駒苫の先輩は大海と楽人 伊達市出身の大北さん仙台大野球部コーチに
恩師からの誘い受け千歳市内の会社を退社
駒大苫小牧高野球部OBで、伊達市出身の大北広紀さん(24)が、4月から母校・仙台大の硬式野球部コーチに就任した。2年前に同大を卒業後、一度は千歳市内で就職し、強豪軟式クラブで全国大会などに出場したが、仙台大・森本吉謙監督(49)からのオファーに恩返しする決意をした。
一度は諦めたはずだった指導者への道が再び開けた。昨夏、森本監督から「自分も就職していたので『無理には誘わないけどどうだ?』と話を頂いた。こういった機会はなかなか得られないですし、指導者になりたい思いはあったので、会社には迷惑かけました」と、2年間勤めた神出設計を退社。仙台大では大学時代に部活動に時間を取られて途中で断念した教職課程の取得も目指す。
駒苫入学時、いずれプロ入りする偉大な先輩2人
小学校低学年から憧れていた駒大苫小牧入学時、3年生には日本ハムの伊藤大海投手(26)、2年には西武・若林楽人内野手(25)がいた。「全国各地からすごい選手が集まっている中で、一日一日、もう必死にやる毎日でした」。2年秋にベンチ入りしたが、支部大会敗退後のある日、佐々木孝介監督(37)から、新主将に任命された。「本当に何も分からない状態からのスタートだったので、毎日怒られてばっかり。でも卒業して大学に行った際に、ここでキャプテン経験があったから強くなれた」。甲子園出場は果たせなかったが、精神的にもたくましくなった。
仙台大を選んだ理由は…
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仙台大進学は「教員の資格を取りたかったのと、道外の強いチームでやりたかった」から。野球部は4学年で約220人の大所帯。1軍と2軍、さらに2軍の中でも複数のカテゴリに分かれているが、大北さんは入学早々、1軍に呼ばれベンチ入りした。「意識が高くないと、生き残っていけない」と必死に食らいついていった。
2年春から遊撃手のポジションを勝ち取ったが、3年時に右肩関節唇を痛めた。複数の病院に通い、リハビリを繰り返したが完全に戻ることはなかった。ケガに苦しんだが4年時に主将を任され、秋には大学生活で初めての全国となる明治神宮大会に一塁手で出場。「すごくうれしかったですけど、やっぱり大学で出会った仲間、指導者に感謝という思いが強い。仲間にも同級生にも恵まれた」。
プロ入りした同期ら大事な仲間に感謝
同期には3月19日に支配下登録されたソフトバンク・川村友斗外野手(24、北海)、2学年後輩の遊撃手には、昨秋のドラフト会議で中日入りした辻本倫太郎内野手(22、北海)。「川村にはずっと1軍にいてほしい。辻本には頑張ってもらわなくちゃ困ります」と、エールを送った。
選手一人一人に進みたい道へ後押し
仙台大では最初は2軍を担当する見込み。「自分は社会人を2年間経験させていただいたので、その経験を生かして選手たちをチームの目標に向かわせながら、一人一人の進みたい道に後押しできるように指導していきたい」。夢見ていた指導者人生へ、杜の都でその第一歩を踏み出す。