旭川東 イチローさんの教えで悲願の甲子園つかむ
2023年11月4日から2日間、旭川東高野球部のグラウンドに、NPBやMLBで数々の記録を樹立したイチローさん(50)が来校した。走攻守に渡って直接指導を受けた、その教えとは一体なんだったのか。22年夏の北北海道大会で53年ぶり11度目の決勝進出を果たすも、叶わなかった甲子園出場。悲願達成へ、その成果が少しずつ見え始めている。
フリー打撃で見せた130メートル大飛球
濃密な2日間のハイライトは初日のお手本のフリー打撃。63スイング中、右翼方向95メートルの奥にそびえ立つ、校舎3階の窓ガラスを割り、4階建て校舎屋上へ何度も放り込んだ。距離にして推定130メートル。主将の臼井颯汰内野手(3年)は「越えるとは想像していなかった。失礼ですけど、50歳になられる人が、と。最初は多分寒かったのもあって、ライトの後方ぐらいまでしか飛んでいなかった。体が暖まってきてからは、校舎の壁にバンバン当てるようになって、やっぱり違うなって。スパーンって校舎を越えたのは、すごい」。割れた窓ガラスは、校舎内の陳列ケースにイチローさんが使ったバットやサイン入りボールと一緒に保存してある。
SNSで調べて打撃の参考に
1カ月前から来校を知っていた臼井主将ら部員も、実際に目の前で次々と大きな打球を放つイチローさんに目を奪われた。臼井主将は「イチローさんは日本を代表する野球人。バッティングとかで悩んでいる時に、SNSでどうやって打ったらいいのか調べたら、イチローさんの打ち方が流れてきて参考にした。WBCで活躍された場面だったり、イチローさん最後の試合になった東京ドームでやった、引退の時のライトフライ。ライトから送球、三塁に投げたのは、テレビで見てました」。間近で見る世界最高峰の打撃の秘密を少しでも、その目に焼き付けようと夢中になった。
イチローさんの言葉からスローガン決めた
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技術指導もさることながら、野球に対する考え方が全く違った。「それまで自分たちは、秋の全道を懸けた決勝で負けて、どんなことをやっていくか模索していました。目的が明確になってない中でイチローさんが来た。2日間で数えきれないほどの教えをいただいて、チームの方針を作るきっかけになった。『自分を律して厳しくする』というイチローさんの言葉から『自律』をチームスローガンに決めました」。最大の学びは思考。技術指導1つとっても、それにどういう意味があるのか、目から鱗のことばかりだった。
スクワットでハムストリング伸ばす
初日は基本から始まった。ウオーミングアップでは、普段同校で行われている静的ストレッチより、動的な方が良いと、スクワットでハムストリングを伸ばすことから手ほどきを受けた。外野ノックでは細かい足運びを指導。右投げの青山昂生外野手(3年)は「右足前から左足前にゴロの捕り方を変えた。まだ完全じゃないけど、早くできるようになりたい」と挑戦中だ。
また同校初の女性選手、中山志輝(しき)外野手(2年)は「打者が打った時に少し姿勢を低くすることで、打球の判断がしやすくなる。判断に時間をかけることを学びました。私たちも本気で野球に取り組んでますが、それ以上に熱い目をしていた。私たちにそういうものがあるかと言われたら、ないのかなって思う。すごくグッときました」。あふれ出る熱量に圧倒された。
トス打撃では前肩の開きが早くならないように
トスバッティングでは球出し役が、約7メートル離れた場所にL字形の防球フェンスの影から、速めの球をアウトコースへ投げ、打者がそれを打ち返した。「体を開かずにL字に当てないでパーンって打つ。イチローさんは、前肩(投手方向)の開きが早くならないことを意識していて、フリー打撃でバンバン飛ばしている中でも(ファウルゾーンへ)切れている打球は、前肩が開いてるからスライスするんだよ、と言っていた」。冬の間は「教えてもらったからやろうぜ!」とチーム全体で徹底した。
宮崎遠征で試して効果テキメン
3月末の宮崎遠征で土の上で実践。右打ちの臼井主将は「めちゃめちゃ変わりました。今までは体が開いて外角の打球はファーストの後ろぐらいにポテンとか落ちるとか、ファウルとかだったんですけど、遠征では右中間にツーベースを打ったり、ライト方向にも飛距離が出た。去年だったらこんなに絶対行ってない」と目に見えて手応えを感じている。
背面キャッチの練習方法も
さらにグラウンドが使えない冬の練習向けに、イチローさんの「レーザービーム」と並ぶ代名詞「背面キャッチ」の練習方法も教わった。佐藤大誠外野手(2年)は「ボールを見なくても捕れるようになれば、見えるボールは簡単に捕れる」。実際に使う機会はまずないが、その考え方が頭の中にあることが大切だという。中山外野手も「例えば打てなくなった時に、いろんな引き出しがあったら、そのどれかが当てはまったら調子がまた上がるようになるでしょ。でも、その引き出しが少なかったら、上がってこないよねって教わった」。部員からの質問にはどんな質問にも丁寧に答えた。
当時の佐藤監督がテレビ見て「これしかない!」
発端は2021年の年末。当時監督を務めていた佐藤俊行副部長(44)が振り返る。「秋が終わって全道に行けなくて。来年どうしたら甲子園に行けるかなと思ってテレビを見ていたら、イチローさんが高校に指導に行ったというニュースを見て、大みそかの夜9時43分にメールを送りました。10回決勝に行って甲子園に行けていない。その学校が甲子園に行くためには、何か今までしたことのないことをしないと甲子園には行けないだろうと。これしかない、と」と、イチローさんサイドへラブコールを送った。
部員は信じられず「モニタリング?」
日程が合わず実現しなかった間の22年北北海道大会で、53年ぶり11度目の決勝に駒を進めるも、旭川大学高に敗戦。「やっぱり何かが足りない」。そう思っていた23年春、イチローさん側から連絡が届き、同8月にプロジェクトが正式に動き出した。佐藤副部長は、水面下でひそかに連絡を取りながら準備を進めた。部員に知らせたのは1カ月前の10月。「あまり盛り上がることがない子たちなんですが、その時ばかりはもうひっくり返ってましたね」。臼井主将は「テレビがTBS系列と聞いて、モニタリングかな?と。チームメートと『ニッチローじゃない? イチロー、本当に来るならやばいじゃん』みたいな。その時はまだ全然信じてなかった」。当日までかん口令が敷かれ、バックネット付近はグラウンド内で何が行われているか分からないようにブルーシートで完全シャットアウト。部員の保護者が警備を担当し、一般生徒が知ったのは翌日放送されたニュースだった。
甲子園に出て良い報告したい
この経験は後輩に受け継いでこそ、旭川東の新たな伝統になる。普段、野球ノートは1ページ程度だという臼井主将が「初日に8ページ、2日目は12ページくらいになった」。各選手の気づきや感想を、西中剛志監督(45)が集約してデータ化。指揮官は「春になって、あの2日間で学んだことが意識として徐々に出てきた。半年ぐらいで形だけじゃなくて、イチローさんが伝えようとしていたこと、メンタルなり、心がけは最近出てきた。それはキャプテン中心に言い続けてくれたから。そこが大きかった」。臼井主将は「甲子園に出て良い報告を伝えたい」。その時には再び北の大地に〝イチロー先生〟が笑顔で駆けつけてくれるはずだ。