【プロになった道産子球児たち 指導者の目線】高校編 ③駒大苫小牧・佐々木孝介監督「大海は甲子園が終わってから急速に駆け上がっていった」
日本ハム・伊藤大海投手と西武・若林楽人外野手
北海道から誕生したプロ野球選手の学生時代を見てきた指導者に話を聞く企画「プロになった道産子球児たち 指導者の目線」。高校編第3回は、駒大苫小牧の佐々木孝介監督(37)。2020年のドラフト会議で、日本ハムの伊藤大海投手(26、苫小牧駒沢大出)と西武の若林楽人外野手(25、駒沢大出)が同時にプロ入り。高校時代は2人とも主将だったが、タイプは全く違っていたという。
WBCで活躍「あんなになるとは思わないです」
伊藤投手は2023年のWBCで侍ジャパン投手陣の重要なピースとして世界一に貢献した。教え子の1年前の活躍を振り返り「あんなになるとは思わないです。ダルビッシュ君の火消し、大谷君の火消しみたいのやってましたし、大したもん」と、予想以上の成長曲線を描く伊藤の姿に思わず頬を緩めた。
入学時「すっげえ細くて大丈夫かなって感じ」
道南の鹿部町から入学当時は「まず目立たない。すっげえ細くて大丈夫かなって感じでしたけど、走るスピードとか、投げ方とか、走るフォームも奇麗でした。身体能力が高いのが第一印象です。でも目立たないです(笑)」。実際、1年夏まではベンチ入りはおろか、メンバー候補のAチームに入るような存在でもなかった。
「(練習試合で)投げさせてみたら、まあ良かった」
頭角を現したのは1年秋。「練習試合でたまたま投げさせたんですよ。投手は上の学年にも何人かいて、左も右もそれなりにいた。とりあえず1年生も投げさせる中に(伊藤)大海がいた。投げさせてみたら、まあ良かったですね。ブルペンに入って正面から見るとあんまり良さが伝わらなかったけど、横から見ると130キロも出てないぐらいなんですけど、これいい」と指揮官の目に止まった。三塁手と併用しながら短いイニングからマウンドを任せるようになった。
「(田中)将大と似てるなって思う時はある」
秋の大会では、OBで楽天・田中将大投手(35)も背負った出世番号の背番号15を与え、全道大会4試合全てに起用。3季通じて指揮官初の道大会優勝に貢献した。翌春の選抜甲子園では1回戦の創成館(長崎)戦で完封勝利。「(田中)将大と似てるなって思う時はありました。1年目の時はもう本当に1年生って感じで何回もベンチから声をかけたりしてましたけど、甲子園が終わってから急速に駆け上がっていった。多分ですけど、自分の意識とか世界観が手の届く範囲のものしか見てなかった子が、突然手の届かないところまで一生懸命背伸びしていた」と、伊藤の心境の変化を感じ取ったそう。
入学時60数キロが進学時は83、4キロに
順風万端かと思われたが、夏に右肘を疲労骨折。新チームになった秋も万全の状態ではなかった。「ただ、あの辺りから体もどんどんでかくなってきて、入学時60数キロが80キロぐらいまで増えた。卒業して駒沢大へ行く時には83、4キロ」。3年春からは主将の大役も任せ、精神的での成長も促した。
プロ挑戦の言葉は聞いたことがなかった
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苫小牧駒沢大4年の秋にドラフト1位指名を勝ち取るまで成長したが、高校時代はプロ挑戦への言葉は聞いたことがなかった。「僕もプロ野球選手を意識して指導したことはない。ゆくゆくはプロになりたかったでしょうけど、本人の口から聞くことはあまりなかったですね。だから僕が育てたとか、僕が指導したから強さが生まれたとかは一切思ってない。それは本人」と、あくまでも伊藤自身の努力のたまものを強調する。
普段の表情は「全然変わらないから素敵だな」
伊藤は時間を見つけては定期的にグラウンドを訪問。食事を共にすることもあるそう。その時ばかりはテレビで見る真剣なまなざしとは違い、高校時代と同じ表情に戻る。「全然変わらないから素敵だなって。これからも僕はそういう風に発信していきます」。どんなに大きな存在になっても、かわいい教え子との関係は変わらない。
若林は入学した時から「プロ向きの性格」
一方、若林は伊藤とは真逆。伊藤の引退後、迷いなく主将の大役を若林に託した。「プロ向きの性格ですよね。生意気ですから(笑)。やんちゃくれみたいな、そういうのが根っこにあるから、思い切りが出たり勝負強かったりが彼の持ち味でしたね。入学した時からキャプテンシーがありました。彼は兄貴肌みたいなタイプで、人をまとめる力に長けていたというより、平均的にいろんな生徒と付き合える。キャプテンとして適任だったんじゃないですかね」。
「野手として今まで見た選手の中で一番良かった」
選手としても抜きんでていた。1年秋から三塁に抜てき。右肘の故障に苦しみながらも名門で厳しい競争を勝ち抜いた。「野手として今まで見た選手の中で一番良かった。投手もやっていたんですけど、すっごい鉄砲肩で打撃もいい。走りもそれなりに速かった。彼の中では打つことに対して悩みはあったと思うんですけど、僕が見てて『順調に育ってるな』と思っていました。けど、キャプテンになった1年間は本当に大変だったと思います。自分のことなんか三の次ぐらいだったんで」。130人近くの大所帯を懸命にまとめ上げるのに必死になっていた姿が頭の中によみがえった。
「大学に行ってからプロに行け。上の世界をちゃんと見てから」
若林も大学からプロ入りしたが、実は「高校の時にプロからの声はあったんです」。ただ「本人には大学に行ってからプロに行けって言いました。彼、甲子園に出てないんですよ。もう一つ、上の世界をちゃんと見てから」と、自身の母校でもある駒沢大への進学を勧めた。大学でも4年時には主将を務め、ベストナインも受賞。伊藤と一緒にプロ入りすると、ルーキーイヤーの2021年には20盗塁とプチブレーク。予感は見事に的中した。
「挑戦できる一番上まで頑張ってほしい」
伊藤は3月29日のロッテ戦で、2007年の楽天・田中投手以来となる同校2人目の開幕投手を務める。「挑戦できる一番上まで頑張ってやってほしいなと思います」。2人の教え子を筆頭に、それぞれのステージで活躍するOBの活躍はなによりも元気の源だ。