そんな石川の元に、とあるチームから完全移籍のオファーが届いた。この年から戦いの場を再びJ1に戻し、16年ぶりとなるJ1残留に向けて奮闘を続けていた古巣・札幌だった。当時仙台の渡辺晋監督(現山形)に進路について相談した。
「仙台で育ててもらって、ACLにも行かせてもらってやってきた中で、自分の中で視野を変えて頑張ってみたいと思うんです」と話をすると、「渡辺さんと泣きながら抱き合って、『直樹がそういう結論を出したなら俺は応援する』って言ってくれて、僕の中で迷いが無くなりました」
三上GMから「助けてくれ」
そしてオファーを出してくれた札幌に感謝の気持ちもあった。「32歳の年ですから、もうベテランですよね。代表だったわけでもないのに、その年齢で完全移籍で獲ってくれるというのもなかなかないと思うんですよ。三上(大勝、現・代表取締役GM)さんと電話で話をして、苦しんでいるから助けてくれっていう話で。僕自身も視点を変えたかったから、トライしたかったというところで一致して戻ったという感じですね」。
宮の沢でワクワクした感覚
同年8月1日、石川は約7年ぶりに宮の沢の練習場へと戻ってきた。「やっぱり環境はすごいですよね。この中で練習できるというのはなかなかないと思いますし。懐かしい(札幌の)空気も帰ってきて、楽しみな、ワクワクした感覚を取り戻した感じがありましたね」。
クラブ史上2度目のJ1残留
この夏、札幌にはMFチャナティップ(30)、FWジェイ(41)、そして石川と、新たに3選手がチームに合流。この補強が大当たりし、3人の加入以降に行われた16試合で8勝3分5敗、勝ち点27を積み上げた札幌は、見事にクラブ史上2度目となるJ1残留を成し遂げたのだった。
ミシャとの出会い
翌18年、プロ15年目のシーズンを迎えた石川に、新たな監督との出会いが訪れた。その人物こそ、現在も札幌の指揮を執るミハイロ・ペトロヴィッチ監督(66)だ。「最初、来る前は、浦和とか広島時代の(若手を積極起用する)イメージがあって、彼が来たら試合に出られないんじゃないかと考えたりもしていた」と、頭の中では他チームへの移籍もよぎったそうだが、「でもやってみて、やっぱりすごいなと。何がすごいって、試合に出ていない選手からも慕われていて。それは僕は相当だと思うんですよ」と、実際に指揮官の下でプレーした感想を口にする。
「僕もベテランになって、ケガも増えた中で、ベンチに座る回数が増えていって。試合に出ていない選手って、どうしても監督のことを悪く言いがちで。それって仕方ないことだとは思うんですけど、ペトロヴィッチってそこのマネジメントがすごい上手で」と、その手腕、その人柄に感銘を受けた。
チームマネジメントを学べただけでも残って良かった
「ピッチ内やミーティングでは厳しいこともバンバン言うけど、そこを一歩離れたときには必ず選手1人1人をリスペクトして、『今、体調はどうなんだ』『家族はどうなんだ』『何か困ったことがあったら言えよ』って毎日必ず言って、何かあったら話を聞いてあげて。そういったところで選手とのバランス、人間関係を保っていて。毎日30人全員に同じことをやるって結構大変だと思うんですけど、それができているからチームに一体感ができるんだろうなと。このマネジメントを勉強できただけでも、僕は本当に良かったなと思っています」
19年ルヴァン杯決勝のPK戦
ペトロヴィッチ体制2年目の19年、札幌はクラブ史上初となるルヴァン杯決勝に進出して川崎と対戦。前後半90分、さらには延長戦でも決着がつかず、勝敗の行方はPK戦へと持ち込まれた。川崎の4人目の失敗により、札幌の5人目がPKを成功させれば悲願の初タイトル獲得という状況でキッカーを務めたのが石川だった。
だが、石川の左足から放たれたシュートは相手GKのセーブにより失敗となってしまう。札幌は続く6人目も失敗し、あと一歩のところで優勝カップをつかむことができなかった。
外したからこそ学べたこと
