【プロになった道産子球児たち 指導者の目線】高校編 ⑤東海大札幌高・大脇英徳監督「寅威は人の懐に入り込むのが上手」
北海道から誕生したプロ野球選手の学生時代を見てきた指導者に話を聞く企画「プロになった道産子球児たち 指導者の目線」。高校編第5回は、東海大札幌高の大脇英徳監督(48)。2003年秋の監督就任後、昨季から日本ハムでプレーする、千歳市出身の伏見寅威捕手(33)ら5人のプロ野球選手を輩出。今季も4人が現役として奮闘している。
札幌ドーム観戦 お目当ては教え子の勇姿
3月2日のオープン戦、日本ハム-阪神が行われた札幌ドームの一塁側スタンドに大脇監督の姿があった。お目当ては、教え子で日高町出身のプロ2年目、阪神・門別啓人投手(19)と、札幌出身の日本ハム今川優馬外野手(27)、伏見捕手の3人。伏見捕手の出番はなかったが、今川は四回の第2打席で、門別から中堅フェンス直撃の二塁打。門別の降板後も試合は最後まで見守った。
捕手出身の指揮官も一目置くリーダーシップ
伏見捕手は東海大札幌高では3年春に主将で主砲として強力なキャプテンシーを発揮して全道制覇、夏の南北海道大会では4強に進出した。入学時の第一印象は「明るいし、もうキャッチャーですよね。リーダーシップ、コミュニケーション能力の高さはすごかった」と捕手出身の指揮官も一目置く存在だった。
伏見の1学年先輩には、現在エスコンフィールド北海道「タワー11(イレブン)」のホテル運営を担う舘林真一さん(34)という正捕手がいたが、2年春から伏見がマスクをかぶった。「舘林が本当はキャッチャーだったんですよ。館林は負けん気が強くてガツガツやるんですけど、その先輩捕手を『舘林さ~ん』て包み込むような感じで競っていた。先輩にもかわいがられる、学校でもかわいがられる、人の懐に入り込むのが上手な性格だった」と振り返る。昨年、地元の日本ハムに移籍。「月曜の移動日の時とか、寮のおばさんに会いに来てます。おじさんは亡くなったんですけど。グラウンドには1、2回ですが、寮はちょいちょい来ているようです」と、お世話になった方への気配りも忘れない。
高校卒業後の進路 今だから明かせる裏話
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
甲子園には届かなかったが、3年時にはプロ志望届さえ出せば指名されるだろうと評判だった。最終的に系列で首都リーグの東海大に進学したが、今だから話せる裏話があった。南北海道大会2回戦で苫小牧中央と対戦。相手のプロ注目の佐藤賢一投手から八回に決勝二塁打で4強入り。「スカウトが5、6球団来てたと思うんですけど、その試合に東海大の横井(輝)監督も来てました。寅威が目当てで、試合が終わったら速攻で学校に戻って『すぐに日の丸着せるから』って」と進路が決まった。東海大では、1年秋から1学年先輩の菅野智之投手(34、巨人)とバッテリーを組み、2年時には大学日本代表に選ばれるなど、期待通りの活躍でプロ入りの夢をかなえた。
一方、エース西嶋時代の「努力家」は
一方、もう1人のF戦士の今川は「努力家ですよ」と振り返る。3年夏、超スローカーブを操るエース西嶋亮太投手を擁して甲子園に出場。今川は背番号16番でベンチ入りしたが、アクシデントがなければ1桁を背負って聖地で躍動していたかもしれないという。
入学当時は「ピッチャーとショートだったのかな。自分で無理だと思って外野に行ったりしてました。体も細いし。でも2年生の冬、すごく頑張ったんですよ。体も大きくなった。3年生のゴールデンウイークに八戸に遠征に行きました。そこまでは春の大会は今川、背番号8に決めていた」。
練習試合の守備で手首負傷
ところが練習試合の守備で打球に飛び込んだときに「松井秀喜さんと同じように、手首が折れちゃって…」。ただ「今、こっちがケガを知ったらベンチに入れられない」。指揮官は知らないふりを決め込んだ。その日、宿に帰ってからも、本人から言い出してこない。食事の時間にさりげなく手を見たら、ボンボンに腫れていた。「これは終わった」と思った。「こっちから『大丈夫か』って言えばいいんでしょうけど、あいつも知られたくないって雰囲気だった」。毎年3学年で100人規模の大所帯。部活休みますと言えば、はいそうですか、と代わりはいくらでもいる時代だった。
翌朝、父親経由で「ちょっとダメみたい」と申告があり、結局チャンスを逃した。代わりに入った高橋元気中堅手が活躍。それでも今川は甲子園では代打で安打をマーク。「あのケガがなかったら、今川がスタメンで出てました。状態が一番良くなったのが、秋の国体の頃。国体でホームランを打ち、「やってきたことは正しかった」と、今川自身が確信した。卒業後に進んだ東海大札幌でプロ注目の存在に成長し、社会人のJFE東日本から2020年のドラフト6位で日本ハム入りを果たした。
予想外の内野手指名も今年から投手に専念
残る現役は帯広市出身のソフトバンク・小林珠維投手(22)。3年春に高校日本代表候補に選ばれた最速150キロを誇るエースだったが、指名は予想外の内野手。「ほんとびっくりだったんです。野手やったことなかったから。ほぼ外野しか。だけどソフトバンクの上の人が見に来て『サードで使いたい、ショートで使いたい』って、結構上の人が。だから担当スカウトも分からなかったんじゃないですか」。22年オフに一度戦力外通告を受けたが、育成で再契約。投手と野手の二刀流に挑戦し、今年から投手に専念し登録も変更。最速で154キロをマークするなど生き残りに必死だ。「やっぱり壁にぶつかって、今もそうですけど。でも投手をやれて、今やっと生き生きしてる。一番頑張れてるかもしれない」と目を細める。
プロの世界で長く活躍してほしい
教え子に求めることはただ一つ。11年に八戸大から西武5位で初めてプロ入りした石狩市出身の田代将太郎さん(34)は、ヤクルトで20年に引退し、23年から西武のアカデミーで小中学生を指導している。「みんな10年、20年、30年とプロ野球の世界で活躍してほしい。(佐藤)真一さんや(大村)巌さん、佐竹(学)さんみたいに」。引退後も球団に残れるのは、現役時代にどれだけ真摯に取り組んだかの証し。そんな教え子になってくれることを願っている。