《元赤黒戦士の現在地・上里一将後編》主将を務めた2009年の激闘 そして生まれた2つのスーパーゴール
かつて北海道コンサドーレ札幌でプレーしてきた名選手たちが現在、そして札幌在籍時代について語る『元赤黒戦士の現在地』。FC琉球アカデミーロールモデルコーチの上里一将さん(37)のインタビュー後編は、チームキャプテンの大役を任された09年シーズンや、大観衆を驚愕させた2つのスーパーゴールなどについて話を聞いた。(以下、敬称略)
09年、石崎監督から指名でキャプテンに
2008年、昇格からわずか1年でJ2へ逆戻りが決まった札幌。巻き返しを図った翌09年、上里は新たに就任した石﨑信弘監督(65、現J3八戸監督)からの指名を受けてチームキャプテンを務めることとなった。「正直俺で大丈夫かなと思いました。ありがたい半面、自分に必死だったし、チームを引っ張っていく存在になるとなった時に、まだ早いのかもしれないなとは伝えました。でもイシさん(石﨑監督)が是非やってほしいということだったので」。
「キャプテンって重いですよ」
開幕戦の時点ではまだ22歳だった。この年48試合出場6得点といずれもキャリアハイの数字を残したが、その一方でチームを引っ張る役目にはかなり負担を感じていたそう。「年末に、やっぱり僕じゃないです。キャプテン辞めさせてください」と、同年限りでその座を退くことを石﨑監督に申し入れた。「キャプテンって重いですよ。(現役晩年に)琉球でもやらせてもらいましたけど、それだけの思いがあってやらないといけないのを琉球でも感じた。だからあの時にキャプテンを辞めた判断は正解だったと思います」。
札幌の歴史に残るスーパーゴール
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自身のプレー以外にも神経を使わなければいけない悩める時期を過ごした一方で、上里は自身のキャリア、札幌の歴史に燦然と輝くスーパーゴールを生み出した。8月5日に札幌厚別公園競技場で行われた福岡戦、札幌2点リードの後半22分に自陣センターサークル手前から左足を振り抜くと、ボールは懸命に右手を伸ばした相手GKを大きく越えてノーバウンドでゴールへ吸い込まれた。推定距離約65メートルの衝撃的なロングシュートだった。
「『うわ、入った!』って感じでちょっと慌てた」
「練習試合では何回か(決めたことが)あったんですけど。あの時はめちゃくちゃ冷静で、押し込まれていてめっちゃきつくて、もう1回流れを持ってきたいなって思った時に、GKも出ているしやってみようかなと思ったプレーが入っちゃって。『うわ、入った!』って感じでちょっと慌てましたけど、札幌にまた流れが戻ったなと思って、ちょっと安心しました」。
この歴史的な一撃を目撃した札幌サポーターは観客席で狂喜乱舞し大盛り上がり。その様子を上里もピッチ上から見ており「一気に盛り上がりましたね。あれはもうしてやったりでしたね。すごい歓声でしたし、しびれましたね」と当時を懐かしむ。
40メートルのFKがGK菅野の手をかすめ
この頃になると上里の左足のキックには札幌サポーターだけではなく全国のJリーグファンからの注目が集まるようになってきていたが、そんな中で迎えた翌10年4月11日の札幌ドームでの柏戦で、再び衝撃的なゴールを生み出す。0-0で迎えた後半3分、敵陣センターサークル付近で得た約40メートルのFK。上里の左足から放たれた無回転シュートは、当時柏のゴールを守っていた現札幌のGK菅野孝憲(39)の手前で大きく右にスライドし、その手をかすめてサイドネットへと突き刺さった。
プロ19年間のベストゴール
自身19年間のプロキャリアでのベストゴールとして挙げており「ちょうど無回転シュートが流行りだした頃で。これもまた『ここから撃つの!?』という感じだったと思うんですけど、あの時は(無回転を蹴るには)ボールが良かったので、GKは大変でしたよね」。この無回転シュートは一朝一夕で身に付けたものではなく、実は幼少期からの練習のたまものだった。「ちっちゃい時からキックは好きで、芯に当たるとボールが無回転になるなというのを知っていたんですよ。ただあんなにブレるってことは知らなかったので、ボールが変わっていって、撃てば入りそうだなって思いましたから、あの時は結構楽しかったですね」。