あれから5年の時が過ぎた。その時のPKについて、「(悔しさは)今は無いですね。当然、申し訳なさは今も残っていますけど、あれによって僕自身は間違いなく成長できたので。あれが決まっていれば当然最高で、みんなで成し遂げた最高の成果にできた、というところでは申し訳なさはありますけど、自分の人生という観点で見たときに、あれを外したからこそ学べたことっていっぱいあるなと」。
もう1年、苦しみながらやれた
「たぶんあれを決めてたら、満足してあの年で(現役を)辞めていたので。もう1年、苦しみながらもやれた、というのはあれを外したという結果があったからかな」
翌20年も石川は現役を続行。右足首のケガにより長期離脱を経験するも、復帰した終盤戦では8試合にベンチ入りし、うち3試合に途中出場。11月3日のアウェー川崎戦では、この年に圧倒的な成績でJ1を制した王者相手に札幌が2-0で勝利。試合終盤に投入された石川は1997年以来、実に23年ぶりとなる川崎戦での勝利の瞬間にピッチの上で立ち、前年のルヴァン杯のリベンジを果たした。
常にトライする姿勢をアカデミー生に伝えたい
同年限りで現役を引退し、今年からは札幌のアカデミーダイレクターとして新たなスタートを切った。「最後の年なんてほとんどケガで、数試合しか出なかった中でも、やっぱり彼(ペトロヴィッチ監督)と1年間やれて良かったなって最後まで思ってました。常に勉強する姿勢だったり、少しでも良くなるためにトライしようとすることをアカデミーの選手たちにも伝えたい」。
自分の核となる財産
「何度失敗してもトライする姿勢だとか、ミスしたとしても、そのプロセスを褒めてあげるとか、そういったことって子供たちにとっては人間形成にすごい影響すると思うんですよね。僕らでそうだったんですから、そういったところをもっと学んで、ペトロヴィッチと3年間やったことを自分の核となる財産として残していきたいです」。名将の薫陶を受けた石川が、アカデミーという舞台でどのような選手たちを輩出していくのか、今後に注目だ。
【札幌サポーターへのメッセージ】
今もドームなどに行ったらサポーターの人が声を掛けてくれますし、そういった良い関係は築けているのかなという気はするので、このまま一緒に進んでいきたいと思います。
今アカデミーを見ていて、北海道の子供たちと一緒に成長していく中で、北海道を代表する選手、世界に飛び立てる選手、社会で活躍できる人を育てていくので、そういったところにも目を向けてもらえると、よりコンサドーレを好きになってもらえるかなと思います。
これからアカデミーはリーグ戦を戦っていきますけど、東雁来に来てくれればタダで見放題ですから(笑)。今年は(出間)思努が(トップチームに)上がりましたけど、また来年そういった選手が上がってくるかもしれないので、今のうちから成長を見ていてもらえると僕らもうれしいですし、見られて応援されて選手は成長していくと思うので、サポーターにも一緒に選手を育ててもらいたいです。
それはトップチームもそうで、宮の沢でみんなが見てくれる、ドームにもたくさん応援に来てくれたら選手たちは成長していくと思います。時には厳しい言葉ももちろん必要だと思うので、愛のある厳しい言葉をアカデミーにもトップにも投げ掛けてほしいです。一緒に進んでいきましょう。
■プロフィール 石川 直樹(いしかわ・なおき) 1985年9月13日生まれ、千葉県出身。中学生時代から柏のアカデミーでプレーし、2004年にトップチームへ昇格。09年7月に札幌へ期限付き移籍で加入すると、移籍期間を延長した翌10年にはキャプテンを務めた。11年に新潟へ完全移籍し、13年からは仙台でプレー。17年7月に札幌へ完全移籍で加入して6年半ぶりとなる古巣復帰を果たすと、同年のクラブ16年ぶりとなるJ1残留に貢献した。20年シーズン限りで現役を引退。23年に札幌アカデミーの札幌マネジメントチーフ兼旭川・釧路・室蘭チーフを務め、24年からアカデミーグループのダイレクターに就任した。現役時代、札幌には通算6シーズン在籍し、リーグ戦92試合に出場して2得点。J1、J2通算330試合出場14得点。ポジションはDF。左利き。