コンサドーレ
2024/04/21 18:00

《元赤黒戦士の現在地・石川直樹中編》恩師の直々オファーに応え期限付き移籍。キャプテンも務めた1度目の札幌時代

 

 前回から現・北海道コンサドーレ札幌アカデミーグループダイレクターの石川直樹さん(38)を紹介している「元赤黒戦士の現在地」。石川さんは2度にわたって札幌に在籍した経験を持つが、中編は1度目の在籍となった09年・10年の2年間について振り返ってもらった。(以下、敬称略)

柏時代のチャント歌詞に〝親孝行〟

 中学生時代から柏のアカデミーで育ち、トップチームに昇格。柏での5年間でリーグ戦通算58試合出場4得点という成績を残し、08年には選手会長を務めた。個人チャント(応援歌)の歌詞に〝親孝行〟という言葉が盛り込まれるほど、サポーターに愛されてきたが、09年夏に当時J2の札幌へ期限付き移籍するという決断を下した。

 この年の石川は自身初の開幕スタメンの座を射止め、そこから8試合連続フル出場。5月末までにリーグ戦12試合に出場していたが、それ以降は試合出場はおろかベンチにすら入れない日々を過ごした。「夏前までは出ていたんですけど、あまりうまくいかなかった。自分の中で何をすべきかが明確になっていなくて、自信が無くて。スタッフとの人間関係もあまりうまくいっていなかった」と当時を振り返る。

まさに恩師 石﨑監督から電話が

 そんなある日、石川の元に1本の電話がかかってきた。06年から3年間、柏の監督として指導を受け、世話になった石﨑信弘(66、現J3八戸監督)だった。「プロ3年目で何も結果を出せず、特長というものも無くやっている中、守備の基盤をつくってくれました。たぶんあの人がいなかったら僕は柏でクビになっていた」。柏がJ2で戦っていた06年のシーズン終盤、石川は13戦中12試合で先発フル出場し、チームのJ1復帰に貢献。11月26日の札幌戦(柏、柏2-3札幌)ではプロ初ゴールをマークするなど、石﨑の指導をきっかけに大きな飛躍を果たした。まさに恩師と呼べる存在だった。

 08年限りで柏の監督を退任し、09年から札幌の指揮を執っていた石﨑からの電話は、直々の獲得オファーだった。「『おまえ、札幌来いや』って言われて(笑)。『(試合に)出てないやろ』『今DFいないからちょっと来い』って。そのときは他のチームからもオファーがあったんですけど、ひとつ環境を変えてみようかなと。柏で生まれ育って、初めて違う地域に行くのが北の大地でした」。

2009年7月16日 この日初めて練習に参加した、石川直樹

 

「おまえ、札幌来いや」「今DFいないから」

 この年、史上最多の全51試合という長丁場で行われたJ2。石川が札幌デビューを果たした7月22日のアウェー富山戦(0△0)の時点でまだ23試合残っており、ミッドウイーク開催の試合も多く行われたが「日程の大変さは特に無かった。アウェーの飛行機移動はしんどかったですけど、それまで1年間試合に出続けるという経験がなかったので、選手としては楽しかった。09年夏に行ったときは、半年間でほとんど負けてないんですよ」と言うとおり、リーグ戦20試合にフル出場して1得点。石川加入時点で10位だったチームは12勝6分5敗と猛チャージをかけるも、序盤の出遅れが響いて6位でシーズンを終えた。

曽田雄志の背番号4を継承

関連記事一覧を見る

あわせて読みたい