指導者の道に進むため移籍を決断
11年、上里はプロキャリアにおいてある重大な決断を下した。前年にJ1から降格し、札幌と同じJ2で戦うFC東京への期限付き移籍だ。その時の心境について「出たかったんです。札幌は大好きだし、ずっと居られるなら居たいって思ってましたけど、今後のサッカー人生で指導者とかも視野に入れてましたし、他の選手とも触れ合ってみたいし、他の指導者、土地、そういった場所で経験を積んで、そこで経験してきたことを指導に生かしたいなという思いがあったので、それをクラブに伝えて、レンタルという形で行かせてもらいました。『絶対戻ってくる』って言って」と振り返る。
その年の最終戦、札幌のJ1昇格が懸かり3万9243人の超満員にふくれ上がったFC東京戦で上里は途中出場し、札幌ドーム凱旋を果たした。「あの時すごい入りましたよね。やばかったなあ」。
13年復帰「経験積み上げられた」
翌12年には徳島へ期限付き移籍し、13年に満を持して3シーズンぶりに古巣復帰を果たした上里は、経営難の事情もあって一気に若返った札幌を安定感あるプレーでけん引した。「外に出たことによって経験が積み上げられて、その積み上げをうまく若手と融合しながらやっていけるなという感覚になっていて。また戻って札幌でプレーできることに楽しみしかなかったですね」。
上里と共にプレーしたアカデミー育ちの若手選手たちは順調な成長を見せ、その選手たちが16年のJ2優勝、J1昇格に大きく貢献。札幌で2度目の昇格を味わった上里は同年限りで契約満了となり、翌17年からはかつて札幌でチームメートだった岡本賢明(35)が在籍していた熊本でプレー。19年にFC琉球へ移籍し、22年シーズンをもって19年間に及んだプロキャリアに終止符を打った。
プロ19年間の秘訣は「誰よりもボールを蹴っていた」
すばらしい左足を武器にプロの世界を駆け抜けて、ルーキー時代の「長くやりたい」願いを実現した。改めてその秘訣を尋ねると「たぶんですけど、ちっちゃい時から誰よりもボールを蹴っていたと思います。プロになりたいなと思ったのは小学校4、5年生の頃で、そこから何をしていいか分からなかったので、走ったり、とにかくボールに触ろうと思って。だからどっちかっていうとパスの種類を結構持っているなって自分の中であったので、『キック力あるね』ってプロになった時に言われて初めてキック力があるんだってなったんですけど。どっちかというといろんな種類の球を出したりするのが好きでしたね」。
強烈なキック力と多彩なパスで多くのファンを魅了してきた上里。その経験を生かした指導で沖縄から多くのプロサッカー選手を輩出し、そしていつか育てた選手が北の大地に渡って赤黒縦縞のユニホームに袖を通す日が来ることを期待したい。
【札幌サポーターへのメッセージ】
何もわからない田舎者が札幌へ行って一から全てを学んだ感じなので、人としても選手としても、もう感謝しか伝えることは無いです。本当に大好きな街だし、人たちも大好きだし、最初に入ったクラブが札幌で良かったなと思っています。
関わってくれた人にも本当に感謝しかないですね。温かい気持ちで接してもらったし、これ違うよって言われることもあったし、今の自分が確立されたのも札幌の人たちのおかげなので、もう本当に感謝しかないです。
■プロフィール 上里 一将(うえさと・かずまさ) 1986年3月13日生まれ、沖縄県出身。宮古高から2004年に当時J2の札幌に加入。正確かつ強力な左足のキックを武器に、ルーキーイヤーからリーグ戦17試合に出場するなど主力選手として長く札幌に貢献し、09年にはキャプテンも務めた。11年にFC東京、12年に徳島への期限付き移籍を経験。16年限りで札幌を契約満了となり、以降は熊本、琉球でプレーし、22年シーズン限りで現役を引退した。登録ポジションはMFで、主にボランチとしてプレーしたほか、トップ下や左サイドバックでの出場も経験。札幌には合計11シーズン在籍し、リーグ戦258試合出場、19得点。J1・J2通算488試合出場31得点。