《元赤黒戦士の現在地・上原慎也後編》鍛え上げた武器〝ヘディング〟で決めた幾多の劇的ゴール
現在FC琉球クラブコミュニケーターを務めている上原慎也さん(37)を紹介している『元赤黒戦士の現在地』。全3回の最終回となる後編では、上原さんが生み出した様々な劇的ゴールにスポットを当てる。(以下、敬称略)
リーグ戦通算34得点中6点が終了間際の劇的ゴール
上原は14年間のプロキャリアでリーグ戦通算34得点を挙げているが、その内訳を紐解くと、ある傾向が浮かび上がってきた。後半40分以降に決めたゴールが計12点(うち札幌時代に6点。以下同)、決勝点となったものが計9点(6点)、そしてその両条件を満たした〝終了間際の決勝ゴール〟が計6点(3点)と、サポーターの記憶に残るような劇的なゴールを多く生み出しているのだ。
このことについて本人は「出場する状況的に、負けている試合か同点の試合の後半残り15分とか10分で出るのが多かったので」と分析するが、その期待に何度も応え続けてきたからこそ、得点が欲しい場面で頼りにされたと言えるだろう。
実はヘディング苦手でした
186センチの長身を誇る上原が、すさまじい跳躍力で打点の高いヘディングシュートで相手ゴールのネットを揺らす。当時を知る札幌サポーターにとっては何度も見てきたシーンだが、今回の取材時に本人の口から思わぬ〝告白〟が飛び出した。「僕、ヘディングめっちゃ苦手だったんですよ」。
石さんがパワープレー要員として使ってくれた
苦手だったというヘディング。その弱点を鍛え上げるきっかけをつくり、チームの、そして上原自身の大きな武器へと進化させたのが、ルーキーイヤーだった2009年に札幌の監督に就任した石﨑信弘監督(66、元J3八戸監督)だった。「石さん(石﨑)が僕をパワープレー要員として使ってくれたことによってヘディングが強くなって。僕もそこで仕事しなければという思いもあったので練習しましたし、どうにか相手よりも先に触ろうという意識も芽生えました」。
J1でも通用すると思ったゴール
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劇的ゴールというテーマからは少しそれるが、その鍛え上げた武器によって生み出した得点の中で、記憶に残っているゴールとして挙げたのが、12年8月18日のホーム神戸戦(札幌厚別、2●4)の後半29分にマークした一時同点に追い付くゴールだ。「ウッチー(内村圭宏)がラフに蹴ったボールに、僕が(相手より)早くジャンプしてヘディングシュートを放って。それでヘディングシュートはJ1でも通用するなと思いました」。この年は石﨑監督と共に歩んで4年目のシーズン。経験を積む中で、苦手だったヘディングはすっかり上原の代名詞へと変貌していた。
そして前述のゴールと共に印象的なゴールとして語ったのが、11年10月2日のアウェー横浜FC戦(国立、2〇1)の後半43分の決勝ゴール、そして15年11月1日のホーム千葉戦(札幌ドーム、3〇2)の後半アディショナルタイム6分に挙げた決勝ゴール。いずれも上原が頭で相手ゴールへと叩き込んだものだ。
自身最高到達ジャンプかも、のゴール
札幌が熾烈なJ1昇格争いを繰り広げていた11年、旧国立競技場で開催された横浜FC戦。1-1で迎えた後半37分に切り札として投入された上原は、その6分後にCKのチャンスを迎える。「僕はスナさん(砂川誠)のCKを結構決めているんですけど、(そのときも)めちゃめちゃ良いボールを蹴ってくれて。で、あれがたぶん僕が一番(高く)ジャンプしたんじゃないかなって」。大げさな表現ではなく、このとき上原は実際、ゴールバーの高さまで飛んでいた。「着地も怖かったぐらい、自分で浮いた中でヘディングして、いいコースに行って。あの試合は特別でしたね」。このゴールで勝利した札幌は、旧国立競技場での最初で最後となる勝利をマークした。
崖っぷちで決めた劇弾は15年の千葉戦
15年千葉戦でのゴールはさらに劇的だった。勝たなければ6位以内に与えられるJ1昇格プレーオフに出場する権利が消滅する可能性もあった崖っぷちの一戦。2-2の同点で迎えた終了間際の札幌の右CK。GK具聖潤(29、現京都)も千葉ゴール前に上がるという土壇場で、DF福森晃斗(31、現横浜FC)が蹴ったボールは、当時千葉に在籍していた現札幌GK高木駿(34)のパンチングによって一度クリアされるが、こぼれ球をつなぎ再び福森が上げたクロスに上原が反応してヘディングシュート。懸命に伸ばした高木の手の先をすり抜け、ボールは千葉ゴールに吸い込まれた。直後に試合終了のホイッスルが鳴り、まさに値千金の決勝ゴールとなった。「劇的なゴールでしたし、僕があそこに飛び込んだというのは、やっぱり持っているのかなって。あれは本当に思い出に残ってますね」。
生まれ故郷の沖縄県とは対極に位置する日本最北端の北海道でプロキャリアをスタートさせた上原にとって、北海道には様々な思い出がある。「結婚したのも子供が生まれたのも北海道。公園とか遊ぶ場所がとても広いし、子供を連れて家族で過ごすには本当に大好きな場所でした。美瑛も行きましたし、富良野とか旭山動物園とか。ご飯もおいしいし、大自然もあるし、日本でこんな場所無いだろうってぐらい、何でも揃っていたと思います」と、当時に思いを馳せる。現在は地元沖縄で活躍しながら札幌のキャンプにも顔を出すなど、今なお古巣との結びつきを大事にしている上原。再び北の大地に元気な姿を見せてくれる日を心待ちにしたい。
【札幌サポーターへのメッセージ】
北海道の皆さん、そして北海道コンサドーレ札幌のファン・サポーターの皆さん、お久しぶりです。上原慎也です。2009年から9年間北海道に居させてもらって、本当に大好きな土地ですし、第2の故郷だと今でも思っています。コンサドーレの選手時代、たくさんの応援をありがとうございました。僕も札幌ドームや厚別競技場の試合、室蘭、そして函館の試合と全部思い出に残っていて、得点もいろんなところで取れたのが印象深いです。家族も北海道で増えましたし、子供も生まれました。近々行けたら、と思っています。キャンプでは対戦もできて旧友とも会えました。本当に好きなチームですので、これからも応援しています。コンサドーレにはますます強くなって、J1制覇、そしてルヴァン杯、天皇杯といろんなタイトルを取ってほしいと思っています。FC琉球も頑張っていますので、ぜひFC琉球の応援もよろしくお願いします。
■プロフィール 上原 慎也(うえはら・しんや) 1986年9月29日生まれ、沖縄県出身。沖縄大から2009年に当時J2の札幌に加入。186センチの長身と驚異的な跳躍力から繰り出される打点の高いヘディングや、優れたスピードを武器にFWとして活躍。キャリア途中からはサイドバックにも挑戦し、高い身体能力を生かして左サイドで躍動した。18年からは愛媛、19年からは琉球でプレーし、22年シーズンをもって現役を引退。札幌には9シーズン在籍し、リーグ戦176試合に出場して19得点。J1・J2通算297試合出場34得点。