【青春の1ページ】~F戦士が高校時代を振り返る~ 田中瑛斗投手
好評連載の第3回 高卒7年目のイケメン右腕
どんなプロスポーツ選手にも、色あせることのない〝青春の思い出〟がある。道新スポーツデジタルでは、アスリートの高校時代にスポットを当て、「青春の1ページ」と題して連載する。第3回は、大分・柳ヶ浦高出身の日本ハム・田中瑛斗投手(24)。厳しかった寮生活についてや、体育祭でリレーのアンカーを務めた話など、ざっくばらんに振り返ってもらった。
高校通算本塁打1本の強打者
― 高校時代のタイムスケジュールは
「僕は寮生だったので、朝6時ぐらいに起きて、すぐに朝練がありました。寝ぼけたまま、バットとシャドー(ピッチング)の道具だけ持って朝練に行って、そこで目を覚ます。シャドーとか素振りとかを、30分ぐらいやっていました。僕、4番だったので。打つのが好きで、素振りばっかりやっていました。高校通算(本塁打)は1本です(笑)」
食事も練習の一環 「とにかく食べていました」
―1本でもすごい。朝練の後は
「その後、点呼があって、掃除がある。寮を掃除して、朝ご飯を食べて、ちょっとダラダラしてから学校に行く感じですね。朝ご飯は(体を大きくするために)いっぱい食べさせられていました。寮なので、あんまりおかずがなくて、納豆とか卵で工夫して、とにかく食べていました。ご飯に30分ぐらいはかけていましたね。寮から学校は徒歩10秒なので、ギリギリまで部屋にいてから登校。スポーツクラスで、授業は4限までしかなかったです。その中に、体育が1、2限入っている。昼ご飯は寮に帰って、弁当箱におかずだけ入っているので、炊飯ジャーからご飯だけよそって食べる。それだけだと足りないので、インスタントの味噌汁とかカップラーメンとかを自分で準備して、かさ増しして。(午後)1時半、2時ぐらいから練習です。部活も授業の一環でした」
超多忙な1年生部員 同部屋の先輩に恵まれた!?
―練習は何時間ぐらいか
「部員が80人弱いたので、みんながやることを順番にやっていたら、(午後)6、7時ぐらいになっていましたね。学校から球場までは3キロぐらいあったので、行き帰りは走りでした。帰ってきたら、3年生からお風呂に入る。夜間練習もあったので、ちょっとシャワー浴びて、飯食って、また練習行く。1年生はご飯の準備をして、3年生の練習を手伝って、ちょっと打たせてもらったりして、でしたね。夜ご飯はメインが1品あって、お味噌汁があって、白米。でもメインは少ない。卵と納豆とふりかけだけ自由に食べられたので、それでご飯を食べていました。1年生が全員分の料理を分けて、米をよそって、お茶を準備して、食器を洗う。僕たちの時は洗濯と掃除とかもあったので、1年生はやばいです(笑)。1年生は3年生と同じ部屋。僕が1年生の時は、(同部屋が)めっちゃいい先輩だった。でも(午後)10時が消灯なので、それまでにやることを終わらせないといけなくて大変でした。消灯されたら、部屋から出られなくなって、洗面台もないので、歯磨きすらできなくなる」
運命的な出会い 指揮官から直々の誘い
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―柳ケ浦高を選んだきっかけは
「僕は中学校が軟式で、そんなに活躍していなかったので、選べるほど高校がなかった中で、寮には入りたかったんです。地元で全寮制の学校が柳ケ浦だった。あとは、中学の軟式が終わった後に硬式をちょっと触る野球塾があって、その時に柳ケ浦の監督になる人(定岡智秋氏)に会って、うち来いよと誘っていただいて」
過酷だった『1644』 今では思い出話のネタ
―一番きつかった練習メニューは
「『1644』というのがあって、100メートルを16秒で走って、44秒で帰ってくるんです。エンドレスで。そのメニューが、半分罰走みたいな感じで、死ぬ思いでやっていました。何本とか教えてくれなくて、終わりが見えない。根性練習ですね。あとはひたすらロードワーク。雨の日で、雨が止んだけどグラウンドが使えない時とかに、16キロ走をやっていました。そういうのが、思い出ですね。高校の同級生で集まった時にネタになります。今となれば、面白かったなって」
行列をつくった公衆電話
―母校の独特のルールは
「外出が禁止で、コンビニすら行けないんですよ。実家からカップラーメンとか、ちょっとしたお菓子を送ってもらうだけで過ごしていました。携帯も禁止。僕が3年生の時に解除されましたけど。なので、テレホンカードを持って公衆電話を使っていました。80人部員がいて、公衆電話は1個。みんな取り合いで、行列でした(笑)」
忘れられない3年時の体育祭
―高校生活の一番の思い出は
「体育祭、盛り上がりましたね。高3の体育祭は秋で、(野球部を)引退した後だったので、ノンプレッシャーで全力で楽しめました。各部活対抗のリレーがあって、僕がアンカーで。大分県は、野球部だけの陸上大会があるんですよ。40校ぐらい集まって、リレーとか遠投とかをする。僕たちの野球部は、そのリレーで1番だった。体育祭では、サッカー部と競っていました。サッカー部は3チームぐらい出して、ガチで走るチームと邪魔するチームがいるんですよ。僕たちは1チームしか出していなかったですけど、ぶち抜いて1位でした。僕はアンカーで、1番でもらってそのままゴールした。超盛り上がりましたね。女の子たちと触れ合えたのもその時ぐらいでした(笑)」
先生たちも応援!? 好きな教科は数学
―得意科目は
「数学は好きでしたね。小さい頃、公文に行っていたので。英語は全然できなかったし、国語は一番きらいでした。高校に入ってすぐの数学の授業で、最初の問題が2桁と2桁の筆算とかで、小学生やろ、なめてんのかと思った記憶があります(笑)。赤点を取って追試とかになったら練習できないんですけど、先生たちも野球部を応援してくれていた感じでしたね」
治療の帰りにこっそりとコンビニへ
―休みの日の過ごした方は
「週に1回、月曜日は休みでした。外出は禁止なんですけど、治療なら行けるんです。チームが契約している治療院に500円で行けるので、500円だけ持って行っていました。それで、帰りにこそっとコンビニに寄って帰ります。あんまり買い物しすぎるとバレるので、ポケットに入るぐらいのお菓子を買って。今は変わりましたけどね。もう全寮でもないし、携帯も外出もOK」
チームメートは一生の友 「何でも話せる相手」
―高校のチームメートとは今でも仲がいいか
「この前も、試合を見に来てくれていました。僕の追っかけみたいなことをしているやつもいます。今でも結構、頻繁に会っていますね。何でも話せる相手。高校の時は家族よりも長く、ずっと一緒にいたので、何か困ったことがあれば相談し合える仲です」