【プロになった道産子球児たち 指導者の目線】高校編 ①北海・平川敦監督「鍵谷は大学経由が正解だった」
球春到来に向け 道スポデジタルの新企画がスタート
プロ野球12球団の春季キャンプはそれぞれ実戦形式の練習試合が始まり、2月末からはオープン戦が始まった。道新スポーツデジタルでは北海道から誕生したプロ野球選手に焦点を当て、プロ入り前の学生時代を見てきた指導者に話を聞く企画「プロになった道産子球児たち 指導者の目線」をスタートする(随時掲載)。数多くの選手がいる中で、プロになった選手たちは他の選手と何が違い、その特長はどこにあったのか? 目標に向かって成長していく選手を指導者たちはどんな目線で見守っていたのか深掘りする。
道内最多12人のプロを輩出
高校編の第1回は、北海の平川敦監督(52)。1998年に母校の監督に就任して今春で27年目となるが、道内最多となる12人のプロ野球選手を輩出した。今季巨人から日本ハムに復帰した鍵谷陽平投手(33)をはじめ、ここ11年間で12人という驚異的なハイペースは全国の強豪校でも珍しい。
プロへ行った選手たちは他の選手と何が違ったのか―。
身体能力は最低限必要
「タイプがバラバラだから明確なものはないですね。ピッチャーが多いことは多いけど(12人中6人が投手)、身体能力はやっぱり最低限必要だよね。結果的に、プロに行っている子はもう最初から『どうしてもプロに行きたい』と思っている子が多い」
第1号は日本ハム鍵谷陽平投手
監督自身のプロ輩出第1号は鍵谷投手だ。七飯中時代は軟式野球の選手だったが高校から硬式野球部に入部。3年夏の甲子園1回戦では、東邦(西愛知)に先頭打者弾を浴びるなど乱打戦の末に10-15で敗れたが、中央大で成長を遂げて2012年にドラフト3位で日本ハムに入団した。
「ぽっちゃりした白クマのプーさん」
高校入学当初からしっかりとした人間性を持ち合わせていたというが、決して能力的には突出した選手ではなかったという。「全然全然。(当時は)ぽっちゃりした白クマのプーさんみたいな(笑)。中央大に行って2つ上の澤村(拓一、現ロッテ)と一緒にやったことで変わったんじゃないか。トレーニングだとか意識だとかも変わったと思う」
高校時代にもプロ志望届を出したい気持ちあったが…
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「中央大に行くか行かないかっていう時に一瞬、プロ志望届を出したいって言ってたけど、鍵谷は大学経由で行った方が絶対いいと思うし、高校からあの体でピッチャーで行って、ここまでなれるかって言ったら、やっぱり大学に行った方が正解だったと思う」。北海での鍛錬を土台に、球速は144キロから152キロを出すまでに成長した。人間的にも真面目な性格は変わらず、卒業して10年以上経った今も毎年の帰省時には学校を訪れているそうで、律儀な性格はそのままだという。
教え子で高校から直接プロ入りした選手は5人
平川監督の教え子で、これまでに高校から直接プロ入りした選手は5人。そのうち支配下での指名は、17年夏の甲子園で自己最速148キロをマークしてDeNAから3位指名を受けた阪口晧亮投手(24、現ヤクルト)と、21年春夏甲子園に連続出場してソフトバンクから3位指名を受けた木村大成投手(21)の2人だけだ。
ヤクルト阪口晧亮は体格の良さ ソフト木村大成は負けん気の強さ
右腕の阪口は「右でも186、7(センチ)あるし、でかいし、やっぱり体、身体能力、その高さはあるよね。最後の最後に伸びた」と体格の良さを挙げる。左腕の木村は「1年の秋、2年ぐらいからもうプロ(に行く)と言っていた。結果を残しつつ成長もした。あいつは気持ちの強さというか、やんちゃな面もあった」と精神面の強さがプロ向きだったという。普段はおとなしいが「負けん気が強くて、試合に入ったらスイッチが入っていた」と相手に向かっていく姿勢は目を見張るものがあったという。
若い頃はメジャーに行けるような選手を育てたかった
自身が指導者として若かった頃は、「(プロで)常時1軍でレギュラーで出場する野手とか、チームの軸として先発、抑えで1軍でバリバリやる投手、最後はメジャーリーグに行けるような選手を育てたい」と思っていたが、監督として経験を重ねるうちに心境の変化が生まれた。「いまは(卒業後も)野球を続けてやってもらえればいいなと思うし、やれたらいいと思う。きちんとした野球人、社会人として生きていってもらえればいいな」。
今春も北海は選抜甲子園に出場する。現在いる生徒たちの指導に邁進しながら、プロになった選手はもちろん、教え子一人一人の活躍をチェックするのも平川監督の日課の一つとなっている。