【北海14度目の春】④2011年大会 平川監督に初勝利をプレゼントしたエース玉熊将一さん
第96回 選抜高校野球大会が3月18日に阪神甲子園球場で開幕する。北海道から昨秋の全道王者・北海と21世紀枠で別海が初出場する。北海は1963年大会で北海道勢最高成績の準優勝を収めるなど、道勢最多14度目の出場を誇る。歴代OBから甲子園開業100周年の節目に出場する後輩たちへのエールを紹介する。
2年生エースとして48年ぶり8強の原動力に
2011年の第83回大会で、2年生エースとして48年ぶり8強入りの原動力となった玉熊将一さん(29、明治安田生命)。大会直前の3月11日に東日本大震災が起き、開催が危ぶまれる中、1回戦の創志学園(岡山)戦で10K、1失点の完投勝利で、同校21世紀初勝利と平川敦監督(52)の甲子園初勝利に大きく貢献した。13年ぶりの選抜甲子園勝利を目指す後輩へ「自分たちの時よりは、数段レベルも高くなってる」と快進撃を期待する。
直前に東日本大震災、開催も危ぶまれた
震災前日の3月10日に遠征先の岐阜から帰道。11日は同校で壮行会が行われ、午後から室内練習場で練習をしていたが急きょ教室に全員集合の指示。そこでナインの目に飛び込んできたのは震災のニュース映像だった。13日の出発は延期。大阪で行われた組み合わせ抽選には最少人数のみの参加となった。北海は開会式当日の第3試合だったが、入場行進は中止になりブラスバンドの応援も自粛。「本当にできるのかなって。軒並み大会が中止になってて。高校野球もなくなるんじゃないかって流れだったけど、やるって決まってからは気持ちを切り替えてやった」と目の前の試合に集中した。
主砲・川越の決勝アーチで1回戦突破
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
創志学園戦は、一回に4番・川越誠司右翼手(3年、中日)の適時打で先制。玉熊投手も六回まで被安打2の好投を見せていたが、七回に同点に追い付かれた。すると八回裏、再び主砲のバットから決勝アーチが飛び出し勝利した。川越は卒業後、北海学園大からドラフト2位で西武入り。昨季途中から中日に移籍し現役を続けている。「ほとんどしゃべらない無口な感じの先輩で、怒られたこともあまりなかった。たまに変なジョークを言ってきて(笑)。4番でめちゃくちゃ打ってくれましたし、肩も強かったんで補殺もしてくれた」。今も先輩の試合結果は欠かさずチェックしている。
甲子園初完封勝利で8強入り
続く2回戦の天理戦では、被安打7と苦しみながらも、同期の松本桃太郎(2年)の代打決勝適時打の活躍もあり1-0で甲子園初完封。8強入りを果たした。続く中3日で三度上がった準々決勝のマウンドでは、九州国際大付(福岡)に打ち込まれ4-5で敗れたが、甲子園3試合27イニングを投げ抜き、一度もマウンドを譲らなかった。意外にも「マウンドより、バッターの景色の方が甲子園来たなって思いました。後攻だったので、初回にマウンドへ上がった時は、あんまり緊張しなかったんですけど、打席入った時に『おー、すげえ』」と、打席から目に入ってくる観客の姿がいまも鮮明に焼き付いている。
東京六大学で通算8勝もプロ断念
東京六大学野球の法政大学では1年から登板。通算8勝。球速は高校時代の144キロから149キロまで上がったが、スピードを優先した結果、自慢の制球力に狂いが生じ3年時にプロを断念。社会人野球の明治安田生命に進んだ。2年目の都市対抗でJR東日本の補強として東京ドームのマウンドを踏んだが、翌年チームは本大会に出場も登板機会はなく4年目の20年シーズンで現役を引退した。
アナライザーとしてチーム支える
21年からアナライザーとして裏方に回り、今春で4季目を迎える。玉熊さんは投手担当。大会直前になると遅くまでデータの分析に追われ寝不足の日々が続く。「バッテリーに相手チームの打者のデータを伝える役なんですけど、それが見事にはまった時とか、こういう風に攻めた方がいいよって言ってはまった時はうれしい。今年の目標は日本一です」と、悲願に向かい縁の下からチームを支える。
「優勝目指して頑張ってほしい」
今大会では玉熊さん以来となる2年生の松田収司投手を中心に甲子園に挑む。「当時は、ほとんど上級生がベンチを占めていたんで、先輩に任せ、つなげる気持ちでやっていた。平川先生の力もあるだろうし選手の力もあると思うので、優勝目指して頑張ってほしい」。平成最後の選抜甲子園エースから令和のエースへ、勝利のバトンを託す。