【センバツ】別海が21世紀枠に選出 島影隆啓監督の8年物語 史上最東端の甲子園出場校
スタート当初は部員4人
第96回選抜高校野球大会(3月18日開幕、阪神甲子園)の出場32校を決める選考委員会が26日、大阪市内で開かれ、昨秋の全道大会ベスト4に進出した別海が、21世紀枠で選出された。春夏通じて、史上最東端の甲子園出場校となる。島影隆啓監督(41)は武修館の監督を務めていた2008、10年にも候補校に選ばれており、14年越しの悲願を成し遂げた。2016年、部員4人から始まった〝物語〟に、大きな1ページを刻んだ。
家族と迎えた発表の瞬間
別海の名前が読み上げられた瞬間、部員や一般生徒、関係者などが集った体育館は熱狂に包まれた。しかし、そこに島影監督の姿はなかった。「発表の瞬間は一番迷惑をかけている妻と家族と一緒に見たいなという思いがあった。本当はこっち(体育館)に来なきゃダメだと分かっていたんですけど、わがまま言わせてもらった」。体育館の近くに停めた自家用車で、妻、子どもたちと特別な時間を共有し、喜びを分かち合った。
苦しいスタート時を支えてくれたのは家族
就任8年目での甲子園。部員4人から始まるなど、険しい道のりであることは覚悟していたが、思うように結果につながらなかった。特に最初の1年は何度も壁にぶち当たった。16年夏に新チームをスタートさせても、苦難から抜け出せずにいた。当時を「どこと練習試合をやっても10点以上取られたりした。全くうまくいかなくて、折れかけました」と振り返る。その苦しいトンネルに光をくれたのが、家族だった。
娘が歌う『勇気100%』で気分転換
今でも鮮明に覚えている。中標津高にダブルヘッダーの2試合とも大敗を喫し、肩を落として帰宅した日だった。「娘が駆け寄ってきて、急に『勇気100%』を歌い始めた。それを聴いた瞬間に楽になった」と心は晴れた。
頭に浮かぶ〝島影1期生〟の顔
自らを信じて土台強化に努めると、部員のみならず、その家族たちもついてきてくれた。「あの世代の親が僕のやり方に納得しなかったら、その後も全然できなかった。日本一の父母会」と一枚岩で聖地行きの切符をつかみ取った。そして、頭に浮かんできたのは〝島影1期生〟の顔だった。「あの子たちが土台を作ってくれた。必死に頑張る姿を後輩に見せてくれた」。彼らがあってこその甲子園だ。
中道主将「自分たちのことを一番に思ってくれる」
島影監督は「昭和の野球です」と言い切るように、時に厳しく、熱さを持ちながら部員たちに接している。中道航太郎主将(3年)は「自分たちのことを一番に思ってくれていて、ダメなことはダメと言ってくれる」と絶大な信頼を寄せる。島影監督も「秋の全道大会ベスト4まで勝ち上がったのはこの子たちの力」と称え、「おめでとう! ありがとう!」と言葉を贈った。
「普通に野球ができていることに感謝」
「令和6年能登半島地震」から始まった2024年。島影監督は「1月1日に能登半島で地震があって多大な被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げたい気持ちと、一日も早い復興を願っている気持ちが一番です」と被災地域を思いやった。近年はコロナ禍に見舞われるなど、非日常の日々も続いた。「その中で甲子園を開催していただいて、選んでいただいたことを幸せに感じております。普通に野球ができていることに感謝して、これからもしっかりとした行動を心掛けたい」と、当たり前に野球ができる喜びを改めて感じている。
部員16人で挑む初甲子園
現在はグラウンドにあるビニールハウス、そして今月6日から使用できるようになった屋内練習場を併用しながら、練習を進めている。甲子園に出ることがゴールではない。島影監督も「優勝を目指してやるのが普通。全国制覇目指してやります」とキッパリ。部員16人でも全道を勝ち上がれることは証明できた。次は甲子園で再現する。