江別市に32年ぶり社会人野球チーム・江別ブルーインズ誕生 元西武の長身右腕・大窪士夢投手も加入
札幌ブルーインズが本拠地移転
創部43年目のクラブチーム、札幌ブルーインズが今季から拠点を江別市に移し、チーム名も江別ブルーインズに変更した。3月28日には、江別市と連携協定を交わし、今春から本格的に活動を始める。江別では1992年に日産サニー札幌が休部して以来、32年ぶりの社会人野球チーム。移転に合わせて、元西武の大窪士夢投手(23、北海高出)ら大量補強を敢行。都市対抗2次予選進出と、32年ぶりの全日本クラブ選手権出場を目指し、地元の小中学生と合同練習や野球教室を行うなど地域密着のチーム作りを進める。
北海学園大でコーチ務めた西垣氏が監督就任
過去最多の総勢48人で新天地でスタートする。新指揮官にはチームのOBで、昨季まで札幌学生野球連盟1部の北海学園大でコーチを務めた西垣類氏(40)が就任。「5月の都市対抗から本気で1次予選を突破するのを目標にやっています。去年もホーネッツが1次予選を突破して2次予選にいきましたけど、そこともいい試合ができていた。ただ、負けて残念な顔をするのが毎年のことだったので、もう全開で行って勢いをつけてクラブ選手権を取る。野手は十分揃ってると思うので、ピッチャーの整備をすれば狙える」。やるなら頂点。負け癖を捨て去り、本気で頂点を狙う。
中学硬式の札幌白石ポニーとの交流も
青山達哉助監督(52)によると、江別移転の構想が浮上したのは5年程前。青山助監督が球団代表を務める中学硬式の札幌白石リトルシニアが以前から江別市内グラウンドで活動していた。監督の小原丈敏さん(50)がクラブのOBで、当時から合同練習という形で同グラウンドを利用することがあったが、昨年10月、リトルシニアから活動の幅を広げるためにポニーリーグに移籍したことで、一気に話が進んだ。青山助監督は「プロにならないなら、高校で野球をやめてしまう子が多い。大人になっても硬いボールで野球できるよ、ということを、子供たちに知ってもらう。今の子供は大人と会話することが少ないので、大人と触れ合う機会にもなる。我々が地域の少年野球にどう貢献できるか。子供と触れ合うことによって、自分の人間力を磨いていく」と、移転を決意。日本野球連盟が掲げる、地域から応援されて地域を活性化させるという理念を、江別市で具現化する。
大窪投手は西武時代、今井達也投手と…
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
新加入の大窪投手は江別市の隣町、岩見沢市出身で199センチの長身右腕。北海高から2018年の育成ドラフトで西武入り。「みんなすごい選手なので、成長したいという気持ちが強くて、いろんな人に聞いてしまった。いろんな情報があって、色々やった結果、逆にそれが逆効果になった時もあった」と、2年目まで2軍で8試合の登板に留まっていた。
プロ3年目に二人っきりで自主トレ
プロ最終年の3年目。「甲子園の決勝でも当たっていたんで、よくしてもらった」と、2学年上の今井達也投手(25)と、二人っきりで自主トレを行った。「今井さんは天才型で、毎年フォームを変えたり試行錯誤している。『投げる時にここの筋肉を使うから』って説明を受けながらウエートをさせていただいた。投げることについても、全部一気にじゃなくて、この日はここを意識していこうってやったり、1日に1つのことを目標にするところを教えていただいた」。その甲斐あって体重も93キロから98キロまでアップした。
元々スピン量は、毎分約2700回転とプロでもトップクラス。最速は146キロをマークした。「体重が増えたことによって球が落ちなくなった。3年目のキャンプでキャッチボールした時に、入団時と全然違うね、と先輩に言っていただけたのは、成長した部分かな」。同年は2軍戦で16試合に登板。しかしシーズン終盤には右肩痛により、キャッチボールができないほどの重傷。21年オフに戦力外通告後、トライアウトを受けずに引退した。
引退後には美唄で地域おこし協力隊を経験
引退後の22年4月にアマチュア資格を回復。23年11月まで美唄市で地域おこし協力隊として、野球教室やスポーツイベントの企画・運営などを行った。今回、西垣監督からのオファーを受け「肩にはまだ不安はあるんですけれど、年齢も年齢、自分の人生の中で野球しかなかったので、できるところまではやってみようかなって。だいぶ痛みは軽減されてきたんで今年の夏には投げれるかな」。新天地で心機一転、再起を図る。