【青春の1ページ】~F戦士が高校時代を振り返る~ 清宮幸太郎内野手 本人提供のかわいらしい秘蔵写真も!
甲子園を沸かせたスラッガーが濃密な3年間を振り返る
アスリートの高校時代にスポットを当てる連載「青春の1ページ」の第2回は、東京・早実高出身で日本ハムの清宮幸太郎内野手(24)が登場。1年夏に甲子園で大フィーバーを巻き起こした怪物スラッガーが、文武両道に励んだ学生生活を振り返った。猫に扮(ふん)した文化祭での〝秘蔵写真〟も公開します。
文字通りの文武両道 朝から猛勉強の毎日
―高校時代の1日のタイムスケジュールは
「朝練はないですけど、めっちゃ早く学校に行ってました。(午前)7時15分くらいには学校に行って、勉強していました。提出物があったり、テストの出題範囲の問題集を解かないといけない。その日の小テストの勉強をしたりとか。授業は(午後)3時半くらいまであって、そこから(野球部のグラウンドがある)南大沢に移動です。5時前くらいから練習がスタートですね。冬とか、着いたら暗いですもん。自主練とかしているやつは10時くらいまで。僕は10時くらいに家に着いていました。高校時代は全然、寝ていないです。睡眠時間は5、6時間くらいでした」
進学校ならではのスケジュール
―授業はどうだったか
「寝る時は寝ちゃうんですけど(笑)。でも大事なのは、寝たくないけど寝ちゃってます、というのをちゃんと出す。本を立てて、寝に入るとかはしなかったです」
―早実高は進学校。野球と勉強の両立は大変だった
「大変です。(試験前は)練習が月、水、土とかになっちゃう。部活するなって」
中学時代の評定平均は8.7
―成績優秀だったと聞いた
「僕は全然ですよ。頑張ったのは中学までです。中学は良かったです。(成績は)結構、上の方で評定平均8.7とかでした」
―好きな科目は
「英語ですかね」
テストで100点連発は都市伝説!?
―小テストはいつも100点だったとか
「いや、それは都市伝説です。中学の時はマジで頑張っていました。でも、高校行って英語が半端なく難しくなって…やばいです。テスト中、ずっとリスニングでラジオ聞いているんですよ。なに言っているんだよって。日常会話はノリと勢いですけど、高校の英語は大変でした」
―みんな苦戦していた
「頭いいやつはいるし、全然できるやつはできちゃう。イディオムとかあるじゃないですか。それを覚えるの超しんどかったです。参考書とか見ると…もうダメです。本当に」
試験前は一夜漬け 処世術も身に付けていた!?
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
―日頃の小テストが大事だった
「うちは授業態度とか、提出物とか小テストとか、そういう地道なところを評価してくれる。もし大きいテストでダメでも、毎日頑張っているね、ちょっと許してやるかって。それが(乗り切る)術です」
―試験前は
「徹夜です。練習なんてしないです。毎日、睡眠時間1時間、2時間。マジできつかったです。逆に超一夜漬けなので、定着はしていないです」
数学に大苦戦 日本史と世界史も…
―苦手だった教科は
「僕は数学が。数学の提出物が一番多いので、問題集とかも数学がほとんどでもう大変だった。日本史とか世界史も超苦手で、好きな人はストーリーで覚えられるって言いますよね。弟は世界史とか、めっちゃ詳しいけど、僕は無理。暗記ができないんですよ。地理とかの方が全然いける。国名とか国旗とか、地図記号を覚えるのは得意です」
―昼食は学食だったか
「学食もありましたけど、僕は弁当でしたね。(母が)作ってくれていましたね。本当に感謝です。そんな量はめちゃくちゃ多いわけではないです。タコライスとか、タッパーにご飯と卵が乗っていて。おいしかったです。弁当を持って、学食でみんなで食べていましたね」
主将によって異なる練習メニュー 自身は寛大なキャプテン
―一番きつかった練習は
「うちはキャプテンが練習を決めることが多い。走れるキャプテンの代はきついですね。(1学年上の)金子(銀佑)さんの時は、めっちゃきつかったです。高2の時は結構走って、めっちゃしんどかった思い出があります。僕がキャプテンの時はみんなからの圧もあって『あした、小テストあるんだよな~』、『勉強しないといけなんだよな~』となったら、『もういっか、終わろっか』みたいな(笑)。僕の時は楽しくやりたかったので、リレーとかやっていました。長い距離でチームワーク的なのをやっていました。どちらかといえば、僕らの代は体幹とかをずっとやったり、ウオーミングアップを1時間くらいやっていた。トレーナーもいたので、その人と相談しながら決めて。キャプテンによって、練習の内容は本当、変わります」
これぞ早稲田 試合前には必ず『紺碧の空』
―早実の伝統メニューは
「早実野球部伝統のメニュー? 坂道とかあったっすけどね。他にあった気もするな…」
―メニューではないが、大事な試合前に応援歌『紺碧の空』を歌っていたのが印象的
「あ~! 歌っているっす。あった! あれ伝統。試合前に必ず。応援団をやったことある人が指揮して、『紺碧の空』をみんなで歌う。あれ好きだったな~。懐かしいな~。あれ良かったな~」
常に注目の的 「ありがたかったです」
―一挙手一投足が注目される高校時代だった
「ありがたかったですけどね。僕は全然うれしかったし。懐かしいっすね」
―プレッシャーには
「なっていなかったですね」
今でも心に残る文化祭 『いなほ賞』ゲット
―一番の思い出は
「なんすかね~。甲子園はもちろんなんですけど、文化祭とか楽しかったですね。うちの文化祭って、1万人以上来るんですよ。もうぎゅうぎゅうで動けない」
―クラスで出し物をしたり
「高3には劇みたいなのがある。高2は喫茶店、食べ物系。高1は縁日。うちの文化祭は『いなほ祭』っていうんですけど、3年の時は『いなほ賞』を取りました。猫の格好して、(ミュージカル)キャッツのパロディーをやりましたね。めっちゃ気合入れて。僕は出ちゃいけないと言われるかもしれなくて、主役は無理なので、いてもいなくても成り立つ役でした」
おいしい役柄 ドラムロールとともにシンガリ登場
ーどんな内容だった
「僕たちがやったのは猫の世界で3組くらいが対立していて、主人公がその町を転々としていく中で一つになろうよと。最後みんなで踊って終わるみたいな感じです。僕は最後に踊る会場の支配人。おいしいけど、いなくてもいい。最後の最後に出てくる。ドラムロールとともに暗転して、光とともにジャンと。踊りもチアの人たちにキャッチの仕方、投げ方を教わって。めっちゃ練習しました。楽しかったですね~。一番の思い出ですね」
ーまさに青春
「準備とか楽しいじゃないですか。いろいろもめたり。絶対、泣く女の子もいるので。自分で言うのもなんですけど、僕が中心になってやっていました。どっかの公民館を借りて練習したり。うちは(早稲田大学の系属校で)大学受験がないので、それが強み。文化祭、体育祭とか行事がガチなんですよ」