移籍後初勝利の山崎福也 活躍を願って、母校・日大三高に保管されていた〝秘蔵ノート〟
■パ・リーグ1回戦 日本ハム4ー2ソフトバンク(4月9日、熊本・リブワーク藤崎台)
日本ハムで初白星奪取! 七回途中2失点と好投
オリックスから新加入した日本ハムの山崎福也投手(31)が9日、熊本で行われたソフトバンク戦に先発し、七回途中2失点と力投。今季2度目のマウンドで、うれしい移籍後初勝利を挙げた。プロ入り後も毎年、訪問している母校・日大三高には活躍を祈願し、16年近く大切に保管されている一冊のノートがある。
今年1月の自主トレで自身のノートと〝再会〟 「うわ~、懐かしい!」
今年1月に日大三高で行われた山崎の自主トレ公開。同校の三木有造監督がうれしそうに持ってきたノートに、イケメン左腕は「うわ~、懐かしい!」と声を挙げた。
表紙にマジックで記された「所沢市立 向陽中学校 3―5 山﨑福也」。ページを開くと、山崎の実直な性格を現すように、文字がぎっしり書かれていた。
百戦錬磨の指揮官の心をわしづかみ
向陽中時代に所属した「所沢中央シニア」では投手兼一塁手。日大三高・小倉全由前監督が視察に訪れた際のエピソードがある。山崎は打席に入るたびに後ろを振り抜き、バックネット裏にいた指揮官にペコリとあいさつ。愛きょうたっぷりの笑顔を見せ、「こんなかわいいヤツいないでしょ」と、とりこにさせた。
進学決定後に猛勉強 毎日コツコツと机に向かった
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当時副部長だった三木監督が、入試の書類を持って中学校を訪れると、山崎の担任だった女性教諭が出迎えてくれた。「大化けして、プロ野球選手になると思いますよ」。三木監督がそう伝えると「この先、勉強はできないかもしれない。入寮するまで勉強させます」と力強い言葉が返ってきた。
そんな先生の熱意にほだされた。志望していた日大三高への進学が決定すると、山崎は自宅で机に向かうようになった。ノルマは1日1ページ。当の本人は「覚えています。勉強しなさいと言われて教科書を写しただけです」と苦笑いで振り返るが、英語のフレーズ、数学の数式、裁判所の仕組みなど毎日、コツコツ書き写した。
脳腫瘍も乗り越えて夢のプロ野球選手に
その直後に脳腫瘍が発覚。北大病院で生存率1割以下とされた手術を乗り越え、日大三高に無事、入学した。野球に打ち込み、明大を経て、ドラフト1位でオリックスに入団。周囲の期待に応え、プロ野球選手の夢をかなえた。
プロ10年目の初公開 三木監督「活躍した時に出せるように」
昨季は自身初の2桁勝利を達成。フリーエージェント(FA)権を行使して、縁のある北の大地でプレーすることを決めた。
三木監督は「活躍した時にこういうことをやっていたと、出せるようにしておく」と、中学時代のノートを大事に保管していたという。プロ10年目にして初公開されたA4サイズの一冊には、山崎を応援する人たちの思いが詰まっている。