を出したら、何やってるんだよ、山ちゃんって。ドキドキです」と苦笑いした。
日本ハム入りの決断をいの一番に報告
FA移籍を決断した際には、報道が出る前に「監督さん、日本ハムに決めました」と連絡があった。「すごく誠意を感じました。やっぱり人間性ですね。山ちゃんは人がいいから。頑張ってほしいですよね」。恩師は温かいまなざしで、教え子の活躍を祈っている。