《岩本勉のガン流F論》特別編 記憶に残るスラッガーたち 清原さん抜きには語れないプロ野球人生
「実力のパ」と表された時代 名勝負を演じた強打者たちを回顧
現役時代、日本ハムのエースとして一時代を築いた「ガンちゃん」こと岩本勉さん。開幕投手を5度務め、1998、99年には2年連続で完封勝利を飾った。天性のトーク技術と人懐っこい性格で、ファンからも愛された。引退後は評論家を軸に幅広く活動を続けている。オフシーズンの今、あらゆる角度から、プロ野球界の今昔を語る。今回のテーマは忘れられない強打者たち。「実力のパ」と表された時代。18・44メートルを隔てて向き合ってきた数々のスラッガー、記憶に残る対戦を振り返った。
真っ先に思い浮かぶ清原との対戦
私のプロ野球人生。この方を抜きには語れない。清原和博さん。年は4つ上。大阪生まれの私にとっては思い切り、憧れの人だ。冗談ではなく、清原さんを三振に打ち取った時に、心からプロ野球選手になれたと感じた。そのシーンは今でも脳裏に焼き付いてる。
背水の覚悟で臨んだ2度目の先発登板
95年7月14日。東京ドームで行われた西武戦。プロ初勝利を挙げた試合でもあった。プロ6年目で通算2度目の先発機会。初先発は前年94年の9月28日。ロッテ戦で1回KOを食らっていた。だからこそ、「これでアカンかったら、プロで食べていけない」と背水の思いでマウンドに立った。
いきなりのピンチで打席には清原 捕手からのメッセージ
その瞬間は、いきなりやってきた。一回表。2アウトでランナーを背負った場面。4番の清原さんを打席に迎えた。フルカウントとなり、捕手の山下さんのサインはインハイへの直球。私は首を振った。アウトローへのストレートを想定していた。それでもインハイを要求してくる山下さん。こっちが首を振っても、黙ってインハイにミットを構える。「ここ(厳しいコース)に投げられなきゃ、1軍ではやっていけないぞ」。そういうメッセージが込められているような気がした。
フルカウントから投げ込んだ渾身の一球 結果は…
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半分、目をつぶって思い切り腕を振った。空振り三振。初めて清原さんから三振を奪った。その後も2打席連続で三振。結果この試合、あの清原和博を3打席連続三振に抑えることができた。「プロで、1軍で、やっていける!」。確固たる自信が芽生えた。そして1失点完投で初勝利を手にした。プロ入りしてから5年半、何度も夢に出てきたヒーローインタビューのシーン。現実となった瞬間だった。
内角攻めは不可欠 「しっかりと育てていただいた」
その後も清原さんとは何度も対戦した(通算30打数7安打の打率・233、0本塁打4打点)。インコースを厳しく突かなければ、抑えられなかった。それだけ素晴らしいバッター。打者が投手を育てる―とは、よく言われる。まったくその通り。しっかりと育てていただいた。
秋山幸二とは好相性 効果的だった縦変化
西武といえば、80年代後半から90年代前半のクリーンアップ。秋山、清原、デストラーデ。覚えている野球ファンも多いはずだ。秋山さんとはダイエー(現ソフトバンク)に移籍してから対戦した。素晴らしい打者だが、相性は悪くなかった(62打数12安打の打率・194、2本塁打7打点)。横滑りするボールを捉えるのが実にうまかった。一方で、縦の変化を苦手としていたように感じる。縦のカーブと落ちる球を持っていたのが幸いした。
図らずも意識させたインハイ すべてを武器に
初対戦の〝残像〟もあったのかもしれない。94年。初対戦の時に変化球がすっぽ抜けて、頭の上に行ってしまった。決して意図したものではなかったのだが、何事も武器にしなければいけない。それがプロ野球の世界。インハイを意識させられれば、しめたもの。落ちる球が、より効果的となった。
タフィー・ローズとは舌戦も繰り広げた
あと、印象深かったバッターに近鉄、巨人、オリックスで活躍したタフィー・ローズがいる。近鉄時代にマークした55本塁打は今もパ・リーグのシーズン最多本塁打記録だ。そのローズを初めて打ち取った時、無意識にガッツポーズをしてしまった。それからというもの、やたらと挑発してきた。「shut mouth!(黙れ!)」。時には「〇〇〇〇!」と定番の暴言も浴びせてきた。こっちも「ええから打席に入れ!」「ボケ!」と応戦したものだ。
「やられた印象しかない」吉永幸一郎 博多のマチでばったり
最も相性が悪かったバッターといえば、ダイエーの吉永(幸一郎)さん。8割くらい打たれてるんじゃないかな(実際は50打数25安打の打率・500、4本塁打11打点)。タイミングを外したつもりのカーブでもピタリと合わされた。当時、大道さん、柳田(聖人)さんとの同学年トリオにはよく打たれた。3人には投球の癖がバレていたんじゃないかな。そのぐらい、やられた印象しかない。
互いに引退し、月日が流れたある日。博多のマチで吉永さんにお会いした。聞けば、近くに店を持っているという。「ぜひ、来てよ」と言われたけど、行く気にはなれなかった(笑)
自信のあったオリックス戦 それでもイチローはやはり嫌な打者
対イチローは…。オリックスとは好相性だった(96年から99年にかけて勝敗つかずを挟んで10連勝)ので、あまり苦手意識はなかったけど、対戦成績(91打数36安打の打率・396、5本塁打10打点)を見ると、打たれてはいる。足が速く、内野安打も多かった。やはり、希代のヒットメーカー。投手にとっては嫌なバッターであることに変わりはない。