高校野球
2024/03/20 17:45

【センバツ】別海・島影監督 8年でつかんだ初の甲子園「最高の場所でした」

試合後、スタンドの応援団に挨拶後引き揚げる別海・島影監督(右)=撮影・桜田史宏

■選抜高校野球大会(3月20日、阪神甲子園球場)
▽1回戦 別海0-7創志学園


 〝島影流〟で甲子園の土を踏んだ。21世紀枠で出場の別海は5失策と守備が乱れ、創志学園(岡山)に敗れた。島影隆啓監督(41)は2016年4月から別海野球部の監督に就任し、8年で21世紀枠選出までこぎつけた。就任当初、部員4人からスタートした島影監督は、人間力の成長を後押ししながら、高校野球の聖地まで導いた。「最高の場所でした」と濃密な1時間44分を振り返った。

別海らしさは見せられた

 「たくさんの人に支えられて、野球ができたこと、本当に幸せでした」。試合終了後、島影監督は開口一番そう口にした。1月26日に21世紀枠選出が決まってから、約3カ月。甲子園で別海野球を見せるために、時間を費やしてきた。「負けましたけど、今できることは精一杯やった。全力疾走とか、元気を出して最後までやるとか、人数少ない中でも攻守交代をちゃんとやろうとか、やりきったと思います。別海らしい野球は、見せられたと思います」と悔しさの中にも充実した表情をのぞかせた。

土台を支えた〝島影1期生〟

 今の別海があるのも「あの子たちが土台を作ってくれた」という廃部危機を乗り越えた〝島影1期生〟のおかげだ。島影監督が就任した16年の1年生部員として入部し、3年時には主将も務めた松田恵永(けいと)さん(23)は「熱い人。当時の教えは社会人になった今でも生きています」と監督の人物像を振り返る。初の公式戦は阿寒・標茶・羅臼の連合チームとの一戦だった。6-7で惜敗したが、単独チームで出場でき、先輩たちがうれしそうにしていたことを鮮明に覚えている。

単独チームで出場した初の公式戦きっかけに

アルプスから声援を送る元別海野球部員の松田さん(右から2人目)

 

 この1試合からスタートし、翌17年夏には1勝を挙げ、代表決定戦に進出するなど、公式戦で勝てるようになった。松田さんの3年時には部員が飛躍的に増え、マネジャー含め30人弱の部員が在籍。「島影さんの人柄。島影さんが指導して少しずつ勝ち始めると、島影さんと一緒に野球がしたい、と来てくれる子が増えた」と言い切った。

常に言い続けた「人格者であれ」

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