《元赤黒戦士の現在地・石川直樹中編》恩師の直々オファーに応え期限付き移籍。キャプテンも務めた1度目の札幌時代
前回から現・北海道コンサドーレ札幌アカデミーグループダイレクターの石川直樹さん(38)を紹介している「元赤黒戦士の現在地」。石川さんは2度にわたって札幌に在籍した経験を持つが、中編は1度目の在籍となった09年・10年の2年間について振り返ってもらった。(以下、敬称略)
柏時代のチャント歌詞に〝親孝行〟
中学生時代から柏のアカデミーで育ち、トップチームに昇格。柏での5年間でリーグ戦通算58試合出場4得点という成績を残し、08年には選手会長を務めた。個人チャント(応援歌)の歌詞に〝親孝行〟という言葉が盛り込まれるほど、サポーターに愛されてきたが、09年夏に当時J2の札幌へ期限付き移籍するという決断を下した。
この年の石川は自身初の開幕スタメンの座を射止め、そこから8試合連続フル出場。5月末までにリーグ戦12試合に出場していたが、それ以降は試合出場はおろかベンチにすら入れない日々を過ごした。「夏前までは出ていたんですけど、あまりうまくいかなかった。自分の中で何をすべきかが明確になっていなくて、自信が無くて。スタッフとの人間関係もあまりうまくいっていなかった」と当時を振り返る。
まさに恩師 石﨑監督から電話が
そんなある日、石川の元に1本の電話がかかってきた。06年から3年間、柏の監督として指導を受け、世話になった石﨑信弘(66、現J3八戸監督)だった。「プロ3年目で何も結果を出せず、特長というものも無くやっている中、守備の基盤をつくってくれました。たぶんあの人がいなかったら僕は柏でクビになっていた」。柏がJ2で戦っていた06年のシーズン終盤、石川は13戦中12試合で先発フル出場し、チームのJ1復帰に貢献。11月26日の札幌戦(柏、柏2-3札幌)ではプロ初ゴールをマークするなど、石﨑の指導をきっかけに大きな飛躍を果たした。まさに恩師と呼べる存在だった。
08年限りで柏の監督を退任し、09年から札幌の指揮を執っていた石﨑からの電話は、直々の獲得オファーだった。「『おまえ、札幌来いや』って言われて(笑)。『(試合に)出てないやろ』『今DFいないからちょっと来い』って。そのときは他のチームからもオファーがあったんですけど、ひとつ環境を変えてみようかなと。柏で生まれ育って、初めて違う地域に行くのが北の大地でした」。
「おまえ、札幌来いや」「今DFいないから」
この年、史上最多の全51試合という長丁場で行われたJ2。石川が札幌デビューを果たした7月22日のアウェー富山戦(0△0)の時点でまだ23試合残っており、ミッドウイーク開催の試合も多く行われたが「日程の大変さは特に無かった。アウェーの飛行機移動はしんどかったですけど、それまで1年間試合に出続けるという経験がなかったので、選手としては楽しかった。09年夏に行ったときは、半年間でほとんど負けてないんですよ」と言うとおり、リーグ戦20試合にフル出場して1得点。石川加入時点で10位だったチームは12勝6分5敗と猛チャージをかけるも、序盤の出遅れが響いて6位でシーズンを終えた。
曽田雄志の背番号4を継承
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期限付き移籍を1年間延長し、翌10年もJ1昇格を目指す札幌の一員としてプレーすることを選んだ。前年限りで引退した曽田雄志(46)の背番号4を受け継ぎ、守備の要として、よりいっそうの期待がかけられていた中で、思わぬ大役を命じられた。キャンプで面談したとき石﨑監督から「ワシは違う人をキャプテンにしようと思っていたんやけど、みんな直樹がええんじゃ、って言うから、お前でええわ」と言われた。加入からわずか半年でキャプテン就任。現在に至るまでの札幌の27年の歴史の中で、唯一の期限付き移籍中選手のキャプテンという、異例の人選となった。葛藤はあった。シーズン中に戻るかもしれないし、違うチームに行くかもしれない。それでも「仲間からそういうふうに思ってもらえるのは、うれしかった」。
苦悩の2010年 19チーム中13位
10年の札幌は非常に苦しい1年を過ごした。「ふたを開けてみたら全然勝てない。(前年から)メンバーが変わってなくて、補強もしているのに」。1分1敗で迎えた第3節アウェー栃木戦(1〇0)、続く第4節ホーム岡山戦(2〇0)で2連勝し7位に浮上するが、これがシーズンを通して最初で最後の連勝となってしまう。第5節アウェー岐阜戦に0-3で敗れて10位に転落すると、そこからは一度もひと桁順位に浮上することができなかった。シーズン終盤にはベンチメンバーを全員揃えられないほどケガ人の多さに悩まされ、19チーム中13位でシーズンを終える。「とにかく勝てなくて。『なんでこんなに勝てないんだろう』と、よく思っていましたね」。
J1新潟からオファー 揺れる心
その年のオフシーズン。恩師・石﨑が悩みながらも翌11年も札幌の指揮を執ることが決まった。そこへ石川にJ1新潟からの獲得オファーが届いた。「25歳ぐらいのときで、僕の中では1年間フルで出たという実績を踏まえて、J1で再トライしたかった。石さんとも話して、どうしてもJ1に行きたいと伝えて。柏に戻るのか、新潟に行くのか、それぞれと話をしていたときに、新潟の方が自分を求めてくれた」。新潟の熱意や、サッカーに集中できる環境が揃っていることにも引かれ、石川は新潟への移籍を決めた。「札幌にも愛情はありましたし、やっぱり石さんに拾ってもらったという感覚もありました。三上(大勝・現代表取締役GM)さんともよく話していましたし。簡単に『じゃあ新潟に行く』って行ったわけではなくて、やっぱり悩みましたけど、そのときの自分の素直な気持ちにはウソをつけなかった。裏切り者って言われるのは、ある程度覚悟の上で行くというのを決めて、最終的には自分の意思を尊重させてもらいました」。
こうして石川は約1年半在籍した札幌でのキャリアを終え、さらなる成長を求めて新潟へ旅立った。一度は途切れてしまった石川と札幌の縁が、それから7年後、再び結ばれることになる。
■プロフィール 石川 直樹(いしかわ・なおき) 1985年9月13日生まれ、千葉県出身。中学生時代から柏のアカデミーでプレーし、2004年にトップチーム昇格。09年7月にコンサドーレへ期限付き移籍で加入。移籍期間を延長した翌10年にキャプテンを務めた。11年に新潟へ完全移籍。13年から仙台でプレー。17年7月にコンサドーレへ完全移籍で古巣に復帰し、同年のクラブ16年ぶりとなるJ1残留に貢献。20年シーズン限りで現役引退。23年にコンサドーレアカデミーの札幌マネジメントチーフ兼旭川・釧路・室蘭チーフを務め、24年からアカデミーグループのダイレクターに就任。現役時代、コンサドーレに6シーズン在籍し、リーグ戦92試合に出場して2得点。J1・J2通算330試合出場14得点。ポジションはDF。