北照で甲子園8強入り2度、プロ12人輩出 紆余曲折あった河上敬也氏が公立校の札幌あすかぜで監督復帰
部員4人からの再スタート
弱小野球部に甲子園監督がやってきた。道立の札幌あすかぜの新監督に、北照で2015年春まで34年間指揮を執り、8強入り2度を含む甲子園春夏通算8度出場した河上敬也さん(65)が就任した。当面はボランティアとして指導にあたる。部員は4人で、昨秋は4校連合の一校として支部予選に出場した。3季通じて全道大会への出場がない新天地で、将来の甲子園出場を視野に、ゼロからチームの立て直しを図る。
中日・斎藤、ヤクルト・西田らをプロへ
北照時代は最大80人の大所帯を率い、教え子のプロ野球選手には、現役では中日・斎藤綱記投手(27)、ヤクルト・西田明央捕手(31)、引退した選手にも米野智人、加登脇卓真、植村祐介らがおり、合わせて12人もの北海道を代表する選手を輩出してきた。
一方、新天地では22年秋から指導者は不在。昨春は部員の父親が臨時監督を務め、9人ギリギリで支部予選に出場。夏も単独出場で4年ぶりの1勝を果たしたが、秋は再び連合で出場と、長らく低迷していた。春季大会は連合チームで出場の方向で、河上監督はベンチには入れずスタンドからの応援となる。少し寂しい再スタートだが「久しぶりですね。高校野球に復帰できてうれしいです。みんなと話ができていいですよ」。早速、野球経験がある新入生が1人入部した。
2月に学生野球資格を取得
前任の川村裕監督のご子息がかつて北照の野球部員だったことで交流があり、22年夏に同監督が勇退した際には後任監督のオファーも受けたが、当時の河上監督は独立リーグの美唄で指揮を執っていたために辞退。しかし、昨年12月から学生野球資格回復制度の研修会を受け、今年2月に晴れて認定されて高校で指導する準備が整った。
テーマはスタートオーバー いろんな失敗もあったけど…
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河上監督は「今回、自分が高校野球界に復帰するテーマとしては、スタートオーバー。初めからもう一度、という意味。いろんな成功や、いろんな失敗があって、それをもう一度振り返ってやってみたい。今年65歳になるので、野球界から離れてもいいとは思っていたけど…。でも人生一度ですから、北海道の野球界に恩返しできるのは野球。それが監督を引き受けた理由」と力を込めた。
北照監督の辞職から渡米し、現地の指導現場を視察
二度と同じ過ちは繰り返さない。北照時代は部員への体罰をきっかけに辞職を余儀なくされた。そこから見聞を広めるためにアメリカへと渡り、プロや大学、高校の指導現場を目の当たりにしてきた。
自主性を育てていく
「日本はみんな坊主頭にして、監督の話を聞くにも直立不動。アメリカに行ったら、それは全くなかった。むしろ『リラックスした状態で聞いてもらうことが一番、選手たちの心に入っていくから』と言われて、確かにと納得した。(日本の)野球も変化して、世の中も変わってきている。昔のように強制的に『いいからやれ』と命令するのではなく、ちゃんと説明しながら自主性を育てていく。自己肯定感を高めて、人間関係を構築していくのがまず最初。今は4人しかいないので、一人一人を大切に、平等に指導してあげたい」。丁寧な指導を心掛け、真剣に部員たちと向き合う覚悟だ。
「野球の伝道師になりたい」
自宅の書斎には、これまでの指導者人生で気付いたことをノート30冊以上にまとめており、時間があれば読み返し、そこでの新たな気付きもあるという。「大げさですけど、伝道師になりたい。高校野球界のレジェンドと言われている箕島の尾藤さん、横浜の渡辺先生、星稜にいた山下先生。いろんな人たちと触れ合いながら経験したことが私の財産になっている。そういったことを伝えていきたい」。まだまだ成長途中の北海道の野球界に恩返しするため、自らの後を継ぐ指導者育成にも意欲を見せた。
私立以上の指導ができる
春季札幌支部大会は5月8日に開幕する。「今、公立と私学の差が開く一方ですから。なんとか公立でも野球がやれるよと。私に指導させてもらえば、公立の野球部でも私学と同様、買いかぶりかもしれませんがそれ以上の指導ができる。そういうことを(将来入学する)小学生、中学生に知らせたい。もちろん野望もあります。北海道は甲子園に行くなら私学しかないと言われている時代。そこにちょっと風穴を開けてみたい、という大きな夢はあります」。野球漫画のようなドラマの結末を信じ、65歳の新監督が再びグラウンドでタクトを振る。